ブレンデン・フォスター君
8歳になったころ 急に体調が悪くなり 水さえ口にできない状態になった。
ブレンデンくんは 白血病に冒されていた。
3年間 抗がん剤治療を行ったが 効果がなく・・・・
もはや 骨髄移植しか 助かる方法がなく
だが ブレンデン君は 白血病患者にとっては 致命的な
感染症に冒されており 骨髄移植は できないと 医者から
宣告された。
医師から告げられた余命は わずか2週間
母は 残された時間にブレンデン君の
願いをかなえてあげようと思って。
やりたいことを リストにまとめた。
お姉ちゃんとおかあさんと海に行きたい
遊園地に行きたい。
ステーキを食べたい
今まで あまり裕福ではないおかあさんを気遣って
ブレンデン君が口にしなかったことばかりだった。
ブレンデン君の夢は一つずつ かなえられて行った。
そんなリストの最後に書かれていたのは・・・・・
ホームレスの人たちに食べ物を届けてあげたい。
抗がん剤治療で病院に通っていたころ、ホームレスの
人たちの テント村が広がっていた光景を見た
ブレンデン君
当時 リーマンショックで ホームレスの人たちが増えていた。
ブレンデン君は その光景を覚えていたのだ。
残り少ない命なのに ブレンデン君は 他人のことを心配していた。
シアトルだけでも ホームレスの数は数千人
彼ら全員に食べ物を配るのは 不可能だと思われた。
一方で ブレンデンン君の容体は 悪化していった。
集まったのは ボランティアたったの8人だけ。
この数では たった一つのテント村に 配るのが
やっとだと 思われた。
パトリシアさんが 必死の思いで取材の依頼を
送っていた。
エリサさんは 以前は大統領などの取材をしていた
花形記者。 だから ブレンデン君の話を聞いても
最初は興味がなかった。
だが しかたなしに ブレンデン君の取材に行って
ブレンデン君と話すうち エリサさんの気持ちが
変わった。
ブレンデン君の話は 夕方のニュースで取り上げられ
なんと ブレンデン君一人のために地元テレビやラジオが
主体となって ホームレスに食糧を配ることになったのだ
2008/11/20
なんと 300名を超える人たちがボランティアとして集まり
そこにはたくさんの食糧が 集まっていた。
支援物資は トラック6台分
募金も莫大な金額が集まった。
全米のホームレスたちが 生きる勇気を取り戻して行った。
最初は シアトルの地方局で取り上げられた ブレンデン君の
ニュースは 全米に 広がっていった。
2008年11/21 ブレンデン君は ホームレスの笑顔を見届けて
天国へと 旅立った。
彼の死後も ブレンデン君の名のもとに 多くの食料や募金が
集まっていったのだ。
そんな彼は
悲しいのはどんな時? と聞かれて
「人があきらめる時」
「みんな夢を追い続けて 誰もそれを止めちゃいけないんだ。」
やはり 彼は 地上に舞い降りた天使だったかもしれない
私は、30代になって、また気づかされることが沢山ある
だからこそ、若い世代の人達に伝えたい
毎日毎日を一生懸命生きていくこと
何事にも簡単にあきらめないこと
そう言い聞かせながら自分を奮い立たせがんばろう!
ありがとう ブレンデン君