日蓮大聖人 今月のお言葉 

 『上野殿後家尼御前御書』


 釈迦仏・法華経に身を入れて候ひしかば臨終目出たく候ひけり。心は父君と一所に霊山浄土に参りて、手をとり頭を合わせてこそ悦ばれ候ふらめ。あはれなり、あはれなり。

弘安3年(1280)9月6日執筆
『昭和定本日蓮聖人遺文』1793頁

(訳)
(本年6月15日に御子息と会った折、立派な男性であると思いましたが、もう会うことができなくなり、たいへんに悲しく思っています。そうではありますが)あなたの御子息は、釈迦仏・法華経に身命を捧げ、信仰をされていました。そのため、最期(臨終)が安らかであり、御子息の心は、亡き父がいる霊山浄土へと詣でられ、手を取り、顔を寄せ合って、喜ばれることでありましょう。その場面を想像しますと、心の底から感動が湧き上がってきます。

本書は、南条時光の弟である七郎五郎が16歳という若さで死去した報せを受け、執筆をされました。この年(弘安3年)の6月に、七郎五郎は、身延山にいる日蓮聖人を訪ねていただけに、数ヶ月後の訃報に、日蓮聖人もたいへんに悲しまれたのでありましょう。
子を失った母に対する恩情が見られ、また遺文の名称からも、女性宛と思われますが、本書の最後には「上野殿」とあるため、南条時光に宛てたものとされています。つまり、南条時光を通じて、その母を慰めた書状であると推されるのです。
冒頭に挙げた一節は、「追伸(追申)」であるため、本書の末尾にあたります。法華経と釈迦仏に帰依を捧げる者の臨終は安らかであり、霊山浄土への往詣されて、亡き父との再会を果たし、手を取りあい、顔を寄せあって、悦ばれているでしょうと、父子の再会が確実なるものであると教示されています。
さらに日蓮聖人は、そのような場面を想像すると、たいへんな感動であるというのです。 愛する子との死別に、母である尼は深く悲しまれたことでしょう。
ですが、子の死去にあたって、日蓮聖人よりこのような教示をされたことで、宗教的な安心を得られたものと拝察されます。

※今回は、50号です。
バックナンバー(過去号)も、当ページにて公開しております。 





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