※この記事は『てちゅの釘読みとストローク』という記事の前談でしたが、前談が長すぎて題名が内容と合ってないので2023/3/18に題名を変更して前談部分だけ残しました。
私がパチンコを打ち始めてからプロになるまでの話を書いてみます。
大抵の人と違った経験だと思いますので、こんな人もいるんだねーといった感じに読んでもらえればと思います🙇♂️
パチンコを打つきっかけ
私がパチンコを初めて打ったのは7歳の時です。
昔は親の膝の上でパチンコを打つ子供は珍しくなくて、私もそのたぐいでした。
父が東京大学大学院工学部出身の研究者で物理にめっぽう強く、パチンコも殆ど負けない感じでした。
父は「ゼロセン」と言っていましたが「ビックシューター」を専門にしていて、ハネモノ専門でも釘読みだけで勝てた時代だったので常勝無敗のような感じでした。
父の職場が田舎の研究所で、家族で田舎で暮らしていたのですが、休日に父の送迎で車でしかいけないような遠くのスイミングスクールに嫌々通わされていました。
スクールの時間に家まで戻るのに時間もかかるので、父は毎回暇つぶしに直ぐ近くのパチンコ屋でパチンコを打っていたという訳です。
「(スクールが)終わって俺が入口にいなかったらパチンコ屋に来い」と言い残し、スクールが終わるとワクワクしながらパチンコ屋へ走って向かったものです。
当時はパチンコを打つのが楽しみだったのではなく、戦利品としてファミコンソフトを交換してもらうのが楽しみだったのでした。
ところが父はパチンコを打っている最中でも帰りの車やお風呂でも、小学生の私に大真面目にパチンコ玉がどのように落ち、弾いていくのかを物理学の教育として解説したのでした。
当の私はファミコンソフトのために仕方なく聞いていたのですが、物理の基本・原則を丁寧に教えてもらいました。
のちに私も大学に進学して物理学も勉強するのですが、後から考えてみたらパチンコのエリート教育を受けたようなものだったと思っています。
その後、同じスイミングスクールの系列店が近くに出来て自力で通えるようになったのと、父は仕事に没頭するようになりパチンコをパッタリとやめてしまったのですが、私はいつかまたパチンコを打とうと小学生ながらに思っていました。
ハネモノで釘を勉強した
私が1人でパチンコを打ち出したのは、中学1年生の誕生日からでした。
父が転職した関係で近所にパチンコ店がある地域に引っ越したので
「中学生の最初の誕生日になったら一人でパチンコを打ちに行く」と決めていました。
ただ、中学生の頃の頻度はそれほど多くは無くて、法的に打てない年齢で同級生が補導されたのも聞いていたので、年に数回ぐらいでしょうか?
当時のパチンコは今のP機の原型であるセブン機がまだ無く、低貸しもなかったので、ハネモノと一発台のみの構成?だったかですが、私はひたすらハネモノのみを打っていました。
- ザ・トキオ(平和)
- ビックシューター(平和)
- 火の玉ボーイ(西陣)
- お祭りごっこ
- ミキサー
- 道路工事
という訳で、法定でパチンコが打てる歳には既に釘読みが出来ていたのでした。