
私たち人間は、知識の塊です。
歩く記憶情報そのものなのです。
その、記憶情報に基づいて、行動します。
「礼儀正しくする方が良い」
「街中でゴミをポイ捨てしてはいけない。」
「人の物を取るのは悪い。」
「自分の気持ちをむやみに表してはいけない。」
など、生まれてこのかた無限に近いほどの、膨大な信じ込みを抱えています。
なので、その信じ込みのルールで、自分を監視しています。
例えば、日本では、儒教、つまり孔子の教えが常識になっていて、秩序が保たれているわけです。
親を敬う、先祖を大切にする、礼儀作法を重んじる。
人間がたくさん集まって、社会を作り、栄えていく上で、このルールはとても有効です。
ある意味、基本中の基本です。
これらは、当たり前にベースとしてあった方がいい。
だけど、このルールをあまりにも強く適用すると、心は強制収容所の中に入っているような状態になるでしょう。
例えば、目の前で誰かが、親に向かって暴言を吐いていると、
その目の前で起きた事象を見て、「子は親を自分のを敬わなければならない」という記憶情報にアクセスします。
「それはいけない、なんてやつだ、子が親にひどいことを言っているは止めなければ!」などなど、
自動的に怒りの感情と思考がやってきます。
よくよく、その人の話を聞いてみると、その親の仕打ちがあまりに酷く、怒るのは最もな話だったりします。
私たちは、「感情と思考が起こる」という内的行動が、自動的に無意識的に起こるのを止められないのです。
なので、
自分の中でも、自分に対しても、自動的に怒りを感じてしまうのです。
つまり、
「人のことを悪く思っちゃいけない」というルールがあるのに、
「今、誰かを悪く思ってしまった自分は、悪いことをした」
「自分は悪いやつだ、いけない」
「自分は良い人間のはずだ、こんなこと思っちゃいけない」
「こんな思いは封じ込めてしまえ」
すると、自分の本当の感情へのアクセスを失ってしまうのです。
そうすることで、
ありのままの現実を見ないようにフィルターをかけたり、
自分に都合の良い内容に変換して受け取ったりします。
無意識は、超高性能なので、誤解もすれば、忘れもする。
ありのままの現実とは、無関係に自分の世界を創りあげるのです。
自分のものの見方が、自分の真実を決定づけるわけです。
世界は愛に溢れているか、世界は危険に満ちているか、自分が創り出します。
時として、これらの信じ込みが、あなたの成功や幸せを、制限してしまっています。
この信じ込みを手放したり、何を使うかを整理すれば、結果として、
望ましい思い通りの現実を創り出すことが出来るわけです。
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