遺品整理の為、何十年ぶりに祖母宅の納戸へ入った。
叔父や叔母で簡単にまとめていたようで不要品は大体処分を
したらしいが、特に先祖代々存在してきた古物などは
まだ手付かずのままになっていた。

そんな状況でモノが多くある為、少しづづ整理しながらも
今年の冬は雪深い年であまり身動きが取れなかったようだ。
仕分けをしながら、廃棄したり譲り受けたりして今回は
いくつか持ち帰ったものがある。


祖母は身の回りを構われるのを極端に嫌う人だった。
特に晩年はその傾向が強くなり、障子の張替えさえも
許してもらえない状況で、入院している間に大慌てで
親戚総出で家中の障子張替えだけは済ませた状態だった。

当時仕事場で働くのは祖父で、家を守るのは祖母の役目
だったため、家の隅々まで考えてモノを配置をしていたようで
移動されたり勝手に処分するなどありえず、すぐにばれる。

今思うと生活パターンは勿論、モノの配置なども全て
その1日のルーティンに組み込まれていたように思う。

祖母は箱好きで、1つ1つの中には趣味の折り紙の材料や
刺繍に手毬、編み物の材料一式だったりと一目で分かるように
いつも箱書きし整理されていた。

祖父は働きに出ていたので時間と共に行動していたが
祖母は完全に太陽と共に行動を共にしており、仏様や神様の
お供えから二十四節気などの年中行事も正確に行われていた。


納戸では、やはり木箱に全て祖母の字で書かれた食器などが
積みあがっていた。子供の頃お祭りなどで親戚が集まる時に
しか使わないしつらえの良いものも綺麗にしまわれていた。

奥には、なんと購入時の箱に私の綻びたランドセルが入っていた。
当然捨てている物と思っていたのだが、叔父は祖母が大事に取って
いた為そのままにしたいそうで、触らずにしておいた。

また、納戸の奥に茶道具の入っている箱を見つけた。
子供の頃、祖母が夜になるとお抹茶を立てていた様子を思い出す。


現代に比べれば主婦は早朝から深夜まで働き通しで、夕食後
片付けが終わり、最後のお茶時間になると漸く自分の余暇と
なるようで(お茶どころの為、1日4回はお茶の時間がある)

箱を持って来ては夜遅くまで編み物をしたり、週に何度かは
点茶をしていた。当時旅行もする事がなかったように思う
家を守り続ける祖母の密かな楽しみだったのだと。


岡持ちのような茶道具箱を開けると当時のまま最上段に
道具があり、その下は計5つの抹茶椀が入っていた。
上段に竹の柄杓が吊るせるようになっている。

その中から子供の頃の記憶に残っていた白黒で陰陽のような
デザインの浅広型の焼物、清水焼であろう扇子柄の椀を
譲ってもらい、他には古伊万里の食器や重箱も持ち帰った。

曾祖母も骨董好きだったらしいので、一体いつ頃のものか
分からないけれど、欠けもなく大事に扱ってきた器ばかり
なので私も日常で大切に使っていこうと思う。

うまくは言えないけれど、
残るものと変わるもの両方が共存してこそ
未来の行く末が見えてくるのだと感じる。