今日5月12日付けの日経新聞朝刊一面に

面白いコラムがあった。


「値ごろの異変」


と題されていて

300兆円の日本の個人消費の流れが

従来に比べて変化し、

価格面にその影響が出てきているそうだ。


コラムの中にある例えだが、

26インチのテレビと32インチのテレビがあるとする。

同じメーカーの別モデルで

32インチの方が売れているとすると

性能、売れ行きの両方を考えても

32インチのほうが高くて当然だ。


しかし、この「常識」が逆転してきていると言う。

電化製品に限らず、よく売れている物が

どんどん安くなる現象がそこかしこで見られるという。


(以下本文の要約)

①ネットの普及で消費者が価格情報に敏感になった。

②量販店は競合店の価格に敏感になり、

 メーカーは値下げするためのリベートを

 重点的に配分する。


と言うのが理由だそうだ。


僕は①の理由に特に注目したい。


と言うのは、

ここに来てようやく消費者と生産者が

対等な関係に近づいた、と思うからです。


今まで企業側は、

不特定多数に向かって宣伝し、需要や流行を作り出して

値段を決めてきました。

消費者はだまって「そういうものか」と

商品を買っていたのだともいます。


しかし今回のような現象は明らかに

消費者が主体的に選択し

企業側がそれにあわせざるをえない状況です。


これがもっと進めば

今までのように十把ひとからげな商品やサービスではなく

「僕はこういう機能がほしい」

「私はこんなデザインがいい」

と言うような個人の趣向に合わせた消費に

シフトするのは間違いないと思います。


ネットの普及によって

消費者の主体性が増し、

企業側も小さなコストで個人の趣向が把握できるようになった。

その両輪がロングテイルの尻尾の部分の消費を掘り起こし

資本の有効利用がさらに進められるようになる。


hkinimitsuさんの言葉を借りれば

「マスからナノへ」


最近よくweb2.0と言われますが、ネットの世界の中だけでなく

こうした僕たちの身近な部分でも

変化の兆しが感じられるようになり

なんだかワクワクしてしまいます。








って文法合ってるかな??

日本に帰ってきてもう2年か・・・

早いものだ。

英語も全く使わない生活で

だいぶ英語力落ちただろうな。


題にもあるけど、

最近よく感じることは




自然に生きれているだろうかと言う事。




今年は「感じる元年」という抱負を立てたこともあり

普段の自分の感じ方、見方、

そこに焦点を当てて見ようと思っている。


そして気づいたこと。




「相当無理をしている」




もちろん「自然」ということが

勝手気まま、傍若無人と言う意味ではない。

むしろその逆で

自然に生きている人は他人に

「すがすがしい」「楽しい」雰囲気を

分けてあげられるのだとおもう。


自分を「感じ」る様になると

他人を気持ちよくさせようと、過剰に気を使いすぎて

萎縮している自分がいて、

今まで分からなかった

自分の周りにいる人のいい所、自分より「自然な」「無理のない」

生き方がやたらと目に付くようになった。


「7つの習慣」と言う本にも書いてあったが

今の僕はおおよそ「主体的」な生き方ではない。

他人や外部の影響をもろに受けて

心理状況はまるでジェットコースターのように乱高下。

もとい嵐の海の難破船のようだ。







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祖母が亡くなり

すぐさま地元に帰った。


それからは葬儀、

部屋の引き払い

仕事を休める日数は限られていて

2日ほど徹夜で動いた。


残念な気持ちを感じる暇もなく

出社日の前日夜遅くまで

ただひたすら動いた。


すべてが終わり

駅に向かう。

全てが疲労感だった。

体と意識がバラバラになっていた。

数ヶ月ぶりの見慣れた夜景も

はるか遠くのほうに見えるだけだった。



折から社長の電話が入る。

いささか興奮していた、と思う。


「tedinla、いい知らせだ!」

「行けたんだよ!」


その言葉の意味を

頭で理解した一瞬後に

ぐわっと現実感がよみがえった。


以前から追っていた会社。

一度はあきらめかけたが

ここに来て契約したい旨電話があったそうだ。


「おばあちゃんからのプレゼントだな。

よかったな!」


社長の言葉に

見えるはずもないのに

カクカク頷くしかなかった。




アメリカに行って

地元に帰ったかと思えば

また東京に来た。

あまり一緒にいてあげられなかったね。

でも、離れてても

いつもいつもいつもいつもいつもいつもいつもいつも

心配して、応援して、喧嘩して、一緒に楽しんで、辛い思いして、


・・・・・・・最後に一人で逝ってしまった。


でもこれからはずっと一緒だね。


俺も初契約はあんたのおかげだと思ってるよ。

最後の思い出作ってくれたんだね。


初契約も、ばあさんが死ぬのも

俺の人生に一度きりしかないわけで

2ついっぺんに起きたら

嫌でも忘れないさね。


ただでは死なないとは思ってたけど

逝ってしまう時まで派手なんだなぁ。

あんたらしいよ。

ありがとう。




今日はあんたの好きなビール沢山買っていくよ

一緒に飲もう。






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取引先の会合へ出向く途中

警察から一本の電話があった。



祖母が死んだ。



次の日朝一番で帰る。


いつも僕を支えてくれた、と思う。

アメリカで生活が苦しかった時。


地元に帰って、

過酷なアルバイトをしていたとき

味噌汁を作ってくれた。


正月には東京に遊びに来た。

初詣も行きましたね。


あまり悲観的になるのは

故人の意向に反すると思う


母と二人で役所の手続きや

家の片付けをしていると

懐かしい写真が出てきた。


人間はいつか、死ぬ。


今日から精一杯やっていこうと

心に誓う。

アポの合間

喫茶店で一人考えた。


今の自分に足りない物。


知識。

経験。

忍耐。

結果。

実績。

失敗。

決意。

能力。


どれも無いような気がする。

どれかひとつ位は

満足できるような気もする。


正直に言えば


「よく分からない。」


だからこそ


「考える前に、飛ぶ。」


でも、今、飛んでいるかどうか

そんな強い実感があるわけでもない。


でも、「飛びたい。」




そんな堂々巡りをしている時間も

意味の無い時間なのでは?と思う。

客観的になろうとすればするほど

自己否定が自己否定を呼んでしまうようだ。


でも、それほど

精神的にキテいるわけでもない。




不思議な感覚だ。

思えば「何をか為さん」と上京し、

今でもアンテナをいつもビンビンと張るようにし

日々勉強。

めまぐるしく変わる状況の中で

自分なりに徹底的に食らいつく。


視野狭窄に気をつけながら

目の前のことを懸命に。


非日常が日常化し

新たな状況が目の前に生まれる。


疲れてはいない。

精神的にも落ちていない。

しかし上手くは言えないが

とても不思議な感覚だ。







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