職場でね、「さんびゃくろくじゅうどひょうか」なるものがあった。

(なんとなく、検索避けでひらがな)

 

上司~同僚まで(といっても私の場合は目上のみ)、

互いの長短所を点数付けたりコメントしたりして、

その結果をもとにグループワークするというもの。

 

「他人からみた自分」がわかり、

それをもとに今後改善できるところはしましょうという。

 

もちろん大なり小なり直せるところはあるし、

直すべきところもあると思う。

だけどやっぱり心のどこかで

「いや、でもこれが私だし」と思ってしまうところもある。

 

結局、今の私になるまでにいろいろな過程があったわけで。

その末に悩んで今の私ができているのに、

それを直すのってそんなに簡単じゃないよね。

 

前にも書いたことあるかな?

私は「2・6・2の法則」を信じている。

私が何をしたって2割の人は私のこと好きだし、

私が何をしたって2割の人は私のことが嫌い。

残りの6割は私の言動によって好き嫌いが分かれる、らしい。

 

私のことを嫌いな2割を気にすることに疲れた。

私が良かれと思ってやった何かが、

相手の取り方で「嫌い」に転ぶんだったら、

そんなこと気にすることに私はもう疲れている。

 

 

同じ班だった人の話を聞いても、

別に今のままでいいんじゃない、と思ってしまった。

だって、それが君じゃん。

それが君だって思っていて、

そのうえで君と仲良くしたいと思っているよ。

それが君だと思ったうえで、

業務上も支障がないんだから、いいじゃない。

 

逆に自分を出さなすぎな人は、もっと出していきなよ、と思う。

大丈夫だよ、君が君を出したって、2割は君を好きなままだから。

 

 

業務にかかわる個所については

もちろん直していきたいと思うけれど、

それ以外については変える気になれないな。

この考え自体が大人げないのかもしれないけれど、

それで私が疲れてしまうなら、

今のままで元気にいきたいものです。

 

くろねこ

 

「誰もがあなたのように元気なわけじゃないんだから」

ふざけんなよ、こっちだって最初からこうやってたわけじゃない。

こうやってないとやっていけないと思うときがあったんだよ。

変わろうと思った結果だよ。

本日は、同期会でした。

 

私の会社はそんなに大きいところではなく、

同期は男女3人ずつの6人しかいない。

 

これまで3年間、最初はぎこちなく、

年に2回の同期会も盛り上がるようになるまで2年かかり、

常に一緒なわけではないけど、

集まってみれば安心できる場所だった。

 

そんな同期が、ついに1人転職してしまう。

 

彼女とは正直最初はあまり仲良くなく、

仲良くなれる気配も薄かった。

だけどだんだん一緒の飲み会にいる機会も増えて、

ついに彼女の送別会には4回参加するほどになった。

 

自分で思っている以上に彼女が好きだし、

彼女が去ってしまうことを寂しく思っている。

 

もちろん転職って彼女にとってはプラスなことで、

ちゃんとに決まったことは「おめでとう」って素直に思う。

 

最初は大変なこともあるとは思うけど、頑張ってね。

 

 

彼女からのメッセージカードに

思った以上にうれしいことが書いてあったので、

なんとなく書きたくなった、そんな感じ。

 

 

先日、あることをやらかしてしまった。

そしてその謝罪のLINEは相手に既読スルーされた。

ただ受け取って終わりなのか謝罪を受け入れないのか、

あちらにしかわからないけれど、とにかく既読スルーされた。

 

その後も相手の人とはすれ違うことがあって、

「お疲れ様です」の一言さえもぎこちなく感じて

どうしようもない日々を過ごしていたけれど、

この間やっと立ち話ができました。

 

立ち話の最後に「先日はすみませんでした」と伝えたら

「えー、何が」と言ってくれたけれど、

本当に「何が?」と思っているのか、その話をしたくないのか。

それはもうわからないけれど、

とにかく、これでもう、私は謝罪できなくなった。

 

 

「謝る」とはなんなのだろうか。

「謝ることは、自分が楽になるための行為だ」という人もいる。

だけど、謝らないことには申し訳なく思っていることは伝わらない。

 

「申し訳なく思っていることを伝える」

そのこと自体が自己満足なのだろうか。

 

今回はわたしが謝る立場だったけれど、

もちろん人に謝られることだってある。

 

謝られないことには許せないことってあるし、

謝られたって許せないこともある。

 

きっと、「謝る」という行為は一度は必要なのだろう。

それを許す/許さないは相手次第だし、

結局「許されたい」というのもこちらの自己満足なのかもしれない。

それでも謝らないことには何も進まないし、

やっぱり申し訳ないことは事実なので伝えたかった。

 

今回の件について誰かに何か言われたわけではないけれど、

謝罪さえも迷惑なのではないか、と思うともやもや。

 

ああ、「許されたいが故の謝罪」は自己満足かもしれないけれど

「罪の意識があること」をわかってほしかったのかもしれない。

「わかってほしい」というそれもまた、

自己満足なのかもしれないけれど。

 

くろねこ

 

もっと上手に生きたいね。