
今日(8月13日)はアルフレッド・ヒッチコックの誕生日でした。忘れてました~(笑)。もう日本は14日になってしまいましたね…。ちょっと趣向を変えて彼の未完成になった作品リストを紹介したいと思います。これは英語版ウィキペディアの以下の記事を意訳したものです。
Greenmantle (1939 – 1942)
ヒッチコックは「39夜(The 39 Steps)」の続編を撮りたくて、「39夜」の原作の著者John Buchanの小説「Greenmantle」をケーリー・グラントとイングリッド・バーグマンで映画化したかったが、この小説の映画化権が高すぎて断念。
ヒッチコックは「39夜(The 39 Steps)」の続編を撮りたくて、「39夜」の原作の著者John Buchanの小説「Greenmantle」をケーリー・グラントとイングリッド・バーグマンで映画化したかったが、この小説の映画化権が高すぎて断念。
Escape (1940)
ヒッチコックは女優のノーマ・シアラーを尊敬していて、彼女主演の映画を撮りたかったが、当時彼女の映画はMGMを通してしか製作できず、暴君として名高いMGMのプロデューサーのLouis Burt Mayerとは仕事がやり辛いと悟り断念。
ヒッチコックは女優のノーマ・シアラーを尊敬していて、彼女主演の映画を撮りたかったが、当時彼女の映画はMGMを通してしか製作できず、暴君として名高いMGMのプロデューサーのLouis Burt Mayerとは仕事がやり辛いと悟り断念。
The Three Hostages (1964)
またまた「39夜」と同じ原作者の小説。またまた権利金が高く、なおかつ舞台が1930年代で、この小説の良さをうまく出せないと悟り断念。
またまた「39夜」と同じ原作者の小説。またまた権利金が高く、なおかつ舞台が1930年代で、この小説の良さをうまく出せないと悟り断念。
The Bramble Bush (1951)
David Duncanの小説で共産主義の運動家が警察から逃亡する話しで、舞台はメキシコとサンフランシスコが考えられていた。政治色が強すぎるので、当時ヒッチコックが働いていたワーナーブラザーズ映画からも、プロジェクトを抹消してよいとの許可を得て御蔵入り。その後彼は「ダイヤルMを廻せ!(Dial M for Murder)」の製作に取りかかる。
David Duncanの小説で共産主義の運動家が警察から逃亡する話しで、舞台はメキシコとサンフランシスコが考えられていた。政治色が強すぎるので、当時ヒッチコックが働いていたワーナーブラザーズ映画からも、プロジェクトを抹消してよいとの許可を得て御蔵入り。その後彼は「ダイヤルMを廻せ!(Dial M for Murder)」の製作に取りかかる。
Flamingo Feather (1956)
Laurens van der Post原作の南部アフリカで起こった政治的陰謀のお話しの映画化。製作費もかなりかけた大作になる予定だった。彼はジェームズ・スチュアートとグレイス・ケリーの主演を考えていて、実際南部アフリカへ視察旅行もしたが、結局は映画化は困難と判断してプロジェクトは中断。その代わりにスチュアートと「知りすぎていた男(The Man Who Knew Too Much)」を撮った。
Laurens van der Post原作の南部アフリカで起こった政治的陰謀のお話しの映画化。製作費もかなりかけた大作になる予定だった。彼はジェームズ・スチュアートとグレイス・ケリーの主演を考えていて、実際南部アフリカへ視察旅行もしたが、結局は映画化は困難と判断してプロジェクトは中断。その代わりにスチュアートと「知りすぎていた男(The Man Who Knew Too Much)」を撮った。
Mary Rose (1920 – 1980)
ヒッチコックはJ. M. Barrieのこの舞台劇を映画化したくて仕方がなかったらしい。「マーニー(Marnie)」で一緒に仕事をしたJay Presson Allenにこの舞台劇の脚色を依頼。当時彼が仕事をしていたユニバーサル映画は、彼に殆どの権限を与えていたが、制作費は$3M以下で作品は「Mary Rose」以外ならなんでもOKという制限付だったらしい。ヒッチコックはこの映画化を生涯あきらめなかったようだが、結局映画化されなかった。
この脚本は
http://stevenderosa.com/writingwithhitchcock/scripts/mary_rose.pdf
で見ることが出来ます。
ヒッチコックはJ. M. Barrieのこの舞台劇を映画化したくて仕方がなかったらしい。「マーニー(Marnie)」で一緒に仕事をしたJay Presson Allenにこの舞台劇の脚色を依頼。当時彼が仕事をしていたユニバーサル映画は、彼に殆どの権限を与えていたが、制作費は$3M以下で作品は「Mary Rose」以外ならなんでもOKという制限付だったらしい。ヒッチコックはこの映画化を生涯あきらめなかったようだが、結局映画化されなかった。
この脚本は
http://stevenderosa.com/writingwithhitchcock/scripts/mary_rose.pdf
で見ることが出来ます。
No Bail for the Judge (1958 – 1961)
元判事だったHenry Cecil が書いたスリラー小説の映画化で、オードリー・ヘップバーンの主演が考えられていた。彼女はレイプに近い暴行を受けるシーンに閉口し、妊娠もしていたので主演をキャンセル。ヒッチコックは彼女が主演できないと分かると、作品に対する興味も薄れ映画化は中止。
元判事だったHenry Cecil が書いたスリラー小説の映画化で、オードリー・ヘップバーンの主演が考えられていた。彼女はレイプに近い暴行を受けるシーンに閉口し、妊娠もしていたので主演をキャンセル。ヒッチコックは彼女が主演できないと分かると、作品に対する興味も薄れ映画化は中止。
The Blind Man (1960)
「サイコ(Psycho)」の成功の後に企画された、ジェームズ・スチュアート主演のヒッチコックのオリジナルアイデアによる作品。盲目のスチュアートは死んだ老人の目を移植し、再び見えるように。ディズニーランドで西部開拓時代のショーを楽しんでいた時に、不思議な残像を見て、実はこの老人は殺されたと分かり…というミステリー。「サイコ」を見たウォルト・ディズニーは、ヒッチコックにディズニーランドでのロケはさせないと断言。脚本家のErnest Lehmanとも口論が絶えず、結局御蔵入り。
「サイコ(Psycho)」の成功の後に企画された、ジェームズ・スチュアート主演のヒッチコックのオリジナルアイデアによる作品。盲目のスチュアートは死んだ老人の目を移植し、再び見えるように。ディズニーランドで西部開拓時代のショーを楽しんでいた時に、不思議な残像を見て、実はこの老人は殺されたと分かり…というミステリー。「サイコ」を見たウォルト・ディズニーは、ヒッチコックにディズニーランドでのロケはさせないと断言。脚本家のErnest Lehmanとも口論が絶えず、結局御蔵入り。
R.R.R.R. (1965)
イタリア人のコメディ・スリラー作家のAge & Scarpelli(Agenore IncrocciとFurio Scarpelli)に、ヒッチコックが1930年代から暖めていたアイデアをベースに脚本を依頼。ニューヨークにあるイタリア移民の経営するホテルが犯罪人・盗難品を隠すお話。RRRRはコインで一番希少価値のあるものという意味らしい。ユニバーサル映画はあまりアイディアに満足せず御蔵入り。
イタリア人のコメディ・スリラー作家のAge & Scarpelli(Agenore IncrocciとFurio Scarpelli)に、ヒッチコックが1930年代から暖めていたアイデアをベースに脚本を依頼。ニューヨークにあるイタリア移民の経営するホテルが犯罪人・盗難品を隠すお話。RRRRはコインで一番希少価値のあるものという意味らしい。ユニバーサル映画はあまりアイディアに満足せず御蔵入り。
Frenzy (Kaleidoscope) (1964 – 1967)
実際に映画化された「フレンジー(Frenzy)」とは違う企画。ニューヨーク市を舞台にした屍姦(しかん)する連続殺人鬼のお話し。ロバート・レッドフォードやマイケル・ケイン主演の話もあったらしいが、ヒッチコックは無名俳優を使い、制作費を必ず$1M以内で撮るとユニバーサル映画に交渉したが、ユニバーサルは却下。この脚本のタイトルと物語の一部は「フレンジー」に使われた。
実際に映画化された「フレンジー(Frenzy)」とは違う企画。ニューヨーク市を舞台にした屍姦(しかん)する連続殺人鬼のお話し。ロバート・レッドフォードやマイケル・ケイン主演の話もあったらしいが、ヒッチコックは無名俳優を使い、制作費を必ず$1M以内で撮るとユニバーサル映画に交渉したが、ユニバーサルは却下。この脚本のタイトルと物語の一部は「フレンジー」に使われた。
The Short Night (1976 – 1979)
Ronald Kirkbrideの同名のスパイスリラー小説。「ファミリー・プロット(Family Plot)」を撮り終えたヒッチコックの次回作になる予定だった。クリント・イーストウッド、ウォルター・マッソー、ショーン・コネリーが主演男優の候補にあがっていた。彼の健康がすぐれず、ユニバーサルは彼のオフィスをクローズすることに決め、事実上御蔵入り。その一年後に彼は他界。1980年の4月29日でした。享年80歳でした。
Ronald Kirkbrideの同名のスパイスリラー小説。「ファミリー・プロット(Family Plot)」を撮り終えたヒッチコックの次回作になる予定だった。クリント・イーストウッド、ウォルター・マッソー、ショーン・コネリーが主演男優の候補にあがっていた。彼の健康がすぐれず、ユニバーサルは彼のオフィスをクローズすることに決め、事実上御蔵入り。その一年後に彼は他界。1980年の4月29日でした。享年80歳でした。