中2になりました。

 

中2は何故か、体調が少し良くなり、ほぼ毎日3,4コマは受けれるようになりました。

そして、ソフトボールの部活にも、昨年度よりは参加しました。

 

おかげで、真っ白で悪かった顔色も日に焼け、活動量が増えたことから食事の量も増え、体重も少し増えました。(すでにこの頃には、腹痛が多かったせいか、猫背が酷くなってました。)

 

 

発症3年目にして、ようやく徐々に安定して良くなっていくように思えました(梅雨期を除く)。

 

毎日、その日によって、今日は3時間目から行く。4時間目から行く。と、本人の調子があり、お弁当を作ったり、作らなかったり…車で送り迎えの毎日でした。

 

当然、私の予定は入れることができず、娘中心の毎日。

 

友達とランチすることも、夏休みや冬休みに数回程度泣

 

午前中は出来るだけ娘を誘って娘の行ける状態なら、一緒に犬の散歩、彼女が学校に行ってる数時間の間に、スーパーに行き、夕食の準備をし、迎えに行き、帰宅後は夕食、宿題、入浴、マッサージ、早めの就寝。

 

この頃はまだ、朝も8時頃には無理して起こしてたかなあ。いや、もう起こしてなかったかなあ。

10時間睡眠を目指してた頃かなあ。

無理やり、娘の背中に回り込んで、

起してたなあと思い出します。

毎日、朝が来るのが嫌だった。

 

 

この頃の症状と対処法 (あくまでウチの子にしていたことです。)

 

 頭痛・・・毎日頭痛。ほぼずっと頭痛。

 あまりにも痛むとき、頭の上のほうが痛いときは、バファリンDXなどのカフェインが入っているもの。

 日本手ぬぐいで保冷剤を巻き、はちまきにして冷やします。

広がった血管が神経に当たって痛いので、血管を収縮させるためです。

 

 後頭部があまりにも痛いときは、ロキソニンを飲んでました。

 

 タオルをミシンで塗って、お手製の小豆のホットパックを使って、首肩回りを温めました。

首肩の緊張、ハリをとるためです。

      

このホットパックは、本当に役に立ちました。

受験期は特にフル活動でした。



     

 倦怠感・疲れやすさ・・・これが酷かった。

 学校に迎えに行き、車に乗り込むなり、グッタリ汗

 今、思えば、よく帰ってから宿題してたなと思います。 

 これは、温めのお風呂にゆっくり浸かるとマシだと本人が言うので、        意識的にお風呂タイムは大事にしました。

温めることで、自律神経も喜んだんじゃないかと思います。

 

 漢方は先生が作ってくださるお薬を煎じて飲ませてました。

 胃腸をあたため、神経を緩め、よく寝れるような処方だったと思いま       す。

気虚、血虚のための処方でした。

 

 

振り返ってみると、この中2のときに学校にほぼ毎日通えたことが、

とてもありがたかったです。

多くの仲の良い友人ができ、学校から取り残されていたような気持ちが少しは楽になりました。

 

そして、学習面もこの時期に授業に出て、試験を受けれていたことが、後々の勉強の基礎になってくれました。

娘が中学の間に、遅れないようにと意識してやっていた科目は数学と英語です。

数学は毎日、帰宅後も復習していました。

 

学校の授業も数学だけは、抜けないように無理してでも受けていました。

 

英語は私が教えることが出来たので、学校では受けませんでした。

 

学校の授業を受けなくても、スタディサプリなどで、家で復習してました。

 

言い換えれば、英語と数学以外は、あまりやってないです。

 

化学や物理などはボーっと聞いてただけ。

 

テスト前に50点ぐらいを目指して勉強しただけです。

 

それでも、大学には行けました。

 

英語もまだまだ巻き返せます。この頃、本人も私も、出来ていない科目を心配していましたが、その後、そんな心配は無用だったと思うようになりました。

 

元気で、楽しく、それが最優先事項として過ごしました。

 

 

 

  ホットパックの作り方

 

  タオルを首回りプラス20センチの長さ、横幅14.5センチの大きさに切り、

袋状に縫います(内側からと、外側からの2重に縫う)。そこに小豆の豆と荒塩を2対1の量で入れます。抵当。

豆に偏りがないように、豆を入れながら縫って、3分割、区切りを作ります。

豆が均等に入っているようにします。変な文ですね。分かるかな。

         

レンジで1分ほどチンして、やけどしないか気を付けながら、首回りを温めます。