春。
久々の更新。
去年の夏頃に親父と植えたチューリップの成長写真です。

4/9/2012

4/13/2012

4/24/2012

5/82012

5/12/2012

5/13/2012
芽が出たのに気づいてそれから約一ヶ月での開花。
嬉しいですね。
庭の梅と桜は今年は咲かず。
畑もいい感じになってきてます。
今のところ、
枝豆
ネギ
ハスカップ
ブルーベリー
イチジク
リンゴ
柿
野菜は収穫できても果樹はいつになるのやら。
でも楽しみがあるのはわくわく。
また更新していきます。
Tetsu
去年の夏頃に親父と植えたチューリップの成長写真です。

4/9/2012

4/13/2012

4/24/2012

5/82012

5/12/2012

5/13/2012
芽が出たのに気づいてそれから約一ヶ月での開花。
嬉しいですね。
庭の梅と桜は今年は咲かず。
畑もいい感じになってきてます。
今のところ、
枝豆
ネギ
ハスカップ
ブルーベリー
イチジク
リンゴ
柿
野菜は収穫できても果樹はいつになるのやら。
でも楽しみがあるのはわくわく。
また更新していきます。
Tetsu
11.11.28
こんばんは。
報告です。
ようやく少し落ち着いたのでこの場を借りて書こうと思います。
2011年11月28日に父が亡くなりました。
肺ガン。
60歳でした。
帰国したのが2月。
病院から家族と一緒にということで呼び出され、
父の体調を知り、まさか自分の親がとは思えなかった。
3月から入院して抗がん剤治療がスタート。
まずは6月までの治療。
父はすぐにでも手術して摘出できるものだと思ってました。
僕もです。
しかしリンパへの転移もあったため、難しいとのこと。
週末は外泊許可が出て、いつものように父と走りに行ったことも。
見た目はいたって健康体。
本当にガンか?って思うくらい。
抗がん剤に強い、弱いってないらしい。
合う、合わないらしいです。
5月には顔にしびれが出てきて、脳の検査をしたところ。。。
脳への転移を発見。
札幌の病院へ入院&手術(ガンマナイフ)。
手術は成功できれいに脳の腫瘍は消えました。
それからはまた抗がん剤治療を再開。
抗がん剤も効いてたのか、多少、サイズが小さくなる。
6月になり、退院。
そのときの状況としては、腎臓への転移。
見た目はいたって普通。
筋力の低下あり。
それからは自宅療養しながら飲み薬の抗がん剤をすることに。
筋力の低下もあるから靴を買って体調の良いときは歩くことに。
ときには畑仕事をしたり、二人でよく買い物へ行ったり、海に行ったり。
7月。
札幌の病院へ脳の定期検診。
小さな転移あり。
8月。
誕生日を迎え60歳。
退職。
今までご苦労様。
石川県のばあちゃんの家に母親とおれの3人で行く。
この頃から体力も一気に低下。
腰痛を訴えるようになる。
ただ筋力が低下していて痛いの推測。
脳の転移はきれいに消える。
しびれは残ったまま。
でもまずは消えたことで安心。
父の嬉しい顔を見るとおれも安心。
9月。
ウォーキングが日課になってきて、仕事が早く終わったときには一緒に行く。
色々な話。
体の話。
仕事の話。
色々な話。
父がすごくいきいきしていたと思う。
おれも一緒。父と話をしてると考えが似てるんだなと。
やっぱり親子。
庭にチューリップを一緒に植える。
100株。
10月。
腰の痛みが悪化。
検査結果。。。腰椎への転移。
放射線治療スタート。
手足にむくみ。
腎機能が低下。
再入院。
放射線治療中止。
放射線よりも腎機能低下の治療を優先するため。
食欲も低下。
11月。
親父の親友が石川県から来る。(内緒で伝える。)
父、焦るが嬉しそうな顔。
アメリカからおじと祖母が来日。
おじ、帰国。
日本のばあちゃんも来る。
父も嬉しい半面、こんな姿で申し訳ないと。
おじとスペイン語で話をしているのを見て改めて尊敬。
父とおれの強い要望で放射線治療再開。
少しでも外へ出させてリフレッシュさせたかった。
放射線治療終了後はいつも金太郎池へ行き、色々な話を。
23日。けいじが東京から帰省。
27日。札幌で英語の試験。
帰りに病院へ会いに行く。
いつものようにしょうもない話をして愚痴を聞いたり、医者がどうのこうのって。
たまに会話が飛んだりもしてたけど。
28日。
病院から電話。父の容態が急変。
急いだけど間に合わず。
すごく悔しかったです。
頭の中が真っ白に。
涙が止まらなかった。
父が家に帰ってきて顔を見るだけで涙が出ました。
30日。通夜。
たくさんの人が父に会いにきてくれました。
父の大きさを改めて実感。
遠くは九州からも。
この日は自分の誕生日でした。
今までにない、最高の誕生日だったと今でも思ってます。
父の偉大さを知って、たくさんの人に慕われてた、愛されてた人なんだなって。
入院してるときは毎日病院へ行きました。
仕事が終わって、父の顔を見て、話すことはいつも一緒。
退院してからやりたいこと。
母親の愚痴。笑
弟たちのこと。
仕事のこと。
人生。
気づくと母親よりも近い場所にいることに気づきました。
父もいつもおれを頼りにしてくれるし、
なにかしてあげたい。
楽にしてあげたい。
と毎日思いました。
父親はいつも
ありがとう。
申し訳ないな。
と。
でも
そんなことはないよ。
今まで育ててくれたんだから当然のことをしてるまでだから気にしないで。
と言いました。
僕にとってなに一つとして『苦』に思うことはなかったです。
仕事を辞めてでも、犠牲にしてでも父のそばに居たかった。
親父は白黒はっきりモノを言う人。
まじめ。
負けず嫌い。
そして頑固。
ゆっくり休むことができない人でなにかしてないと落ち着かない。
最高の親父でした。
今でもそう。
だれにでも自慢できる親父です。
世界一の親父です。
親父が教えてくれたことはたくさんあります。
いまだに実感がないです。
ずっと単身赴任してたから今にも帰ってきそうな気がします。
もっともっと親父と色々なことをしたかった。
人生を教えてほしかった。
一緒に走りたかった。
退職をして落ち着いたらふるさとに戻ることを楽しみにしてました。
そんな第二の人生をさせることができなかったことがすごく悔しいです。
親父は最後の最後まであきらめてませんでした。
親分肌だけど決して威張らない。
子分を大切にする愛情のある親分。
だから自然と親父の周りには人が集まっていたそう。
色々な人から親父の話を聞きました。初めて会う人、親しい人。。。
本当に幸せです。
親父の息子でよかったです。
人は
『今までごくろうさん』と言います。
でも僕はまだ天国でも走っていてほしいと思ってます。
親父のことはたくさんの人に黙ってました。
親父が周りには心配させたくないからというのを理由に。
申し訳ないなと思うこともありました。
最後の最後まで親父らしかったと思います。
ここで書こうと思ったのは自己満なのかもしれません。
ただ、自分のひとつの記憶、記録として残したかっただけです。
そして簡単にですけどたくさんの人に親父のことを知ってもらえたらと思う気持ちもあります。
父に関わったたくさんの人へ言いたいです。
今までありがとうございました。

Tetsu
報告です。
ようやく少し落ち着いたのでこの場を借りて書こうと思います。
2011年11月28日に父が亡くなりました。
肺ガン。
60歳でした。
帰国したのが2月。
病院から家族と一緒にということで呼び出され、
父の体調を知り、まさか自分の親がとは思えなかった。
3月から入院して抗がん剤治療がスタート。
まずは6月までの治療。
父はすぐにでも手術して摘出できるものだと思ってました。
僕もです。
しかしリンパへの転移もあったため、難しいとのこと。
週末は外泊許可が出て、いつものように父と走りに行ったことも。
見た目はいたって健康体。
本当にガンか?って思うくらい。
抗がん剤に強い、弱いってないらしい。
合う、合わないらしいです。
5月には顔にしびれが出てきて、脳の検査をしたところ。。。
脳への転移を発見。
札幌の病院へ入院&手術(ガンマナイフ)。
手術は成功できれいに脳の腫瘍は消えました。
それからはまた抗がん剤治療を再開。
抗がん剤も効いてたのか、多少、サイズが小さくなる。
6月になり、退院。
そのときの状況としては、腎臓への転移。
見た目はいたって普通。
筋力の低下あり。
それからは自宅療養しながら飲み薬の抗がん剤をすることに。
筋力の低下もあるから靴を買って体調の良いときは歩くことに。
ときには畑仕事をしたり、二人でよく買い物へ行ったり、海に行ったり。
7月。
札幌の病院へ脳の定期検診。
小さな転移あり。
8月。
誕生日を迎え60歳。
退職。
今までご苦労様。
石川県のばあちゃんの家に母親とおれの3人で行く。
この頃から体力も一気に低下。
腰痛を訴えるようになる。
ただ筋力が低下していて痛いの推測。
脳の転移はきれいに消える。
しびれは残ったまま。
でもまずは消えたことで安心。
父の嬉しい顔を見るとおれも安心。
9月。
ウォーキングが日課になってきて、仕事が早く終わったときには一緒に行く。
色々な話。
体の話。
仕事の話。
色々な話。
父がすごくいきいきしていたと思う。
おれも一緒。父と話をしてると考えが似てるんだなと。
やっぱり親子。
庭にチューリップを一緒に植える。
100株。
10月。
腰の痛みが悪化。
検査結果。。。腰椎への転移。
放射線治療スタート。
手足にむくみ。
腎機能が低下。
再入院。
放射線治療中止。
放射線よりも腎機能低下の治療を優先するため。
食欲も低下。
11月。
親父の親友が石川県から来る。(内緒で伝える。)
父、焦るが嬉しそうな顔。
アメリカからおじと祖母が来日。
おじ、帰国。
日本のばあちゃんも来る。
父も嬉しい半面、こんな姿で申し訳ないと。
おじとスペイン語で話をしているのを見て改めて尊敬。
父とおれの強い要望で放射線治療再開。
少しでも外へ出させてリフレッシュさせたかった。
放射線治療終了後はいつも金太郎池へ行き、色々な話を。
23日。けいじが東京から帰省。
27日。札幌で英語の試験。
帰りに病院へ会いに行く。
いつものようにしょうもない話をして愚痴を聞いたり、医者がどうのこうのって。
たまに会話が飛んだりもしてたけど。
28日。
病院から電話。父の容態が急変。
急いだけど間に合わず。
すごく悔しかったです。
頭の中が真っ白に。
涙が止まらなかった。
父が家に帰ってきて顔を見るだけで涙が出ました。
30日。通夜。
たくさんの人が父に会いにきてくれました。
父の大きさを改めて実感。
遠くは九州からも。
この日は自分の誕生日でした。
今までにない、最高の誕生日だったと今でも思ってます。
父の偉大さを知って、たくさんの人に慕われてた、愛されてた人なんだなって。
入院してるときは毎日病院へ行きました。
仕事が終わって、父の顔を見て、話すことはいつも一緒。
退院してからやりたいこと。
母親の愚痴。笑
弟たちのこと。
仕事のこと。
人生。
気づくと母親よりも近い場所にいることに気づきました。
父もいつもおれを頼りにしてくれるし、
なにかしてあげたい。
楽にしてあげたい。
と毎日思いました。
父親はいつも
ありがとう。
申し訳ないな。
と。
でも
そんなことはないよ。
今まで育ててくれたんだから当然のことをしてるまでだから気にしないで。
と言いました。
僕にとってなに一つとして『苦』に思うことはなかったです。
仕事を辞めてでも、犠牲にしてでも父のそばに居たかった。
親父は白黒はっきりモノを言う人。
まじめ。
負けず嫌い。
そして頑固。
ゆっくり休むことができない人でなにかしてないと落ち着かない。
最高の親父でした。
今でもそう。
だれにでも自慢できる親父です。
世界一の親父です。
親父が教えてくれたことはたくさんあります。
いまだに実感がないです。
ずっと単身赴任してたから今にも帰ってきそうな気がします。
もっともっと親父と色々なことをしたかった。
人生を教えてほしかった。
一緒に走りたかった。
退職をして落ち着いたらふるさとに戻ることを楽しみにしてました。
そんな第二の人生をさせることができなかったことがすごく悔しいです。
親父は最後の最後まであきらめてませんでした。
親分肌だけど決して威張らない。
子分を大切にする愛情のある親分。
だから自然と親父の周りには人が集まっていたそう。
色々な人から親父の話を聞きました。初めて会う人、親しい人。。。
本当に幸せです。
親父の息子でよかったです。
人は
『今までごくろうさん』と言います。
でも僕はまだ天国でも走っていてほしいと思ってます。
親父のことはたくさんの人に黙ってました。
親父が周りには心配させたくないからというのを理由に。
申し訳ないなと思うこともありました。
最後の最後まで親父らしかったと思います。
ここで書こうと思ったのは自己満なのかもしれません。
ただ、自分のひとつの記憶、記録として残したかっただけです。
そして簡単にですけどたくさんの人に親父のことを知ってもらえたらと思う気持ちもあります。
父に関わったたくさんの人へ言いたいです。
今までありがとうございました。

Tetsu