日蓮大聖人 今月のお言葉
 『盂蘭盆御書』 
(うらぼんごしょ) 

※今回は、8月分ですので、盂蘭盆会にあわせて、『盂蘭盆御書』を取り上げます。過去3年も、8月のおことばは、『盂蘭盆御書』を挙げておりますので、あわせてご覧いただけますと幸いです。 

〈本文〉 
目連尊者と申す人は法華経と申す経にて正直捨方便とて、小乗の二百五十戒立ちどころになげすてゝ南無妙法蓮華経と申せしかば、やがて仏になりて名号をば多摩羅跋栴檀香仏と申す。此の時こそ父母も仏になり給へ。故に法華経に云く「我が願は既に満ち衆の望も亦足りぬ」云云。目連が色心は父母の遺体なり。目連が色心仏になりしかば父母の身もまた仏になりぬ。 

弘安3年(1280)7月13日執筆 
『昭和定本日蓮聖人遺文』1774頁 

(訳) 
目連尊者は、法華経の第二番目である方便品(ほうべんぽん)に「正直に方便を捨てよ」とあるように、小乗の二百五十戒をたちどころに捨て、「南無妙法蓮華経」と唱えたので、仏に成り、その名を多摩羅跋栴檀香仏(たまらばつせんだんこうぶつ)となったのです。この時に初めて、目連の父母も仏に成られました。法華経の第九番目である授学無学人記品(じゅがくむがくにんきほん)には、「私の願いもすでに満たされ、人々の望みもまたかなえられた」とあります。目連の肉体と精神は、父母が遺してくれたものです。そのため、目連の肉体と精神が仏に成ったのであるならば、その父母の身もまた仏に成ったのであります。 

この手紙は、身延山に住まわれていた日蓮聖人が、駿河(静岡県)在住の治(ち)部(ぶ)房(ぼう)日(にち)位(い)の祖母である「うば御前」に宛てられた著作です。
うば御前から、盂蘭盆会の供養として、白米・焼米・瓜・茄子などのお供えが届けられました。
その際、「盂蘭盆とはどのようなものであるのか?」という問い合わせの手紙がありましたので、日蓮聖人は、御礼と共に返書として書き送り、「盂蘭盆」について説示しているのです。 
今回の一節は、目連が成仏し、その父母も同じく成仏したことを挙げています。
目連は、方便品に説示されるとおりに、小乗の戒を捨て、南無妙法蓮華経と唱えたことで、多摩羅跋栴檀香仏との記別(成仏の保証)が授けられました。
また、授学無学人記品の経文を挙げて願望が成就することを示したうえで、子である目連の肉体と精神は、父母から与えられたものであるため、子が成仏すると同時に、その父母も成仏することを、説き示しています。 

※今回は、40号です。
バックナンバー(過去号)も、当ページにて公開しております。