前回には、法師功徳品の文を紹介しましたので、今回は授記品の文を挙げることとします。

授記品第六
如以甘露灑 除熱得清涼 如従飢国来 忽遇大王膳
にょいかんろしゃ じょねっとくしょうりょう にょじゅうげこくらい こつぐだいおうぜん

法華経の6番目である授記品(じゅきほん)では、品のタイトルに「授記」とあり、これが大きなテーマとなります。授記とは、未来成仏の保証を意味し、師匠である仏(釈尊)が弟子に対して、来世に必ず成仏することの保証を与えるのです(記別 きべつ)。

該当部分の経文は、仏の発言ではありません。経文は、仏の発言と弟子の発言で、大きく意味が異なります。この文は、目連(もくれん)・須菩提(しゅぼだい)・迦旃延(かせんねん)等の仏弟子が、一心に合掌し、仏の尊顔を仰ぎ見て、声を同じくして申し上げた部分であります。仏弟子たちが、自らにも、未来成仏の保証を授ける(授記)ように、願うのです。

(偉大なる世尊より私たちは、成仏の予言を授けていただけましたならば、)

それは甘露をふそそぐと熱が除かれて清らかで涼しいことが得られるようでありましょう。また飢饉の国から来て、たちまちに大王の食膳に出会ったとしても、

(心に疑いと恐れを懐き、食べようとはせず、王の仰せを受ければ、ようやく食べるのと同じようであります。)

補足として、該当部分の前後の文脈は、( )としております。弟子たちが、来世には仏に成るという保証を与えるように願い、与えていただけたのであれば、起こることが記されます。
該当部分では、
・熱が除かれて清涼となる
・飢饉の国から来ても大王の食前に遭遇する
とあり、これが経文によって示されます。いまだに成仏することなく迷い苦しんでいる者も含め、すべての生きとし生ける者(一切衆生)を救うためにも、盂蘭盆にあわせて「施餓鬼」法要では、この文が用いられているのです。

ご質問等がありましたら、可能な限り、お答えをさせていただきます。