普段は山登りをしておりませんが、50歳にして人生3回目の富士山への登山を行いました。登りの途中ではありますが、3回目にして、初めて富士山でご来光を拝むことが出来ましたお祝い

 

<2025/9/6(土)5:15 富士宮ルート8合目手前でご来光>

 

入山料4000円となった影響か、登山道は空いており、渋滞も無く、登頂に成功しました。下りで左ヒザを痛めましたが、翌朝にはほぼ回復しました。その後、筋肉痛にはなりませんでしたニヤリ

 

<2025/9/6(土)10:43 最高標高点3776m>

※記念撮影用の軽装状態です。別に30Lザックで冬装備を携行しています。

 

補足

・1回目の富士山登頂(1997年8月)

 大学院1年生22歳の時に、大学時代の同級生5名で須走ルートにて登頂しました。その当時はWIN95が発売され、パソコンが一般に普及し始めた頃ですが、検索で登山情報を調べるようなHPも無く、専門的な情報はまだ本を読んで調べる必要がありました。そもそも何で富士山に登ることになったのか、28年前のことで今回登った4名も覚えておりませんでした。登山経験者がいなかったこともあり、私も情報不足であり、今から考えれば著しい装備不足での登山でした。

 服装は、半そでTシャツ+ジーパン+普通のスニーカー+ヘッドライト、その上に上下のカッパを着た状態。小さいリュックに水やカロリーメイトを入れる程度で、中に着込む防寒具や使い捨てカイロなどは所持していませんでした。

 気候は、九州地方に台風が来ており、不安定な状態でしたが、山小屋の予約をせず、弾丸登山を深夜に開始しました。気候が悪いため、下山してくる人はいるものの、登山する人は我々以外には皆無でした。若い無鉄砲さで登り続け、7合目ぐらいで周囲が深い霧に包まれると、近傍で稲光が横に走り始めました。急激な気温低下と、樹脂の下敷きを頭でこすった時のような帯電した感覚を全身で感じました。雷雲の中に入ってしまったことに気づいた瞬間、全員で全力で走りだし、登り途中のトイレに逃げ込みました。金属物を体から外し、寒さを1名が持っていた新聞紙を譲り合い、丸めてカッパの中に詰めてしのぎ、縮こまる態勢で1時間ほど過ごしました。

 雷雲が去ったのを確認して、登山を再開し、立ち止まると寒いので、なるべく休まずに登り続けました。勢いで登頂には成功しましたが、頂上では雪が吹き付ける様な状況で、ご来光は拝めませんでした。

 余力が無いため、お鉢巡りは行わず、そのまま下山を開始しました。下山中に晴れて、気温が上がってきたため、体温低下による行動不能は避けられました。若い生命力で生還した登山でした。今の50歳の肉体では、低温に耐えられず、遭難していたことでしょう。

 

・2回目の富士山登頂(2011年8月)

 サラリーマンを自主退職して、家の自営業に戻って数年たった36歳の時に、大学時代の同級生6名で須走ルートにて再び登頂しました。その当時の景気は、リーマンショックからの回復途上で、単価の安い仕事を沢山こなして売上げを立てており、疲れ切っておりました。

 防寒対策をしっかり行って挑みましたが、登り始めから疲れていたことと、靴を間違えて、何故かゴルフシューズを履いており、弾丸登山でもあったため、登り下りともに足の疲労が相当なものとなりました。

 このころには富士山を登る人がかなり増えており、渋滞で9合目から頂上まで2時間かかりました。頂上は曇っており、ご来光は拝めませんでした。体調管理と装備チェックの重要性を痛感した登山でした。