日蓮大聖人 今月のお言葉
『諸経与法華経難易事』
 しょきょうとほけきょうとなんいのこと 

幸(さいわい)なるは我が一門、仏意に随いて自然に薩般若海に流入す。苦しきは世間の学者 随他意を信じて苦海に沈まん。 

弘安3年(1280)執筆 
『昭和定本日蓮聖人遺文』1752頁

 (訳) 
幸いなことに、私日蓮の一門だけは、釈尊の本意(随自意)である法華経に帰依しているので、自然に涅槃の海に流れ込み、成仏することができるのです。
反対に、今の世における仏法の学者たちは、方便の教え(随他意)を信仰しているので、苦しみの海に沈んでしまうのであります。

 

本書は、日蓮聖人が59歳の時に身延山で執筆されました。法華経の第十番目「法師品(ほっしほん)」に「難信難解(なんしんなんげ)」とあって、法華経という教えが、信じ難(がた)く理解し難(がた)いと説かれていることにつき、富木常忍が尋ね、それに対する返書です。 
釈尊は、その生涯において、数多くの教えを説かれ、それらを総称して「八万法蔵(はちまんほうぞう)」「八万四千の法門(はちまんしせんのほうもん)」「一切経(いっさいきょう)」などといいます。
それらは、説かれた内容から、次の二種に分けられるのです。 

・随他意(ずいたい)
 「諸経(法華経以外)」 釈尊が方便をまじえ、他(聴衆)の意にあわせて説いた教え

 ・随自意(ずいじい)
 「法華経」 釈尊自(みずか)らの意が直接的に説いた真実の教え 

法華経以前に説かれたもの(釈尊 三十~七十二歳までの教え)は「相手の意にあわせて説かれた方便の教え=易信易解(いしんいげ)」であるのに対し、法華経(釈尊 七十二~八十歳)は「釈尊みずからの御心が説かれた真実の教え=難信難解(なんしんなんげ)」であります。 
法華経法師品に「而も其の中に於いて此の法華経は最も為(こ)れ難信難解なり」とありますが、「我が所説の諸経 而も此の経の中に於いて 法華 最も第一なり」とも説かれています。法華経は、理解することも難しく、信じることも難しい教えですが、すべての教えの中で第一(最上位)に位置づけられるのです。 
日蓮聖人の教えを信奉する一門は、釈尊の本意が説かれる法華経に依り、自然に涅槃へ到達し、成仏できると示されています。
一方で、世間の仏法を学ぶ者たちは、法華経を信じずに、「方便・随他意」の教えを信じているため、苦しみの海へと沈んでしまうと説かれるのです。 
このような教示を受けた常忍は、いっそう法華経信仰に励まれたと拝察されましょう。


※今回は、46号です。
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