7年前を振り返り、小6の発症の時期のことを書きます。

こんなに月日が経って、今や娘も元気にしているのに、

この時期のことを思い返すと胸が痛み、あの頃の毎日泣いていた気持ちに戻ります。

辛い泣

 

 大前提としての本人の性格は、小さい頃からとにかく大人のような子でした。

どういうことかと言うと、常に空気を読み、言ってはいけないこと、相手が求めていること、自分が今すべきこと、そういうことがよく分かっていて、正直私は娘をそんなに怒った記憶がありません。

親としては、とても育てやすい子でした。

バカな私は、楽な子やなあというぐらいにしか思ってませんでした。

私のバカバカバカです(怒)  

そして、そのような子をHSCと呼ぶそうです。

 

 体質としては、小さいときから胃腸が弱く、よく下痢をしていました。

そして、当然やせ型。 

この起立性あるあるの体質。そういうことを分かっていたら、もう少し彼女に纏わるいろんなことに気を付けていたでしょうか。

う~ん。今更、意味のないタラレバあせる

 

そしてそして、一人っ子です赤ちゃんぴえん

 

 娘は、夫婦で話し合い、小学校受験をし、小中高一貫の女子校に入りました。

その学校は私の母校でもあります。12年を通して、一生の友達を作ってほしかったのが受験させた一番の理由です。

私は自分をこの学校に入れてくれたことに関して、親に感謝していましたから。

 

娘は生活お友達面、学習面、問題なく楽しく通学していました。

先生との懇談でも、私は常に褒められることしかなく、学習面に関しても、塾に通ってないにも関わらず、常にトップクラスだと言われ、満面の笑みで帰路についていたものです。

私は、娘が学校生活に真面目に取り組むなかで、どれほど意識的に努力していたかを分かっていませんでした。

本当にお気楽な母親でした。

そのことに、本当に申し訳ない。という思いしかないです。

後に、娘は、当時認識していなかったけれど、女子ばかりの少人数のクラスのなかで、気を使ったり、人間関係を読んだり、しんどいなあと思うことも多かったと言ってました。

そして、勉強が出来るということが、先生や友達から信頼を得るために、とても大事なファクターであると認識していたとも言ってました。

はあ~、ごめんよ。ママはそんなことを口に出して言ったつもりはないのだけれど、勉強はとても大事だと思っていたのは事実だよ…叫び 

ママの考えていることも全部分かってたよね。

娘は完全に私の価値観のなかで生きていたのでした。

 

6年生になった4月に突然、胃痛を訴えます。

元々胃腸が弱かったので、ああ、毎年4月は新しいクラス、先生で緊張して、調子悪いもんね。ぐらいにしか思っていませんでした。

ところが、気持ち悪い、お腹も痛いとどんどん症状は悪くなり、2週間ほど学校を休みました。

そしてGWに突入。GWが明けるころには、全身の倦怠感と動悸で、トイレに這って行くようになりました。

 

うわ~なんで??どこが悪いの?

どういうこと?何が起こってるの?


かわいそうで、かわいそうで…どうすればいいのが分からず、パニック状態でした。

それから、地獄の病院めぐりが始まります。

これが、悪かった。

大大大反省汗

しんどい娘を車で病院に連れまわしました。

結果、赤十字病院で ‘起立性調節障害です。‘と診断をもらいました。

聞いたことあるけど、それは何ですか?

 

そこから、娘との起立性生活が始まりました。

アップダウンを繰り返しながら、7年も続くとは…。

 

今、振り返っても、全く無理な話ですが、あのとき、焦らず、不安視せず、大きな心で娘と現状を受け入れる度量と賢さが私にあったなら。

主人の長い人生、休憩したってええやんか。大丈夫やで。という考えを真似できていたら。と今だに、振り返るとそう思います。