平成最後の今年。
嬉しいことと悲しいことが重なった一年でした。
まだまだ悲しい気持ちはいつまでも出てくるし
毎日のように想っていますが、
少しずつ気持ちも前向きになってきたので
かなり長くなるけど、自分の記録として残しますね!
 
 
8/9、母・篤子が永眠しました。
66歳でした。
 
 
若く綺麗な母だったので顔出しちゃいます🤗
それから私は母のことを「篤子」と呼んでいたので
篤子と書かせてもらいますね!
 
篤子は約21年、乳がんと戦ってました。
 
最初に発症したのは私たちが小学校低〜中学年頃。
それから消えては発症し、の繰り返しでした。
抗がん剤治療をして髪の毛が全部なくなってしまい、
それでも笑顔で「いろんなヘアスタイルが楽しめる」とウィッグ生活もした時もありました。
本当はとても悲しくて落ち込んでいたと思います。その姿も勿論知っています。
けど、篤子はあまりそういう姿を見せず、人を思いやって笑顔にさせる力がとてもありました!
 
ここ最近も乳がんの新薬を試したり、変わらずに通院をしていましたが、
昨年末に医師より余命宣告を受けていました。
年内持つかどうか。
それもあり、2月には家族みんなでフランスへ旅行に行きました!
 
 
仕事も忙しい時期で会社に言いづらかったけど
今思えば本当に行っておいてよかった!
篤子と行けた最後の、最高の旅行でした✨
 
4/9頃、篤子の体調が悪くなり緊急入院。
何でも下痢が酷く、白血球数が1/10ぐらいになってしまっていて
高熱、酸素がないから手足に酸素が回らず呼吸困難になっていました。
その時は原因がとにかく分からず、がんの新薬の副作用なのか、
あるいはがんが進行してきたのか?まったく分からない状況。
ただ、点滴治療と、普段通院している病院へ移動してから二週間ほどで帰宅しました。
がんによる何か、ではなく一安心でした。
移動してからの病院でお菓子食べたり、みんなで
こっそりケンタッキー食べたのもいい思い出!笑
 
そこからは父が篤子を連れ出し近場の温泉や
旅行にばかり繰り出しており、篤子の体調が気がかりでした。
嫌々と言いながらも父を放っておかない篤子はたまに不思議な感じがしますが、
30年連れ添うとパートナーをここまで想えるのでしょうか。
((体調を伝えるよりも断れない重圧のがあったかもだけど))
 
7/中旬。
また体調不良で入院。
今回は食べたものが消化できず腸内に溜まっており、
下腹部がパンパンになってしまっていました。
これもまた見てみないと分からないと言われましたが、
「今回は前回よりも早く退院できそう」と連絡が来ていたのと
前回ほど苦しそうな顔をしていなかったので、
安心してお見舞いに行っていました。
夏の暑い時期で、食べ物が食べられない代わりに
水分とかき氷は食べていいとのことで
父から毎日かき氷を食べている篤子の写真が来ていて、
それに癒されていました😊
全身管まみれな身体で辛いだろうに笑わせてくれ、
またしっかり話してかき氷を食べる。
母ながら、そんな篤子が本当に素敵でした。
勿論毎日は行けてなかったけど、勤務後や、たまには出勤前に顔を出してました!
 
7/中〜下旬。
腸に管を通す手術をした際に、胃の中にもがんが転移しているのが見つかりました。
退院はますます遠いものになりました。
ただ、篤子は強く「自分の口で食事が食べたい」と言ってくれたので
7/下旬、手術を行うこととなりました。
 
 
手術前のまみさんと篤子。
 
1時間半ほどし、先生から呼び出しがかかったので「あまりに早すぎないか?」と思ったら
思いの外体内への転移が酷く、もしかしたら手術中に…覚悟してくださいとの話でした。
残された父、まみさん、私は明るく話していましたが、
みんな心中はとても不安で震えていました。
私も最期なんて信じたくなかったけど、
後悔したくなかったのでやっさんに連絡し、
病院に来てもらうことにしました。
 
それから3時間ほど経ち、手術室が開き、
篤子が出てきました。
まだ麻酔が効いて意識も朦朧としているだろうに
開口一番「ありがとう、ありがとう」と
家族みんなに感謝の言葉しかありませんでした。
一番頑張った篤子に言わなきゃいけない言葉を、
こんな時まで篤子は人のことばかり考える、素晴らしい人でした。
翌日には何とメールまでしてきて、しかもかき氷食べてる🤪!!
篤子の生命力には本当に驚かされました💦
 
8/4。
篤子の66歳の誕生日!
かき氷からスイカぐらいまでは食べられるようにはなっていたのだけど、
なんとこの日は一口だけだけど、ケーキを食べることができました!
ほとんど私が食べちゃったけど😀(笑)
それでも何も食べられなかった篤子には大きな進歩でした!
病室ではあったけど、こうして誕生日をお祝いできたのは本当に嬉しかったなぁ🤗
 
8/6。
この日は勤務前に病院に寄ってマッサージでもしてあげよう、と向かいました。
ただ、この日はやけに篤子は元気がなく、「家に帰れないかもしれないな」と
弱音を吐いていました。
そんな矢先、看護士さんに呼ばれ廊下へ向かうと「今後のお話ってご家族でされてます?」と。
「どの程度の今後ですか?亡くなってからということですか?」とストレートに聞くと
「そんなところです」と。
話している旨伝えると安心したような顔をして「夕方先生からお話がありますので、
ご家族の人にきてもらうように伝えてください」と言われました。
なんでも血液検査の結果の数値がよくなく、臓器に白い影が見えるからCT検査をし、
その結果を家族に話したいとのことでした。
病室に戻ってから「なんだった?」と篤子が聞いてきたので
「なんか検査の結果が分かりづらかったから午後またやるみたいだよ~」と伝えたけど
きっと篤子はわかってたと思うな。
 
8/7。
この日も帰りに病院へ。
1時間ぐらい話しながらマッサージをしてあげた。
執刀医の先生カッコイイよね、とか、医者ってモテるのかな、とか。
そんなくだらない話をしつつ。
この日は篤子の昔からの友人やダンスの仲間たちが遊びに来てくれたみたいで
疲れたけど楽しかったみたい。
病気の姿見せたくないとお見舞いに来させなかったのに、みんなを呼んで。
ますます自分のことがよくわかっているような感じだった。
この日から父が病室に泊まってくれることになりました。
これは篤子の希望だったようで、毛嫌いしている父とじゃ辛いだろう、と
双子で必死に「私たちが泊まるよ?」と説得するも「お父さんがいいんだ」と。
夫婦って不思議だなぁと思った。
 
8/8。
私自身の体調がよくなくて会社を休んでいたのだけど、
せめて少しだけでも篤子の顔が見たくてお見舞いに。
父とまみさんが既に長時間いたようだったので、5分ほどしか会えなかったけど
それでも顔を見ておいてよかった!
帰りに3人でラーメンを食べて帰ったのだけど、前日の夜、ベッドに入りながら
「グレずに子供たちがみんな育ってくれてよかった。まみとみきが一番の財産だ」って
言ってくれたみたい。
その言葉に泣かされた。
感謝してもしきれないのは私たちのほうだから。
そして、生きている篤子を見たのがこの日で最後でした。
 
8/9。
当日書いた私の日記で。
 
 
病院に到着したのが6:30過ぎていたのだけど、寝ているような顔をしていたので
苦しまずに逝けたのかな、と思うと少し安心したかな。
最期は起き上がらせるために父が体に腕をまわしたみたいなのだけど、
その最中に眠りについたみたいです。
最期が一人じゃなくてよかった。
出来れば見届けたかったけど、きっと篤子がそう選んだのだろうから…ね。
 
既に広島帰省のためのチケットも手配してしまっていたので、
本当はそんな気持ちにもなれていなかったのだけど、気分転換として広島へ。
帰ってきて4日後、篤子のお別れ会をしました。
本人の意思で家族葬で、としていたのだけど、あんなに愛されていた篤子だったので
友人含め30名ほどでお別れをしました。
化粧をした篤子は、こんなことを言うのもあれだけどマダムタッソーで蝋人形として
いてもおかしくないんじゃないか!?ってぐらい綺麗で、ただ寝てるだけみたいでした!
生前は管まみれの身体だったのが、綺麗さっぱりなくなっていたので
肌つやもいいし、何で寝てるの~?って感じで本当に綺麗な顔をしていました。
篤子を見てみんな泣いて、思い出話をして。
けど悪い話が一つも出ない、どこか笑顔で篤子のひょうきんな話をしていて。
あぁ、みんなに心から愛されていたんだなぁとこの光景を見てまた泣きそうになってしまった。
偉大な母を持ってしまったなぁ、と。
 
 
元気なうちに花嫁姿を見せることができてよかった!とか、
 
 
父に縛られていたけど、一人暮らしをしているときから少しの時間だけど
私の家によく遊びに来てくれて。
結婚してからオープンで篤子を今年の5月に招待したのだけど、
それもやっておいてよかった!!とか、

 
本当はしてあげたかったことや、まだまだたくさんあったし、
思い出すと今でもすごくすごく寂しい。
聞いてほしいこと、聞かせてほしいこともたっくさんある。
けど、本当に今までたくさん頑張ってくれたから、今は「お疲れさま」とだけ。
 
 
31年間、本当にありがとう!!
篤子の子供として育ててもらえて本当に嬉しかったよー!!!
まだ会うまでは時間がかかるけど、また会える日を楽しみにもう少し生きるよ!
 
 
嬉しかったことは、妊娠!
 

 
やっさん、結婚前から子供が欲しいと話していて。
結婚してから少しは考えていたのだけど、出会いから結婚までの期間が短かったので
せめて1年間は二人の時間が欲しかった私なのでした。
で、1年経つ頃に「そろそろ妊活始めてみようか?」と。
私たちは果たして子供が作れるのか?妊娠できる身体なのか?と探り探りでしたが
幸せなことに妊娠することができました。
 
孫を見せることはできなかったけど、篤子にも妊娠の報告が出来たことは何より嬉しかった!
「(生まれる)1月までは頑張らないとね~」と言ってくれたのが嬉しかった。
周りの人にもそう話してくれていたみたい😭
生きる活力に少しでもなったのかな、と思うと嬉しかった!!
 
 
篤子の入院と妊娠初期~中期が重なってしまい、つわりや体調不良もあってしんどい時ではあったけど、
篤子のほうが大変なんだ、と、自分の中では出来る限りいろいろを両立した夏でした。
もちろん、まみさんに比べたら足元にも及ばないぐらいで本当に申し訳なかったけど…😞
 
 
来年からは家族が増え、まったく想像もつかない1年が始まろうとしているけど、
自分たちらしく、家族を築いていけたらと思います。
篤子も見守っていてねー!!
 
 
本来は飾るべきではない、しめ飾りに門松。
だけど母がもし居たら、相談したら
 
「別にいいんじゃない〜?🤔」
 
と言ってくれると思うので、飾ります門松
ばあちゃんが亡くなった時も翌年おせちも食べたし、
神様よりも故人を想うことにします。
そして初夢に母が出てきてくれたらいいな💭
 
今年は自分でお雑煮を作ってみます!!
レシピ聞いておけばよかったな〜😭💦
思い出して作ってみよう💪
 
 
そんな感じの2018年でした。
来年は本厄な私!!
出産も控えてるし、どんな1年になるのか今からドキドキです…
 
少し早いですが、本年もありがとうございました!
 
2018.12 みき