このブログでは技術的特異点をテーマとして
過去から未来への話を行ったり来たりしています。
(最近は過去が多いですが・・)

未来の予測だけが未来の話ではありません。
過去があり現在立つ今がどうであるかによって未来が
ある程度決まるのです。そして知れば修正もできます。
知らなければ理解も難しくなります。

私の書くブログは経験した事と知っている事しかかけません。
その代わりどう未来に繋げていくかを少しづつ書いています。
未来なんてタイムマシンに乗らない限り、乗っても正しいかなんて
確認する事はできません。つまり誰にも分からないのです。

だからこそ不確実な未来や不安を煽る記事ばかりが注目を
浴びることになるのです。

未来まではまだ時間があります。但し、そうゆっくりはしていられません。
闇雲に動いたところで動くこと自体に満足してしまい自分の納得の
いく結果は得られないでしょう。かといって石橋を叩きまくって壊しても
前に進めない人もいると思います。


私にとっての今は過去から見れば「未来」だったもの。
現状に対して過去の選択がどうだったかは分かりますよね^^
今より先の未来に対しても同じ事だと思うのです。

だからあえて過去や今の記事を書くことで未来のことも少しづつ
見えてくるのです。


タイトルの事ですが、今年も学校へ授業をし終わりました。
私は毎回子供達に、沢山経験をして失敗を恐れないで欲しいこと
比べるのは周りの人とではなく自分と比べて欲しい。そして
選択の場面が来たら自分で決めること。という話をしています。


現在の学校も、企業も成績や評価は「分布」です。
ある一定の人数が働いていて企業で人件費として出せる金額には
限りがあります。その為、配分を決めるために評価をつけるのです。

この方法だと周りの足を引っ張って出る杭を引きずりおろしたり
良い仕事を奪って自分の手柄にしたり寸分たがわぬ真似をしたつもりで
評価を得ようと思う人が増えても仕方ありません。
但しこの方法が蔓延したとしてもあくまで評価は分布であり
全体の質が向上するわけではありません。

手っ取り早いし楽だけれど、それは自分の実力ではない為に
それをいつまでも続けられるはずもありませんし、仮に良い評価を
もらってしまった場合は実力から評価が遠ざかっていくことになり
翌年、その翌年ともっと他人の実力をアテにする事になるのです。
学校で言えばカンニングと同じですね。


私は子供の頃から人と比べられるのがとても苦手でした。
何故その必要があるのかの理解ができませんし、また「普通」という
全く意味のない枠にはめられるのも嫌で仕方なかったのです。
そして気がつくと私は「昨日の自分」と比べるようになりました。

昨日よりも今日、今日よりも明日自分がどう変わっていくか。
この事にしか興味がなくなった為、他人の顔色を伺う必要もなく
自分を大きく見せるような虚像を作る時間もいらない為、今でもとても
のびのびと仕事ができています。

他人に興味がない代わりに人を陥れようなども勿論思うこともない。
自分に正直に生きた結果が評価として客観的に反映されれば良いと思います。

少し先の未来は評価・裁量に関するツールの導入が早めに進んでいきます。
これまで「できる自分」を演じてきた人は正しい評価に驚くでしょう。
もしかしたら未来を不安視している人はその様な結末が見えている
からこそ怯えているのかもしれませんね。

自分の過去を棚卸しして今からどのように過ごそうと思うのか。
「しくじり先生」がウケているのは今の世相を反映していると思います。
書店にあふれている成功者のノウハウを真似してもその通りにならない事に
そろそろ皆が気付いてきたころかなと思います。

それよりも失敗をどのように前向きに克服するか・・これは人によって
様々で真似のできないものですが、どんな気持ちでいたのかを知ることで
勇気が湧き自分もチャレンジしてみようと思うのかもしれませんね。

生きるヒントは、自分の過去にあるのです。

一度棚卸しをしてみることをオススメします。できれば人生グラフのような
気持ちの浮き沈みのときにどんな出来事があって、どう感じていたのか・・
これを書き出してみるだけでも自分の事が分かりますよ^^