過剰宣伝時代ですよね。
電車の中吊り広告を見ていても、タイトルだけでとても興味をおぼえキャッチされますが、本文を読んでみると「スッカラカン」。とくにタイトル以上の魅力も発見もない、つまりもともと深くも精密でもない無内容を、以下にセンセーショナルにみせるか、ということがまかり通っていル気がします。
これが、個人でもそんな傾向が見えてきます。
「心を込めて」とか「手を抜かないで」といった程度のことを、『命をかけて』というとか、安っぽい誇張表現をみると、こっちが恥ずかしくなってきます。
本当に、命を賭けている仕事している人はそんなこと言わないでしょう。
また、本当に命を賭けていた人たちの前で言えないでしょう。
昔だと戦地に赴いた人、今なら福島原発に事故早々に入った人、彼らの前で「命を賭けて」なんてとても言えない気がします。
ただし、真剣さに対象は人それぞれな訳で、たとえば安全な軽作業であっても、当人にとっては命も惜しくない事に向き合っている場合があります。
たった一つの強い願いごとが本当に叶うなら、「命をかける」ことが出来る人がいるかもしれません。
黒魔術で、どんな願い事でも叶うけれども、自分自身が「生贄」になる、というのがあったように思います。自分の命を犠牲にしてまで叶えたいのは、たぶん幸せなことではなくて、恨みを晴らしたいとか、そんなことが多いのでしょう。
悲しい話ですが、「抗議の自殺」という事件も届いたりします。
自分の命をかけてまで、だれかに何かを気付かせてあげたいと追い詰めた人の心情、察するにあまりあります。
まずは、その対象にならないようにしたいと思います。
それから、しあわせなあポジティブな頑張り事には、たやすく『命がけ』なんて使わないようにしようと思います。
山崎哲史 拝