ブログをご覧頂いてる物好きな方への報告ですが、8月8日の地震は震源地から近くかなり揺れたものの家具がいくつか倒れた程度で済み無事でございます。

備えあればと言いますし、しばらくは防災に努めます。


しばしば唱える持論に「善行に気付ける人は普段から善行を積んでる」みたいなものがあります。善行は優しさとか気配りとか気遣いに置き換えても良いんですが、普段から周りを見て動いてるからこそ人の動きに敏感になれるってことです。

ここで問題です。「右腕に時計を着けてる人を左端の席に案内した人がいます。何故でしょう。」


正解は「腕時計の向きから左利きだと判断し、隣の人と腕が当たらない席を選んだため」


18そこらの時に同級生がこの気配りをしてるのに気付いた時にハッとさせられました。僕なんかは極めて気の利かない人間ですが、偶然これに気付けて以来幾分かマシになったと思います。自分の周りにあふれる優しさに気付けるようになりたいと思えましたから。

他者の善行を見たい、経験がある、良いことをしたいという漠然とした気持ちなんかから、学習支援ボランティアに申請をしてきました。生徒と僕とが互いに良く作用し合えると良いなーなんて思ってます。

ただ、本来の目的とは違って保護猫のサポーターにもなりました。動物は可愛いすからね。


悪態をつく皮肉屋な自分を知ってる人からすれば偽善者と思われそうですが、論拠の曖昧な持論を展開しました。月並みな言葉ですが、やらない善よりやる偽善と言います。偽善を見た人が自分もやってみようと善行を積むかもしれません。僕の壁打ちブログを見た人が誰かを助けに動く可能性があるのならば、ブログを書く意味があるってもんです。


それではまた。