音楽ストリーミングサービスを数年前から受ける様になりました。

 

最初はSpotify。

 

その後ハイレゾ音源配信が話題になりAmazonMusicHDへ。

 

そしてAppleMusicもハイレゾ音源配信開始。

 

そのハイレゾという言葉に惑わされたかのように、日本では基本的に対応していないTAIDALにも契約。

 

確かに解像度、分離度の良さに感動し、どんどんと嵌まっていきました。

 

でも音楽配信サービスが良いか悪いか、データー形式が良いか悪いかという問題ではなく、DAコンバーターの進化や変化が早く、低位の良い、そして透明感が随分と良くなり、再生される音域の広さ、セパレーションの良さ、そして何よりもSN比が随分と良くなったことで、如何にもハイレゾ音源は音がいいんだと、まんまと音楽協会と製造メーカーの罠に嵌まった気がします。

 

確かに近年に録音されている音源は非常に音が良く、聴いていてもとても気持ちが良いです。

 

しかし、最近聴く楽曲は、私が学生時代によく聴いたものが殆どになって仕舞っています。

 

Chicago、ピーターセテラ、TOTO、ジョージベンソン、バネッサウイリアム、YMO、Al Jarreau、マイケル・ジャクソン、Daryl Hall & John Oates、ビリー・ジョエル等々。

 

当時の録音状態は、今に比べれば比較にならない程悪いのですが、当時レコード針で拾った信号をRIAA特性で補正し、アナログアンプで増幅された音を聴いていた、今とは比べものにならないSN比の悪い環境だったことで、現代の若い方々は知らないだろう世界からすれば、今のデジタル化された環境で聴くと、いくら当時の楽曲とは言え飛躍的に音が良いのです。

 

そしてこの楽曲を聴いていた頃を思い出しながら、何処か自分の中で感傷に浸っている様な感じです。

 

若かりし頃、今の私の年代の方が「懐メロ」が良いと言われていた事が理解出来無かったのですが、今の歳になって少し分かってきたような気がします。