人は、文明の利器に頼りすぎ自身で考える機会が少なくなったように思います。
それは全ての人ということではないけれど、散見されるように感じるのです。


友人にはもうすぐ2歳になる子供がいて、毎日育児日記のように日々話を聞いています。
この頃の著しい成長は聞いているだけでも目を見張るものがあります。
生まれて、たったの2年で大人の言葉をほぼ理解しているようです。
そして毎日見るもの聞くものが初めてだから全てに興味を持って吸収してしまう。

但し「言葉を話す」事に関してまだ知識や会話力が足りず、ボキャブラリーが乏しい為
使い分けも出来ていない事などで思うように話せなずとてもジレンマがあるよう。
言葉で表現できないもどかしさもあり、ここの所は機嫌を損ね「イヤイヤ」の応酬らしい(笑


私が10代の頃はアナログの時代。PCが家になんて無く携帯電話も勿論ありません。
分からない事があれば図書館で調べるか自分で実証実験するかしか方法はなかったのです。
自分の思いを言葉にする為にどのような単語や表現の仕方があるかということは
とにかく本を沢山読み漁って様々な表現を吸収していました。

学校の勉強もそうですが、最低限自分の中に「知識」を貯めておかなければ
まず自分の言葉で表現をする事はできないのが基本だと思います。


時代は変わり、今は分からない事があればググれば自分にない知識を知る事ができます。
対面で直接話をしなくてもSNS上であれば短い言葉や写真で表現をすれば大体の事は伝わります。

しかし、それはツールがあってのことなのです。

ツールを使いこなせても基礎知識が無ければ自分の頭の中はカラッポのままになります。
そして、その情報が正しいのか判断もできません。

最近はリアルに人間と話をしていても、検索結果を横流しにしてロボットがそのまま話しているかのような・・
自分がネットで検索した結果をそのまま見聞きするのと同じ感覚がよぎります。

本当の自分を表現したければ学んで知識を貯めていくしかない。限界なんてないと思います。
幼い子供が生まれた「ゼロ」の状態からたったの2年で周りの状況を理解できるように
脳の機能は衰えないといわれています。興味さえあれば周りの全てを吸収して
経験を重ねながら「自分なり」に租借をして自分の考えを表現できる基礎となるのです。

答えを他者・ネットに頼るようであれば、既に人ではなく自身が「ツール」と化しているのです。

答えはネットの中にはなく、自分の貯めた知識と経験で作り上げた頭の引出しの中にあります。
興味を持つ心は一生忘れてはならないと思います。


また、繰り返し聞く言葉が正しいとは限りません。
一度聞いたことのあるキーワードは心の片隅に残っている為、繰り返し聞いていくうちに
自分の思いだと錯覚してしまいます。多数の意見に流される「同調」と言う心理です。
意思をしっかりと持ち、偏った情報や多くの情報を聞き分ける能力もこれからは更に必要になります。