幸せになりたい - How to overcome your unfortunate present, you can change it now! -3ページ目

幸せになりたい - How to overcome your unfortunate present, you can change it now!

両親とも田舎の高卒。コネなし、奨学金で大学、大学院を国立を経て、某財閥系商社で24年勤務(含 イタリアとブラジル駐在計9年)、転職して米国勤務1年。この程度なら誰でもなれるって事を証明するブログ。虐めも、変な先生への対処も、子に対する接し方もみんなヒントがある。

息子の卒業したインターで仲良かった家族がいる。そこの長男Cが、インターを先週卒業した。元々はわが息子の同級生で、11年生の途中まで一緒だったが、ハワイに行ってしまったので一年遅れで卒業したことになる。9月からの大学ももう決まっていて、米国のとある州の名門大学に進む、Cは、元々成績もよかったのだから何の不思議もない。 

因みに、旦那Jは、ハワイ出身、半分日系でカリフォルニア育ちの米国人でハーバード法卒、奥さんKは、日系ブラジル人で、サンパウロ大学の建築卒で、二人は京都の研修で知り合い結婚した。Jは元々ドイツ銀行からいくつかのステップを経て、今、不動産関係の仕事を自分でやっている。Kも、仕事をする傍ら、ボランティアも熱心だし、何といっても人脈が凄い。去年のフェスタのブラジルブースもこのKの知り合いから原材料をいろいろ安く手配してもらって僕ら夫婦がチェアとして仕切ってやったわけだ(つまり、その時期は、Cのハワイ転校で、Kはハワイにいた)。 

とにかく、一家は相当リッチだ。家も僕は2回ほど、家内は何回もうかがっているが、そりゃあ凄い。半澤直樹の大和田常務のモデルの家すぐそばで、おんなじ感じだ(笑)。  
長女は米国の大学在で、次男がインターの10年生くらいかな、で、今回長男が卒業したわけだ。

上記の通り、Cは、元々息子の同級生で、息子に依れば、在学中の成績もほぼオールAだったが、完璧過ぎて、ある教科で思ったような成績が取れずに色々あり、やる気を失い、登校拒否のような感じになって、インターを中退して、ハワイのボーディングスクールに転校した。旦那Jがハワイ出身だから、色々と伝手もあったのだろう。僕は、その高校を卒業するのかな、と思っていたのだが、要するに復学して日本のインターを卒業したわけだ。 

で、そうすると単位などが問題なわけだが、Cは別にIBを取ろうとしていたわけでもないので、11年生で転校しても無効になるものもなく、SATも既に11年生で満点近い高成績を持っていたので、多分ハワイの高校である程度の単位を取り、それを、インターの取得済みのものと合算して、卒業したのだと思う。 

正直、中退してハワイに行ってしまった時は、息子からも、「Cがさ、登校拒否かなーと思ったら突然辞めてハワイに行っちゃったよ」と相当ざっくりした内容を聞いて、エーと思って、お宅に伺った時にいろいろ話を聞いたが、繊細だから色々あるのだろうなという感想だった。 

でも、結局「ハワイの学校に通わせ、そこで有効な単位を取得し、また、東京のインターと交渉し、合算させて卒業を日本で迎える」という一連の交渉を各所と連携を取りながらできるからの結果で、そんなのお金と実力と貢献度(日本のインターでも幼稚園から子供3人を通わせている)が有るから出来る技で、普通にやっても無理だ。抑々、そんな道があるなんて普通は分からないし、敷かれている道でもない。 

わが息子を11年生から編入させる時も、我が家は全員日本人だし何のコネもないので、普通は殆ど無理だし、何の参考例もなかった。しょうがないので、家族そろってクリスチャンであると調査票には書いたり(気持ちは。。)、寄附も確りしているとか(これは本当)、学校行事にも協力的である(これも本当)姿勢を示しつつ、ブラジルのインターでも成績が良かった(これも本当)、伸びしろも十分ある(これは学校が判断してね)、ということを、面接も含めて大いにアピールし、ブラジルのインターからも推薦状を貰ったりして、何とか潜り込んだわけだ。 多分我が家もブラジルのインター経験が無かったら、書類見て一発で跳ねられていたと思う、何億も資産があるわけでもないし。こんなの本を探しても、ネットを見てもどこにも書いていないし、運と挑戦と試行錯誤でできる技だ。 

それにしても、JとKから連絡をもらい、親子揃ってのにこやかなGraduationの写真を見て、「お金は全てを解決できるわけではないが、そうとう物言う」のだと、しみじみ感じた結果だった。家内と息子にも、伝えておいた。イヤー本当に。 
TOEIC文法 鉄則大攻略/明日香出版社
¥2,412
Amazon.co.jp
改訂版 TOEIC(R) TEST文法急所総攻撃 (アスカカルチャー)/明日香出版社
¥2,484
Amazon.co.jp
http://www.officiallyjd.com/archives/450568/

学歴が有る際の安定感という考え方は、簡単に言えば『ストック重視』だ。それまでに培ってきたもの(努力の実現結果)の分厚さに重きを置く。だから、仕事を持つ年齢になれば、名の知れた大企業に勤めている人は、正道を歩んできて、そういう評価を受けてきた人なので、同様安心感がある、と言うことになる、そしてお金もちょっとある。これもまた、長年に亘り培ってきた企業の信用力を重視する考え方だ。同様、医者とか、弁護士とか、国家資格を持っている人に安心感を覚えるのもストック重視と言うことだ。また、修士以上の経歴になれば、「その分野での専門性は高い」と言うのが一般的な認識だった。今までの日本の様に、同世代で半分くらいが取り敢えず大学進学を達成(卒業はもっと少なくなるだろうが)するような国では、まぁまぁ一般論としては外れていなかったと思う。ただ、これは、飽くまで、その学校入学・卒業なり、企業に採用されるところまでは努力をしてきたということで、今起こっている経済状況や価値観の大きい変化についていけるのか、と言うのとは余り相関性がないと思う。 


例えば、ストックが沢山あったシャープやソニーが(過去で言えば、山一證券、数々の政府系銀行、都銀、興銀等)があんなことになり、歯医者だって過当競争、医者だってサラリードクターだったら年収1千万円が精々で、その相対的能力に比しては、それほど恵まれているとも思えない、つまり、外れじゃないけど、程度の扱いとなっている。高学歴だって、小保方さんの事件を見れば、思った以上に儚いことも、いい加減な審査でも通ってしまうことも露見してしまった。かつては王道だった中央官庁に勤めるのも同様、大した魅力あることとは思えない。つまり、戦後の「努力の質X量に比例した価値観」が既に相当崩れてきている時代だと言う認識がもてるかどうかがまず第一番だ。 

例えて言うなら、相対的に力を持っていた恐竜が滅びて、か弱かったはずの人間は何故生き延びてきたのかとか、過去の大文明の地域が、今や砂漠だったり、民族闘争の地になってしまっている事実との相似だ。優秀な生物がいる地域だったらずっと繁栄しているべきでなかったのか?そうでないなら、Survival of the fittestは、強いものが生き残るのではなく、環境の変化に適応できるものが生き残る仕組みだということが分かってしまったと言うことだ。 

それからすると、学歴というのは、これからどう生き残るか、と強い相関性を持たないと思う。それよりも、「高い順応力;育ってきた環境と違うところにぶち込まれても、すぐに慣れる」「多様性への深い理解;職業や住居など、人生の選択肢が日本に留まっていない。またそういう人が集まっている場所でも居心地が悪くない」というのが、実は一番つぶしが利くと思う。勿論、その為には複数言語ができた方が有利だが、これも必須と言うよりは道具であって、「高いコミュニケーション能力」があれば、正確に言葉を話すことより有利だと思う。 
つまり、今までの「ストック」にない変化が起きたときに、どう対応して、そのフローに乗るのか、ということで、ストック<フローになってしまっている。 

更に言えば、パーソナリティで言えば、「楽観的である」「一緒にいるとなんか安心する、楽しい」というのも非常に大きいと思う。これは、人を笑わせると言うことではなくて、負のオーラが出ていない、ということだ。負のオーラが出ている人は、周りを巻き込んでドツボに嵌っていく。 

ただ面白いのは、フローの力と言っても、判断力とか、判断基準っていうのは、それまでの経験値によるものが大きいので、正確に言うと、過去のストックの中から普遍性のあるものを取り出して、それを一般化する力をもっているかどうか、は結構生死を決することになる。この力があれば、学校の勉強ができたとかできなかったの指標である学歴よりもはるかに万能だと思う。 

その一般化に役立つのが、ちょっと難しい言葉を使うとレバレッジ、つまり「てこ」である。簡単に言えば、「他力」とか「人脈」などだ。あの人がいうのだから仕方がない、やるか?みたいなものを持っているかどうか、実は凄く重要で、言い方よりも、「誰が言うか」の方がはるかに重要だったりする。 
僕が思う重要な順番は、楽観的>順応性=多様性=コミュニケーション能力>>>>>学歴 だと思う。
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20150528-00000036-jnn-soci

容疑者コメントとして、贅沢な暮らしがしたかったとあるが、一人で贅沢な飯食ってもしょうがないし、52歳だし、女性に貢いでいたとしても不思議でない。銀行の支店長代理だったのだから、世間体から、結婚も、子供も居るかもしれない、家族は悲惨だな。 


僕が一番驚くのが、02年半ばから着服していたのに、顧客が買ったはずの社債がないと昨年?騒ぎ出し初めて発覚ということで、10年以上放置されていたというポイント。10年大丈夫だったら、そりゃ緊張感もなくなり、もうばれないかも、たぶん大丈夫ってなるでしょう。つまり、銀行にとっては、億以下の預金(顧客)なんて大したことないのだから、自分の資産は、自分でWatchするしかないのだ。 

今回の一番の問題は、騙された顧客が、資産確認を自分の目でせずに、人を介して、その言葉を盲目的に信じていたことだ。直接の容疑は、顧客に金融商品の購入を勧めて、通帳を預かり、払い戻しをさせ、その金を着服したわけだが、そんなの自分で口座の入出金をチェックすれば分かること。今は、ネットでもチェックできるし、キャッシュカードをコンビニATMに差し込んで残高確認でも瞬間風速は分かる。そういうことを面倒くさがって、「信用して」他人に預ける、というのがこの問題が発覚しなかった根本であり、僕は、これは少なくとも先進国では、日本独特の問題だと思う。もう一つ、お金に対する教育が確りしていないことだ。つまり、この前の4万円のおつりでもそうだが、人間は、そんなに倫理的に強くないから、チャンスがあれば、ズルをするということが分かっていない。そして、その限度、閾値もどんどん緩くなり、なぁなぁになっていく可能性が高い。逆に言えば、落ちていた財布が戻るなど、諸外国では有り得ないことが起こるのも、日本のよさなのだが、これも勝手に着服したら罪になる、というのが原則と分かっているので、財布ごとなら届けるのがデファクトになっているのだろう。どんなに正直な人でも、目の前に機会があれば流されることも有るのだ、だから、変な機会を与えないようにしなくてはいけない。 

総額1億円の被害にあった顧客連は、殆ど老人だろう。この容疑者の肩書き、笑顔などを信用して任せたのだろうが、抑も自分の資産運用を他人に任せて、それを自分の目で確認しないと言うのが分からない。同じ容疑者相手でも、額の確認を自分でできないのならやらないと言えば済む話で、リスクを避けることもできたはずだが、言いくるめられて、そのまま放置してしまったりなどもあるのだろう。 

例えば、僕なんかは、今回、海外から確定申告の用紙を送った。EMSで送ったから税務署側の受け取りは確認していたが、一部証憑で、日本に居る家内から送ってもらったものもある。中々入金が確認できなかったので、昨年の確定申告の還付をネットで確認したら2月前半の提出で、3月後半には振り込まれていた。5月も半ばを過ぎて、これはやっぱりおかしいと、税務署に電話した。そうしたら、提出書類が足りないと言う。源泉徴収票がないという。それは確実に貼付して送付したはずなのでその旨話すが、今一つ通じない。そこで、気づいたのが、税務署が把握していたのは家内が後から送った書類の方で、(どちらにもメモは入れておいたのだが)、僕が送付したEMSの方がよく分からない扱いになっていた。なので、必ず署内にEMSが有るはずなので確認して欲しいと番号も告げて依頼して、一旦電話を切ってから30分後に掛けなおしたところ、税務署の方は平謝りで、EMSを見つけた、確かにマッチングができていなかったと。結果として、先週末に無事に還付金は振り込まれたのだが、週に1,2回は入出金を確認して、家族にも、税務署から、振込みのお知らせが着たら連絡して、と言っていたのに、やはり来ないということで問い合わせたわけだ。 

こんなのも、自分で口座を確認していないと分からない、税務署に書類送ったら変な事にはならないだろうと思うのが常識だ。実際、税務署から確認の電話連絡があったかもしれないが、携帯あてだったら出られないこともあるし、抑も、全然証憑が揃っていない(なぜなら税務署で確り認識していないEMSの方で9割方書類は揃っており、家内が後付で送ったのは1枚のみ)のだから、優先順位は低くなるわな。しかも、複数の封筒が送られてきたら、同一人物か、メモが入っていたとしても、確認できるかどうか分からない、というのはイメージできていた。今は、海外に出てしまっているので、還付金といっても、寄付金控除が殆どで、医療費控除はできないので還付額はたいしたことないが、昨年は退職金の源泉徴収があったので、それを、きっちり確認しておくこともポイントだったので、それの意味でも面倒くさがってやらない、という選択肢はなかったわけだ。正直、海外から、確定申告するのはめっちゃ面倒くさかったが、やっておいて良かった。 
しかも、米国でも確定申告したので、それも、また面倒くさいことでもあった。 

資産確認は、個人の責任である。大枠は自分で掴んで、プロ(税理士とか会計士)に頼むのは良いが、任せっ切りなら、せめてできた書類の解説をしてもらわないと。意外に、似たような詐欺は多いのかもしれないな。 
紙の月 DVD スタンダード・エディション/ポニーキャニオン
¥4,104
Amazon.co.jp
紙の月/角川春樹事務所
¥1,620
Amazon.co.jp
昔のボスに昨日会った。 
転職活動はどうじゃというのが主体だったのだが、驚いたことに、僕のセイフティネットを作って居てくれた。 
  
僕が20年ぐらい前から10年間ぐらい担当していた、とある地方会社が有る。中小企業なので、決め事は社長と直接話すのが通例だった。僕への印象も、最初は、「(何だかチャラチャラしていて)こやつ大丈夫か?」だったらしいwwが、担当させてみると熱心にやるし、SCMの話はよく分かっているし、言葉もできるということで次第に見直され(笑)、特に14-15年ほど前にとある大手英国製薬会社(って言うと殆ど一つだがww)が、工場査察に来た時に、全ての通訳をやった際に、その時の査察の案内振りと通訳でお墨付きをもらい、『こいつなら任せて良い』と成った様で、結果として、僕は、そこの社長の『最後の」お気に入りと成り、出張で行く度に大量のお土産を頂いたりしていた。 
  
社長は、一応慶応卒だが、方言丸出しの言うてみれば地方のオヤジで、凡そスマートからはかけ離れている。寧ろ、そういう、田舎臭いところをわざと出したり、嫌味を言ったりすることで、僕らがどういう反応をするのかで、値踏みされていたわけだ。だが、流石、社長だけあって人を見る目は確かで、ずばりと厳しいところを突いてくる。僕も、最初は、「こいつは、仕事が優先なのか、女が優先なのか、よく分からん」と面と向かって言われたりしていたが、這いつくばってやっているうちに、認められた部類で、僕がイタリアに居る時にも、ご夫婦で遊びに来てくれたし(しかも、その人の奥さんは、僕が家庭教師をしていた子が今や経営者となっているブティックの上客で、そちらでも繋がっていた)、僕がブラジルに行くときにも、挨拶に行ったりしていた。 
  
僕が離れてからは殆どの担当が首に成り(それも当然である、よく分からない方言で滅茶苦茶罵られるわけだから)、結果、会社対会社では、殆ど話をしなくなっていたのだが、僕の元ボスは、その社長と確りコンタクトを取っており、最近会った際に、僕の話題を出してくれたらしい。それも、中小企業の宿命で、後継者問題と、現在取り仕切っている幹部の方針で手詰まりの際の打開策を話していたらしい。社長の一人息子は、とある情報産業の大手に勤務しているが、跡を継ぐことを覚悟したらしい。ところが、実務は全く分からない中、今の番頭が、商社嫌いで、自力でやるがばかりに、中々、大きな展開が望めず、国内事業に留まっているのを、嘗ての様に、海外大手のSCMも引き受けられるように変えていくべきだ、というのが僕のボスの先方社長への提言だった。 
社長も、「わかっとるんじゃが、人材が居なくて」ということだったので、僕の名前を出したらしい。社長はビックリして、「え、アイツが転職する可能性あるのか?でも、給料高いだろ。このぐらいしか出せんぞ。」と言って言ってきたのが、まぁまぁだったので、「もう一声あったら、何とかなるはず。大体、給与の問題ではないので。」と答えたら、「だったら聞いてみてくれんかのぉ」となったらしく、僕に、転職進捗状況を確認しに来てくれたのだ。 
僕の方を一通り話した際に、「イヤー面白そうだなぁ。いいねぇ」ということだったのだが、「まぁ、全部だめでも、出たいなら、あそこに話しておいた。可能ならぜひ来てくれ、ということだった」と教えてくれたのである。正直、呆気にとられたが、本当に有難い話だと感謝した。
【ブログネタ投稿キャンペーン】好きな映画・ドラマ3つ教えて ブログネタ:【ブログネタ投稿キャンペーン】好きな映画・ドラマ3つ教えて 参加中
ニュースの天才とかいう恐ろしくダサイ題名泣き顔で日本でも公開されたはずだが、ヘイデン・クリステンセンという、ダースベーダーの若い頃をやった俳優が主演だ。確かトムクルーズも製作に関与している。実話をもとにしており、捏造記事から逃れられなくなった記者(Stephan Glass:このグラスが砕けるのと題名は掛けている。秀逸だ!)の悲劇を描いている。これ、どこかに出張行く時に機内で観たはずだ、懐かしい。 

パッとした記事も書けないチーフが、Glassのねつ造を見破る。はじめは廻りも嫉妬だと思って冷ややかだが、徐々にGlassの話は面白すぎるが、辻褄が合わないことが解り、疑問に思う。嘘に嘘の上塗りをしていき、どうしようもなくなり崩壊する。しかも、それを正直に告白して学生の前で講演をして、その勇気やストーリーに拍手をもらい、贖罪をした場面があるのに、それが妄想だという落ちがついている。。実に怖かった。いわゆる夢なら冷めないでくれ、っていうやつだ。同じ恐怖を感じたのは、大和銀行NY支店で、95年に発覚した11億ドルの巨額損失(米国から追放された)だ。この被告が書いた本が「告白」と言う題名で出版されたが、そりゃー怖い内容だった。為替で損しても嘘はやめよう、と決意したねうまい!。その後、GlassはLaw Schoolを卒業して何と lawyerになった、というのが映画の最後に出る(実話)。これもまた感慨深いものがあるね。敗者復活戦なのかしらね。


そして、今、これを最も実感を持って観られる人は小保方さん以外に居ないだろう。

ブログネタ投稿キャンペーン
ブログネタ投稿キャンペーン
ニュースの天才 [DVD]/ハピネット・ピクチャーズ
¥4,104
Amazon.co.jp
親孝行してる? ブログネタ:親孝行してる? 参加中
もしも、余り経済的に豊かな家庭の子供でなかったら、そしてその生活から脱出したかったら??

親は、子供に教育を与えるのが手っ取り早い。その為には、親はTVを見せず、本を与えて、机に一定時間座る習慣をつけさせることだろう。僕の実家は、父は大検、母は高卒だったが、僕の代で修士となり、息子は、インターナショナルスクールに通う様になった。良いとか悪いとかでなく、強制力で変えることは可能だ。それが幸せかどうかは知らないが。 僕は、これも一種の親孝行だと思っている。


1月2日は、毎年恒例の父親との食事。これには通常、家内と息子も行く。息子は、お年玉をもらえるし、まぁ一年に一回だからお付き合いと言ったところ。家内は、外で会うのだから気も遣わないし、これも年一回だからか、受け入れている。但し、今年の家内は今ひとつ体調が優れぬこともあり、欠席。多分、ホッとしていたのではないか。僕自身も、親不孝は分かっているが、年に一回くらいしか会わない。何故なら、いつも通り気が重いからだ。父の発言が読めないことへの不安と恐怖から来る憂鬱さだ。 

一方、父は、多分、もっと会いたいのだろう。今回も、(我々が今住んでいる所に)一度行こうと思って居るのだけれど、と言っていたので、あぁ、前以って言ってくれれば、と適当に相槌を打ったが、それ程真面目には捉えていない。後々、述べるが、色々、困惑するからだ。今の言葉でいうと、「KYな父のせいで」「ウザい」ことがたくさん起こる。 

そして会食場所だが、ここ3年くらいは、いつも銀座の櫃まぶしの店に行く。予約が取れないので、開店時間ぐらいを狙って行くのだが、其処までで既に色々とハプニングが起こるのだ。 

先ず、父は、過去に脳梗塞も、心筋梗塞も(軽いものだが)起こしたことがあり、今は週一で、デイケアに通っている状態だ。実家は、東京都の東の端にある都営住宅で、要するに低所得の人だけが住めるところ。娘たる僕の妹と二人で住んでいる。はっきり言えば、かなり治安も良くない地域である。ここに迎えに行って一緒に銀座まで出るのに、先ず異様に時間が掛かるのだ。最近は、足腰が弱っているのと、心臓(ポンプ)が、良くないからだろう、少し歩くと息遣いが荒くなる。今回も、迎えに行って、集合住宅の下にタクシーを停め下に降りて待って居る父をピックアップして30mくらい一緒に歩いてタクシーに乗り込んだだけでゼーゼー言っていて、「あぁ、これは銀座から直接タクシーで帰らないと無理だな」と思った。大体、構造的にも不便でタクシーもビタ付け出来んし。 

そして、タクシーに乗ってから、最寄りの駅まで15分程度、忘れていた憂鬱が始まる。 

父は、一言で云うと、人格的に未熟で人生破綻者と言える。人生に於いて、殆ど何も成し遂げられなかった人だ。私生活では、家庭内暴力も偶に有ったし、株の先物取引で大損をして、ローンを支払い終わった翌月にマンションを売り払う羽目になったばかりか、今でいうブラック企業みたいな会社を首になった。余りの低賃金に、結果として、僕が大学も大学院も、授業料免除になったぐらいだ。どもって上手く話せないし、仲の良い友達も殆ど居ないだろう。書いて居て暗澹となるような釣書だ。 

今年の車中で話し出したのが、毎度お馴染みの、「家内の実家への悪口」と「家内への悪口」だ。内容も大体同じで、僕が過去に新宿区に買ったマンションの話(既に売り払ったことも数回父に話しているがいつも初めて聞いたような反応をし、当時も今も父が購入に際しアドバイズも何かの援助ができるはずもないが、ボロマンションと見たこともないのに口汚く罵る)、亡母に義母が嫌味を言ったことや、ああ言ったこう言ったということなど。大概、聞くに耐えないことなので、適当に流し続け、息子(父にとっては孫)の話をして逸らす。でも、人間がネガティブなので、結局、そのスパイラルに戻るのだ。 

電車の中は、うつらうつらしながら、また思い出したように、悪口を話すことが多い。 

息子と楽しく3人で櫃まぶしを食べている時も、父が思いついたのは、父の亡弟の息子(僕の従兄弟)が、医学部を目指して3浪くらいしたが、結局入れなかったことをやや嘲笑を交えながら話すことだった。息子が面食らって居るので、僕が、従兄弟は網膜剥離を克服して歯医者になっていることや、その妹がロンドン大学かなんかを出て外資系で働いていることを付け加え、息子は、安心したように頷いていた。これで場が収まると、目的を果たせなかったとばかりに、義兄夫婦に子供が居ないことを、結局出来なかったみたいな言い方で父が切り出したので、 「そう言えば、最近、自転車事故ですっ飛んで大変だったんだ」と矛先を交わすも、「死ななくて良かったな」とか、「(車と)どっちが悪いんだ。」など要するに、デリカシーの欠片もない表現をする。心の中でうっすらと思ったことを、口を噤む事ができないので、ひやっとするタイミングで信じられないことを呟くのだ。 

何と云うか、全ての発想とか切り口がマイナス思考から来るので、その場に居る人を不快にさせたり、困惑させるのだ。多分、僕ら家族(母や、妹を含め)が、キツく言い含め続けなかったせいだと思うが、逆に云うと、どもっている父が偶に発することが、とんでもないことだから、と言って口を閉じ続けさせたとして、それが果たしてどういう効果があったか、とも思う。甘やかした身でなんとも言えないが。事実、ある時期、僕はかなりのダメ出しをしたが、父は全く治らなかった。それは、父のねじ曲がり方が筋金入りで、僕が偶にする矯正(強制かも)程度では治らない歪みだったからだと思う。これは、底しれない劣等感と(世の中の人が認めてくれない)不満感が、作り出す悪魔みたいなものなのだと思う。 

食事を終えて、息子と握手をして、歩き出したが、やはり15m程でゼーゼー言い出したので、怖くなって、タクシーを捕まえた。其処から高速も使って実家まで、約6千円の距離だ。車中、こんどは、僕の昔の友達がどうなったのか、できれば落ちぶれた話を僕から聞いて、我が息子がうまく行っていることを確認したい手法を取るのだが、僕が言いたいことは、「昔輝いているように見えた人生が、今も続いているかどうかは、その人によって違うし、他人から見たものが幸せか不幸せかはその人の本質ではない」ことを繰り返し話すが、結局、父の頭の中には入らない。しょうがないので、すごくうまく行っている奴の話を、うんと話すと、諦めたように黙る。気が重いし、疲れる作業だが、年に一回くらいは我慢して付き合わなきゃいけないんだな、と覚悟している。それを、年始に思い出すのが、結構辛いから憂鬱なのだと思う。今年、唯一良さげだったのが、不肖の妹が、「アルバイト先の資産家老夫婦に気に入られて、遺産相続を弁護士を立てて行なったので、もう俺が死んだあとも、妹を心配することないぞ」という話だった。父の話なので話20パーぐらいで聞いているが、大したことなくても、気に入ってもらえる人がいればまだ良い。本当だったら、後から生じる相続権利者との確執が気になるところだが、まぁ、話し通りのはずもないし、どうせ、大したもんではないだろう。問題がない程度に幸せであれば御の字だ。 

そんな父でも、嫌いにはなれない。可哀想には思うし、情けなくも思うが、僕が今日有るのも、父が我慢してブラック企業で働いたからであり、母がセーブして生活費を捻出していたからなのは明白だ。僕が世の中に恩返し出来るとすれば、現代でも僕と似た様な環境にあっても、腐らずに、理解してくれる友達とか、大人とかを少数でも持って、学校の勉強を続ければ、そこそこな感じまでは成れるよ、という勇気付けぐらいだろう。

こういうのも親孝行だと思っている。



復活して欲しい番組 ブログネタ:復活して欲しい番組 参加中
1)子供のころ 
+白い巨塔 
勿論、田宮次郎のVersionだが、これは衝撃的だった。最終回の放映とほぼ重なるタイミング(実際は2話ぐらい残っていたはず)で、田宮次郎が猟銃自殺しちゃうんだよね。貧しい生まれの吾郎という青年が、教授の娘と結婚して這い上がっていくのだけれど、太地喜和子扮するバーのマダムと恋仲になるとか、リアリティがすごかった。スキルス(性胃がん)という言葉を覚えたのもこれだし、その後、アナウンサーの逸見さんがスキルスになってしまった時に、もうそのやせ方が、田宮次郎と重なって怖かった。このドラマで、山本学の生き方に共鳴したり、太地喜和子にそこはかとない魅力を感じた。 
衝撃度という点では、三島由紀夫の市谷駐屯地での割腹自殺(確か、生首とか、新聞で見た記憶あり)と共に、子供のころの深い記憶だ(あと、あさま山荘の鉄球)。 
大体、山崎豊子の原作は、華麗なる一族も、沈まぬ太陽もとても面白い。徹底的なリサーチとリアリティの追及からくるものだと思う。 その山崎豊子も亡くなった。RIP。

+どてらい男(やつ) 
これは、今思えば、商社の話なんだよね。西郷輝彦が、兵役で、藤岡重慶扮する鬼軍曹に滅茶苦茶いびられるシーンが、子供心にも可哀そうだった。多分、それでも、負けずに切り開いていくところにカタルシスを感じていたのだろう。全くTVを観ない少年だったし、母親も見せてくれなかったが、何故かこれはOKだったのは、なんでなのだろう? 

2)浪人の頃 
+北の国から 
これ、駿台予備校に行って、帰ってくると、やっていた記憶がある(初めは、金曜夜の放送だったらしいのだが、予備校から帰ってきた土曜の昼に見た記憶があるので、前年の再放送だったのだろうか?)。もう、テーマソングと共に、今でも、これを観ると、抜けられないトンネルというような重苦しい気持ちがまざまざと蘇る。話も、最初のシリーズの半ば当たりから、もううまく行かないことの連続で、ヒロインで出てくる子が、内田有紀とか、宮沢りえとか、裕木奈江とか、癖があって、不幸を呼びそうな感じで、そういう設定でもあったので、決して明るい気持ちにはなれなかった。 
でも、何というか、ドラマから元気や勇気をもらうみたいな思考回路ではないので、辛いことがあっても進めていくのが人生、という感じで共感していた。 
結構シーンも覚えているし、蛍役の中嶋朋子の歯茎がどんどん気になっていったドラマでもあった。 

3) 大人になってから 
+Sweet Season 
ぐっとくだける。これは、旅行会社の上司(椎名桔平)と部下(松嶋奈々子)の不倫もの。正直言えば、最初は見ていなかったのだが、偶々、アシスタントのK嬢とそういう感じになってしまい、もう完全に自己投影してしまった。二人が、温泉に行くシーンがあり、宿帳に「同じ苗字」を書いたりとか、偶々、松嶋奈々子のお父さんも同じ温泉に来てしまい、露天で男同士が遭う(もちろん素性は知らない)など、自分と重ね合わせるシチュエーション満載で、かなり心情的にはきわどかった。因みに、椎名桔平が記憶喪失になったり(笑)、香港転勤になったり、すったもんだの末(喪失も回復して)一緒になる、という陳腐な結末だが、僕自身もミラノ転勤でお別れするなど、バカみたいに投影してしまった。今思うと恥ずかしい。周りにももちろん知られてしまうし、ちょっと、その女性には迷惑を掛けました。彼女は、その後、米国籍のコスタリカ人と結婚して、今は子供二人のお母さん。数年前に、とある集まりであってハッとした。昔より痩せて綺麗になっていて、周りの人からは、「Kさん、何か綺麗になったよねー。(くるっと振り向かれて)後悔している?」とからかわれた。後悔はしなかったが、幸せそうでよかった、と思った。 

こうしてみると、医療関係(大学・大学院の専攻)と商社(仕事)と浪人(傷)と女性(傷?(笑))って、結局、自分の人生の関心事が記憶に残るわけだ。



白い巨塔 [DVD]/角川書店
¥3,024
Amazon.co.jp

どてらい男(やつ) (MEG-CD)/日本クラウン株式会社
¥1,028
Amazon.co.jp
共産党志位氏の「共産党がいれば日本は戦前に戻らない!」に共感? ブログネタ:共産党志位氏の「共産党がいれば日本は戦前に戻らない!」に共感? 参加中
“That which is accepted as knowledge today is sometimes discarded tomorrow”. Consider knowledge issues raised by this statement in two areas of knowledge. 

息子が部屋でせっせと書いていたEssayを、今朝、LINEで「まだ終わってないけれど、内容チェックしてくれる?」とカジュアルに依頼有った(笑)。打合せの合間に読んで、所々修正したのだが、文章構成とかロジックが面白い。 


最初の知の認識と破棄の話は、Scienceの発展の中で起こった、ということで、Andreas Vesalliusという、ベルギーブラッセル生まれの、現代解剖学の父と言われる人物が、それまでの常識を破って、解剖書を記したことを述べ、それは一種のパラダイムシフト(PS)だとした。次に、PSは、芸術でも起こるとし、例えば、ゴッホの作品は生前は余り評価されていなかったものが多い一方、死後の評価はうなぎのぼりで有ったりするが、それらの変遷は、やはり、判断基準の主となるものが、EmotionsとかPerceptionsだったりするからで、時代と共に人の好みが変わるというLogicでは説明できない要素が入るからだ、としていた。そして、話を、Faith(信条)の部分に持って行って、第二次世界大戦の鬼畜米英から、戦後復興で、日本は、米国や世銀からの借款や、Supportで、立て直していった経緯で、戦後70年をかけて、米国への認識をPositiveに変えて行ったということを述べていた。最後のエピソードで、自分としてのPSは、昨年夏に、東日本大震災の被災地(陸前高田、石巻中心)に行って、報道と実際の復興との大きなギャップを感じたことにより、情報の鵜呑みではなく、自身の目で判断することの重要性を痛感したこと、また、その情報が、どういう理由や証拠に基づいたものなのか、良く吟味することが重要だとしていた。一方、Emotionsや、Perceptionsが判断基準になった知識は、時代の変遷によって、人々のPriorityや、Virtueが変わることによりある日突然、全く違う意味となることが有り得るということを認識すべきだ、と書いていた。 

「わかんねぇよ」とか、ぶつぶつ言いながら書いているわけだが、僕もヴェサリウスなる人のことは恥ずかしながら知らなかったし、戦後補償も、日本が、中国、韓国を初め東南アジア諸国に行ったものは知って居ても、米国なり、世銀なりの話というのは、殆ど認識なく、日本が、自助努力で復興を遂げて行ったとある意味美化していたことに気が付かされた。勿論、原爆を使って焼け野原としたのは誰だ、と言う論議はあるにせよ、「勤勉で、努力を続けられる日本人としての国民性や、他と同一にする空気みたいなもの」が、大変効率的に働いたということを改めて認識することとなった。 

息子の学校には、滅茶苦茶優秀な韓国人が多く、彼らの中でも、「竹島って呼ばないで、独島だから」というのもいれば、「どっちでもいい」も「国際的には日本領土でしょ?」と発言するのもいて、それらを実際に見聞きして、意見のVariationや、調整の度合いを知る、という点では非常に恵まれた環境だな、と思った。 

僕は、日本の「受験勉強型学習法」に一定(以上)の評価をして、やはり、ある程度のコアとなる知識を身に付けるためには、がり勉という行為が必要であると思うのだが、それらをOutputするというか、他人の批判に晒して、別の角度から見るとか、そういう訓練の必要性も感じるのである。折角、東大など一流と言われる大学の入試に面接などのシステムを導入するなら、しっかりそれをManageできる人を配置して実のあるものにしてほしい、と思う。 



恋人と毎日連絡とるのは普通? ブログネタ:恋人と毎日連絡とるのは普通? 参加中
いまでこそ、バレンタインなんぞ、チョコレート会社の陰謀と言って笑えるが、小学生の時は、正直、2月14日が来るのが嫌で、嫌で仕方がなかった。おそらく、運動が苦手な人の運動会を迎えるのより嫌なくらいだったろう。 

物心ついたころには、牛乳瓶底メガネをかけた、やや長髪の(そうだよ、オタクだよ、しかもキモい方の)イケていない子供代表だったので、何というか、クラスの女の子のお母さんの人気があって(お母さんたちはある意味したたかな計算をしていたことに成る)、本人からは全くダメというパターンだった。あの頃、キモいという言葉があったら、絶対にキモ○○とかつけられていた(そしてそう簡単には立ち上がれないぐらい傷ついたであろう)のは間違いなので、無くてよかったと心より思う。 

なので、学生時代(特に高校生まで)の良い思い出は見事なほど一つもない。大学院生になって女の子と同棲(なんと今Face Book友達だが)するまでは、ほとんど何もなかったに等しい。 

特に小学生の時は、残酷だった。下駄箱にチョコが入っていないか、その日だけドキドキしたり、机の中に入っていないかドキドキしたり、全く根拠がないのにドキドキだけしていたが、全て無駄だった。当たり前だ、そんな間柄の女の子は一人もいなかったのだから。でもわかっていなかった僕は、その日だけ奇跡的に誰かくれないか、と願っていた。何なら大して好きでないあの子でもいいや、などと思っていたが、その子を含めだれもくれないのを確認するだけだった。 

逆にたくさんもらう男の子(大概、運動部のキャプテン、センタープレーヤー、音楽バンドのプレーヤーなど)に嫉妬の炎をその日だけメラメラ燃やし、落ち込んだ15日を迎え、しきりに忘れようとしたものだった。 
そのうち、お返しと称して、3月14日のホワイトデーが設定され、その日に向けて、何も買えない自分も本当に情けなかった。 

一方、会社に入ってからは、バレンタインは、できるだけ一人の女の子とご飯を食べに行くのを避け、仕事を入れて、薄まるように過ごした。彼女がいるときでも、パレンタインでご飯を食べに行くのはお仕着せだからおいしくない、と言って外したりするようになった。生意気であった。 

さて、そういう行動をとる原因となった一番衝撃的だったバレンタインは、93年のものだ。92年の夏ぐらいから今の家内と付き合っていた僕は、家内と出会う前は、常に3-4人と何と無く付き合っていて、当該時期に一番頻繁に会っている女性が『彼女』なんだろうなーなどと不届きなことを思っていた。その意味からすると、家内と付き合いだす直前に付き合っていたのは、電通のアルバイトであり(その後、○○生命の○○支社長夫人になったので大出世だ)、終わったつもりの人で、銀座の画廊に勤めていた人(まだ独身かもしれない)、そして今回の事件の某住宅メーカ勤務の女性Sがいた。

Sは、中々きれいな女性で、他に彼女を慕っている男の人は何人もいたのだが、何だか、そういうやつから、彼女の連絡先を聞いてコンタクトをしたのが最初というちょっと今では考えられないくらい空気を読まない接近であった。彼女は、殆ど僕に興味がなかった様子だが、一生懸命口説いたのと、地方から出てきて一人で暮らしているのが寂しかったのだろう、何回かのデートの後付き合うことに成った。そこで驚いたのだが、顔はかなりきれいだったのだが、体の相性があまり良くなかったのだ。何というか、すぐに潤ってしまって、僕の方が今一つ気持ちが良くないのだ。かといって乱暴にすると可哀想なので、何と無くフラストレーションがたまり、自分から結構真剣に口説いたのに足が遠ざかり、もっと蓮っ葉な、電通とか、それ以前に付き合っていた画廊の子の元に戻って適当に付き合っているうちに、家内と付き合いだしたので、それまでの女の子は殆ど音信不通としていた(原則)。 

さて、93年の2月14日の朝、中目黒の僕のアパートを朝7時過ぎにブザーを鳴らす人がいる。初めは新聞勧誘か、と思ったが、いや、違うな、正直心当たりは数人いるので、恐る恐るスコープ越しにのぞくと、Sがいるではないか。。 

ウソだろ、と思ったが仕方ない。ドアを開けると、「おはよ。」と笑みを浮かべながら入ってきた。「ひ、久しぶり。。どうしたの?」「え、これ、バレンタイン」と言って、チョコと何かの包みをくれる。「え、いや、あのー、前も話したと思うけれど、もう付き合っていないからもらえないよ」その途端Sはものすごく悲しそうな顔になり、「だったら、私はこれ(包み)どうすればいいの?」「。。。わ、わかった、取り敢えずいただきます。有難う。」 

そういって、もらったチョコと包みを押し入れに押し込み、途中だった着替えを終え、一緒に家を出た。その頃は、目黒警察の前に、バス停があり、一緒にバスを待っていると、遠くを見ていたレオパレスが突然「。。人って。。人ってそんなに簡単に他人を好きになったり嫌いになったりできるかな。」と言われた。バスを並んでいた前のサラリーマンとOLがぎょっとして振り向く。「。。。え、あ、あの、ちょっとここでは止めてくれる?」バスに乗ったが気が気でない。 

そして、中目黒の駅に着き、今度は日比谷線の始発を待つ。そういう時に運の悪いもので、当時の部長が、田園都市線から乗継ぎで、僕とSの殆ど目の前に並んだ。そして、「でも、安心して。今日は別れに来たから。。」 

うわー部長に聞かれるのでは、とパニックになった。そして乗り込んだが、アッという間に席は埋まり、運の悪いことに、座った部長の目の前の吊革に僕とSだ。「。。おはようございます。」「おー○○クン、おはよう。」このオジサンと知り合いだと判ったら、Sは笑みを浮かべながら部長に会釈する。不思議そうな顔した部長は、僕とSの顔を見比べ、ニヤッとして、「綺麗な子だな」「。。。。」「あのね。わたしね。。」横と目の前から攻撃を受けて、正直何をどう話したのか覚えていないが、地獄の時間が過ぎて、日比谷となり、全員降りて、彼女は、違う線へ。千代田線に乗った僕は、会社に着いてから、部長に言われたさ。「詳しいことは分からないが、誠意ある対応をしなさい。」「。。。はい。」 

その日、確か今の家内とバレンタインの食事をして中目黒に一人で帰った僕は、寝る直前に包みの存在を思い出し、押し入れから出して、爆弾だったらどうしようと耳を近づけたりしながら、開けた。 

中には、僕が、Sにあげたグラスの返品と共に、メッセージカードが。「いつかまた、このグラスでイチゴとシャンパンを食べましょう。」そう、Sと僕は、プリティウーマンを観て、その中の印象的なシーンを真似した。その為に、シャンパングラスをシャンパンと共にSにプレゼントしたモノの返品だったのだ。そうか、仕方ないな、と思ったがふと見ると、グラスにはシールが付いている。そこで気づいた。 

これは返品ではない、新品だ(韻を踏んでいる場合ではない)。僕が、どこで買ったのか(日比谷シャンテだが)勿論言わなかったのに、そこを見つけ出して、同じものを買っていたのだ。ぞーっとしながら、はたと気づき、チョコの包みを開けると手作りでやっぱり中にはイチゴが入っていた。。 

これを話すと皆爆笑するのだが、怖かった、心底。。かなり一級のホラーだと思う。以降、僕はバレンタインの朝は結構ビクビクしている、ドキドキではなく。。しかも、これで話は終わらず(たぶん)、謎のクリスマスイブ事件というのに繋がるのだった(つづく) 

イチゴとシャンパンって本当に言われると怖いよ。

プリティ・ウーマン 特別版 [DVD]/ブエナ・ビスタ・ホーム・エンターテイメント
¥1,543
Amazon.co.jp
スタバで何飲む? ブログネタ:スタバで何飲む? 参加中

その1)
昔、ブラジルに行く前の
東京在の頃、小学校の高学年だった息子が友達の家に泊まりに行き、家内と六本木で食事をしたことがある。

スタバで待ち合わせをして居たら、家内が来て、バッグをテーブルに置いて注文をしにレジに行った。コーヒーフラペチーノを啜っていたら、背中合わせに居た女性が、「真冬なのに相変わらず冷たいものしか飲まないんだね。」と呟くので振り返ったら、前に付き合った銀座の画廊に勤めて居た子だった。

ビックリして口あんぐり。その横には友達らしき女の子が苦笑している。家内が戻って来たらすぐ出ようとバッグを持ったが、これまた遅い。

また、戻って来てもじっくり着席して色々話し掛けてくるが、後ろで耳がダンボになっている気配が濃厚なので、気が気でない。そのうち、家内が自分が載っている雑誌(家内は一時期読者モデルだった)をバッグから出して、色々撮影時の説明をする。その時だった、後ろで聞いて居たその2人組が、立ち上がる気配が。。良かったと思ったのも束の間、こともあろうに、家内が持っている雑誌を指差し、「あー、それ私たちも買いましたー。それに載っていらっしゃるんですか~?とか家内に話しかけて来やがった。僕は、全く反応ができず、固まって居た。多分、15秒ぐらいで去ったのだとは思うが、地獄のような時間だった。その時がきっかけで名刺を作ると言ったので、本当は反対したかったが変に勘ぐられても嫌なのでそれは何事もなかったようにしている。あの時名刺を渡して居たらきっとその場で倒れて居たと思う。これは、2007の初めだったと思う。座る時にポジションを気にするのは、ゴルゴ13だけでは無い。僕も違う意味で、相当気にする。特に日本では。


その2)
日本に居る2006年の秋頃だった。偶々スタバで何回か偶然遭って知り合った、TDLでキャストとして働いている女の子がいた。当時二十歳だったと思う。懐いて来たのでご飯を奢ったりしていたら、その度にこまごまと何かくれる。100円ショップものが多かったように思う。心遣いは嬉しかったが、趣味にも合わないし、使い途が無いので、会社のデスクの引き出しに次々と溜まっていった。ある時、赤坂でご飯を食べたのだが、彼女が酔っ払ってしまい、遅くなり家に帰れなくなったので、赤坂見附のエクセル東急をとってあげて部屋に送って行ったら、抱きついて来た。。
エーと、帰りましたとさ。 そういうことにしてくれ。