「ピエロとクラウンの違いは何か?」
ちなみに、涙がある(泣いている)のがピエロ、ないのがクラウンです。
いろいろな悲しみや悔しさを内蔵しながら、道化として観客の笑顔にするためにおどけているのですね。
それはともかく、エンターテイナーが病院に出向いて回る「ホスピタル・クラウン」のコンセプトをもって活動してきた、私としては副業アクトのボランティアが、今月でひと段落。先日のセッションが最後で、来年(度)は、やりません。
出来そこないの道化師になって、いろいろな施設を回らせていただきました。
そこで感じた「アーティストによる支援ってなんだろう」ということは、これからも指標になっていくと思いました。
ぼくらは「非日常」をお届けする立場でした。
しかし学校や施設や病院で、私たちとは違う日常を過ごしているみなさんにとっては、ぼくらが訪れていない時間が、24時間365日x・・・大量にあります。
それをいっしょに過ごして、共有していらっしゃるのは、施設のスタッフさんであったり、ご両親であったり、先生であったりするわけです。
そういう「支援している人たち」の手助けになることが大事なんだと思いました。
なぜなら、ぼくらはこっちの都合で、求められているかどうかも怪しいのに、ホンの一日お邪魔するだけです。
たとえそこで喜んでもらえたとしても、明日の現実になにも変えることはできないどころか、ぼくらのイベント自体がスタッフさんの負担になっていたりします。
ぼくらが打上げで飲んでいるときには、もう現実の生活と戦わなければならないみなさんの日常を、少なくとも壊してはいけないと思いました。
たとえ、ぼくらが子どもたちや障害者のみなさんを喜ばせてあげることが出来たとしても、それはまだ自己満足にすぎないと言うことです。
本当の評価は、日常を接しているスタッフやご家族の方の助けになったかどうか、気休めでもなく・・。
なので、活動の方向は、「困っている人を支援する」のではなくて、「困っている人の日常を支援している人を支援する」がよいのだと思いました。
ご家族や、スタッフさんや、先生が求めるものはなにか、それが大事なのだと思いました。そこに、アーティストが出来ること、得意なこと、ぼくらにしかできないこと、があれば、喜んで提供してあげればいいわけです。
僕らの一方的な善意を押し付けては自己満足。逆効果。
せめて、みなさんの休息になればとおもうのですけれども・・。
ピエロの涙は、みんなにいじめられて泣いているものです。そのまま、みんなを楽しませるために、アクションをしています。ピエロのもっている「影」にはそんな「やさしさ」があります。