今日は今までの経緯の続きを書きます。
娘は、中学からそのまま一貫教育の高校に上がりました。
体調は良くなったり、悪くなったり。
頭痛、倦怠感、疲れやすさはゼロになることはありませんでした。
そして、常に眠たい。この眠いのが本当に辛そうでした。
中3の最後に通信制の学校にしばらく通い、高校生活をどこで過ごすのか・・・
彼女には、その迷いがありました。
しかし、中3の最後から高1の6月までコロナの蔓延で、学校が休校になりました。
春は彼女にとって、最初の発症の季節です。
毎年、体調が下がってきます。この年もどうなるかなあと思っていましたが、体調はさほど悪くなりませんでした。学校からは休校の分、毎週大量の宿題がゆうパックで届きました。娘は送られてきたものを、淡々と勉強し、決まった時間から毎日運動し、規則正しく、何より気楽に過ごしていました。
はあ~、学校なければ春でも調子いいんだ。このまま治ってくれないかなあというのが、この頃の私の気持ちでした。
そして、コロナ休校明けの学校、7月。
初日の登校から、ぐったりで帰ってきました。
「ママ、やっぱり学校向いてないわ。辞める。学校なかったら元気やもん。」
「学校辞めてどうするの? 通信制に行くの?」
「いや~、もう通信はいいわ。めんどくさい。高卒認定とって、自分でやるわ。」
「それ、めちゃくちゃしんどいよ。自分ひとりでやっていくって大変だよ。分かってる?自分を自分で律するってことだよ。」
「うん。しんどいやろなあ。真面目だけが取り柄やから、やってみるわ。
そんなことより、友達関係が心配や。学校辞めても、みんな友達でいてくれるかなあ。」
こんな感じの会話を覚えています。
彼女が学校を辞めると決めたことに何の異議もありませんでした。
だって、コロナ休暇中は元気だったのに、学校始まったらしんどくなるのですから。
それは、辞めるでしょ。主人と私はこの点については同意しました。
通信行かないで、高卒認定。これには夫婦で悩みました。
ほんまにこの選択でいいの?
学校の先生も、辞めることにも反対してくれましたが、通信じゃなくて、高卒認定で行くということには、心配されました。だって、まだ高1の夏なのですから。
結局、家族で話し合い、本人の意思を尊重。
高1の1学期で、小学校から通っていた学校を退学。
体調、自然に良くなりました。その年の秋に高卒認定7教科だったかな?取得。
高1の間は、のんびりして、元気になることに努めましょう。という期間にしました。
中3終わりからのコロナ休校は、私にとって、娘の学校への送り迎えのない、自分のことができる期間でした。この期間を前から気になっていた、分子栄養学の講座の受講に使うことにしました。
病院が当てにならないこの病態。なんとか親として出来ることをしたい。
この一心で、東京の分子栄養学講座をzoomで受け、無事に修了できました。
分子栄養学に興味を持ったきっかけは、藤川徳美先生の本です。
書いてあることが、そのまま娘に当てはまるように思えました。
本の通りに実践してみようとしましたが、胃腸の弱い娘はプロテインを受け付けず、
思うように実践できませんでした。個体差という部分まで本には網羅されていないからです。
実際に自分が一から勉強して、自分の子に適したやり方、順番、適量で、体質から変えてあげたい。これが、講座受講に至る私の動機です。
習ったことを、そのまま娘に説明し、体のしくみ、血液データから見る今の自分の現状、今の自分に必要なことを理解させました。
そして、この高校中退から、親子で根本的な体質改善に取り組むこととなりました。
この頃の私達親子は、学校を辞めてスッキリした気持ちと、どこにも属していない肩身の狭さと、先が見えない不安感と、栄養学を通して光が見えた気がした希望と…複雑な気持ちでいっぱいでした。