2個前のエントリでアイランド君から
「死にたいとかそんなことをブログで書くと不快に感じる方がいるだろうから控えるべき」と
コメントをいただきました。
色々長い時間をかけて、一体どうすれば僕のブログに存在理由ができるか考えてみました。
いっつもフラフラした生活をしているし、僕は「誰かのためになる」エントリを書くつもりは無いので、
積極的に、例えば「物理の教科書ならコレ!」みたいな事は書くつもりは無いし、
となると僕の日常生活かくだらない妄想でも面白おかしく書ければいいかなぁ、と思っていました。
何と言いますか、僕自身自分の生活に真摯じゃないので
本当に自分の生活がどうでもいい。
僕としては真面目に、ひたむきに生活をしているつもりでいたのですが、
どうも根底においては僕は自分の生活がどうでもいいようだ、そう昨日改めて認識しました
ロカンタンが独学者の前で蝿を潰してやったみたいに、
僕は自分の生活が、左手がどうでもいいからリストカットしたりするのでしょう。
その点ではやはり僕の態度は、真面目に生きていらっしゃる方々に失礼にあたるかと思います。
しかしながら、少なくとも混乱しつつも、僕は誠実に生きてきたつもりでした。
「自分がどうでも良い、と根底で思っているんじゃないか」って言うのは
あくまで現象から遡った、まぁ後付の説明のようなものです。
恐らくは多分にその理由もあるから、僕はリストカットしたりするのでしょうが、
でも結果だけを見て考えなければ僕はそれなりにまともに生活したつもりでした。
(冗談でも「お前リストカットはおかしいよ」と言われると結構辛いです。
みんな自分の頭脳を信じて行動しています。
『星条旗の聞こえない部屋』のベン・アイザックのお母さんが
「私はノーマル(正常)だ!」って叫んでいたのが印象的でした)
だからまぁ、エントリにしても別に「死にたい」とかそういうレベルではなくて、
ただ単なる露悪趣味であっても、自分で自虐ネタとしてある程度客観的に感じられる
ような感じがしていました。
でも何て言うか・・・まぁ読んで笑い飛ばせれば良いのだろうけれど、
全く笑えないところが問題なんでしょうか。
めっちゃ曖昧になっちゃいましたが何言いたいかって単刀直入に言うと、
僕は矛盾しつつも自分の生活にそれなりの価値があると思っている。
価値付けが妥当であるとか、そういう議論を抜きにして、
まさに「目で見て触れるもの」というような、そういう重み、手触りがあるものだと捉えている。
一方で本当にどうでもいいと考えているからリストカットするのかもしれない。
でも反対側で僕はある程度やはり生活に、手触りのようなものを感じている。
こういう矛盾です。
だからまぁ僕の生活が見るに耐えないものだったら、ブログの存在自体が無意味というか
有害なものなので、過去エントリは全部消そうと思っています。
被害妄想癖があるのかわかりませんが、ただ僕は自分は厄介者なんだろうか、と考えて
そう感じてしまったら何らかの対処を施した方が良いとは思っています。
「個人ブログで、私的な日記などを公開する意味は全く無い」
未だにこの議論にも、積極的に答えを出せないでいます。
まぁこう言われたら何にも言えず「グゥ」とか言っているのでしょう。
やはり、「お前の日常なんざ、誰が知りたいんだよ、ファック」といわれたら
全く反論できません。仰るとおりです。
でも実際にブログで、日記なんぞを書いてしまっているわけですから
その時点で矛盾が出てくる。
まぁ、空気読まないのが僕の今までの人生ですが、
さすがに不快なものを晒しておくのはいただけないです。
という訳で、極めて個人的な立場から結論したのですが、
この日記が不愉快ならもう止めます。
別に特定の誰かに「僕の事を知って欲しい」から日記を書いているのじゃなくて、
言ってみればジャック・デリダの「葉書」を空から郵便ヘリで大量散布するようなものです。
だから、そもそもの前提において「私の言いたい事は理解されているだろうか?」
とかそういうことを考えるべき問題じゃない。
なぜならば、何かを伝える相手を選んでいるわけではないからです。
手紙を無差別送付しているのだから、当然理解を示さない人間もいるわけです。
実際街中で片っ端から人に話しかけても、自分の分野のが通じる人間はまず稀です。
だから、この場合僕は自分が書いた文章に対して責任こそ感じすれ
本来そういった「受容」という性質を意識する必要は何も無い。
それであっても、やはり「誰か」が不愉快ならば、
それは意識しなければならない。
「誰か」に失礼だからです。
この場合手紙のあて先が出来てしまうわけです。
そうなると、その「誰か」が不快にならないように僕はエントリを書くでしょう。
別に僕は屁理屈を言いたいんじゃないです。
万人に好かれる事は不可能ですがただ、
相手を意識して日記なんぞを書く行為って不自然じゃないか、ってことです。
ちょっと考えてみれば「不快に思う人間の数」も問題になってくるわけで、
どんな良い人であっても、反感を覚えるヒネクレモノはやはりいるわけです
だからこうなってくると、ブログの不愉快度っていうものを設定するとしたら、
数量の程度問題になってくる気もしますが
でも繰り返しますが僕は、何かを特定の相手を意識した日記は不自然だと思う。
そういう厳しいものの考え方は僕は今したくないので、こういう状況になったら
まぁ過去のエントリなんかも全部消そうと思っています。
かなり錯綜しましたが、こんな感じです。
僕はたまにはゆで卵も半熟よりハード・ボイルドも悪くないと思っているので
一度LSDやってトリップするのも経験として良いんじゃないか、と思っています。
別に「サルトルがメスカリンやったんなら、俺も・・・」みたいなんじゃないです。
学校を退学するのもやってみなければ分からない事です。
途方も無い未練とコンプレックスと、また妙な自信過剰が生まれます。
「お前らと俺は違うんだ」と言い出したいような衝動に時々かられます。
こういう僕の、極めて私的な感情をどう感じてらっしゃるかはご自由です。
本当の自由です。自分の宇宙船を持って宇宙を駆け抜けるようなものです。
仮にLSDをやっても依存が現実問題として深刻になるか、ならないかは僕自身の問題なので、
そういう事に泣き言をあらわに書かない限り、読んでくださっている方々には
「ハハハ、こいつバカだ」ってくらいに軽く笑ってくだされば僕は幸いです。
- J‐P・サルトル, 白井 浩司
- 嘔吐
- 東 浩紀
- 存在論的、郵便的―ジャック・デリダについて