約2年ほど前1つの研究が発表されている。
*成績は「知能」ではなく「性格」の影響が大きいということ。
性格の中で特に「経験への開放性」と「勤勉性」の影響が大きく
どちらも学ぶことに対し能動的に行う気持ちである。
これまで、勉強した成績(結果)への影響は知能だと言われてきた。
実際に何度か学生の時にIQテストも受けたことがある。
-----------------------------------------
私が育っていた小学校の地区では学習塾に通える子はいなかった。
(車で1時間以上走らないと塾がある町までいけなかった)
小学校は児童数が少なかった為、成績順の変動は6年間を通じ
ほとんど変わらなかったと記憶している。
その理由として十分に学ぶことはできていた為、素質もあると思うが
残りは自主性や克服する気持ちなどの差が大きかったのだと思う。
*成績は「知能」ではなく「性格」の影響が大きいということ。
性格の中で特に「経験への開放性」と「勤勉性」の影響が大きく
どちらも学ぶことに対し能動的に行う気持ちである。
これまで、勉強した成績(結果)への影響は知能だと言われてきた。
実際に何度か学生の時にIQテストも受けたことがある。
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私が育っていた小学校の地区では学習塾に通える子はいなかった。
(車で1時間以上走らないと塾がある町までいけなかった)
小学校は児童数が少なかった為、成績順の変動は6年間を通じ
ほとんど変わらなかったと記憶している。
その理由として十分に学ぶことはできていた為、素質もあると思うが
残りは自主性や克服する気持ちなどの差が大きかったのだと思う。
私の場合、遊ぶ時間が人より長かったはずwww
1学年辺りの人数が少ない為、2学年1クラスの複式学級形式。
それでも1クラスは15人弱といったところ。(全校で50人に満たない)
2学年分の授業を行ったり来たりしながら、1年で半分のメンバーが入替り
一緒に学ぶ。必然的に上級生が下級生の面倒を見て教えることになる。
そして先生が全員に目が行き届く人数で、遅れている子にとことん
付合うことができる。できている子も復習になり更に理解度が高まる。
この頃、私の成績はほぼ真ん中辺りだったと記憶している。
どの教科も「課外授業」が多く取り入れられていたように思う。
人数が少ないので全校で何かする行事もやたらと多かった。
自然環境が豊かで学校の風土なのか地域性なのか・・。
実際に確認してみようとなると、すぐに先生に連れ立って皆で教室を出ていく。
例えば俳句の授業では季語の理解をする為に、まずは学校の裏山へ
分け入り、秋は紅葉の様子や栗を手に取り肌で感じる秋の景色や気温
冬は電線の上で体を膨らませ丸くなっている雀の姿などを予め目に
焼き付けてから、お題目に沿って考えるなど・・。
どちらかというと頭に「暗記」として叩込むのではなく、視覚的なものと
理由付けや背景なども一緒に取込んで体で覚えていったという記憶がある。
知らないことを新しく知ったり、分かったりすることが楽しくて勉強が嫌い
という思いは全く芽生えてこなかった。
こんな環境なので先生も通勤できず校門の道路向かいにある社宅に住んで
いたが、放課後は先生の家に皆で押しかけ一緒に勉強をする日も多くあった。
先生も娯楽もなく遊び場は全て自然という環境しかないので、子供達に
とことん時間を割いてくれていたのだと思う。
(今思えば、かなり迷惑だったかもしれないけれど・・^^;)
そして家の事情により全く違う地域への中学校へ進学。全部で5クラスあり
1クラスは45人近かった。(既に小学校の全校生徒数!ww)
その人数にもびっくりしたけれど、1年生最初の実力テストがクラスで1桁台の
順位という結果に自分でも、何故真ん中ではないの?と驚いた記憶がある。
そしてその後、大人数の学校での授業は教室の中で教科書をただ読み上げ、
情報をシャワーのように浴びせるだけで時間切れとなる日が続くだけ。
誰かが遅れようが全員が理解していなかろうが、どんどん進んでいく。
早くから東大等を目指したい子達は、学校以外の学習塾や通信教育などで
学び、授業では教えてくれないところの理解度を上げようとしていた。
私は家の事情が複雑だったので、塾に通いたい申し出などは勿論許され
なかったものの、友人宅で勉強を続けてお互いが分からないところを
理解・納得するまで補填しあいながら行っていた。
それでも十分な成績は取れていたし、両極端な教育を経験しているからか
中学校のシャワー授業では不足していると感じ、小学校でのスタイルを
私は崩さず暇があれば図書館にも通いマイペースで勉強を進めていった。
この両方を経験すると、個人よりも教育方法で成績にばらつきが出ることや
明らかに小学校で経験した教育のほうが全体の成績が上がるという事を
この頃、既に自分で気付いていたのかも・・^^;
実際、小学校の同級生は大学で研究者をしていたり
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話は冒頭に戻りますが・・
・「経験への開放性」とは
知的好奇心や新しい情報を得ることにどれだけワクワクするか示すもの
のことで、クリエイティブな発想などに成果をもたらす性格。
・「勤勉性」とは
文字通りコツコツと勉強を続けるというもので、性格5つの特性である
「外向性、情緒不安定性、協調性、勤勉性、経験への開放性」の中で
唯一、必ず成功できる因子であるということ示すものだそう。
この結果を見ても情報を沢山浴びせるより、まず勉強そのものを
好きになり、続けられるような環境を小さなうちから整えることが
より良い事が分かる。その上で知識をためていくことの方が
結果としてより学力も上がる事となる。
実際に学歴だけで採用する時代も徐々に終わりつつある。
性格分類を重視していくほうが実際も入社後の成長が伸びる場合が多い。
言われたことをするのは当たり前。言われたことよりもより良い結果を
目指して仕事を進めるほうが本人にとってもやりがいがあるし、
会社にとってもより良い方向へ行くのだと思う。
今、教育のあり方を変えようとしているがまだ追いついていない。
学校に全て任せるのではなく「自主性」を身に着けるなら、十分家族が
教えられると思う。
今唯一悔やんでいるのは、もっと勉強したかったという思い。
学校に行かなくても沢山学べたけれど、もう少し学業をやってみたい。
自分の過去を振り返りながら、そんな事をぼんやり思い出していた。
1学年辺りの人数が少ない為、2学年1クラスの複式学級形式。
それでも1クラスは15人弱といったところ。(全校で50人に満たない)
2学年分の授業を行ったり来たりしながら、1年で半分のメンバーが入替り
一緒に学ぶ。必然的に上級生が下級生の面倒を見て教えることになる。
そして先生が全員に目が行き届く人数で、遅れている子にとことん
付合うことができる。できている子も復習になり更に理解度が高まる。
この頃、私の成績はほぼ真ん中辺りだったと記憶している。
どの教科も「課外授業」が多く取り入れられていたように思う。
人数が少ないので全校で何かする行事もやたらと多かった。
自然環境が豊かで学校の風土なのか地域性なのか・・。
実際に確認してみようとなると、すぐに先生に連れ立って皆で教室を出ていく。
例えば俳句の授業では季語の理解をする為に、まずは学校の裏山へ
分け入り、秋は紅葉の様子や栗を手に取り肌で感じる秋の景色や気温
冬は電線の上で体を膨らませ丸くなっている雀の姿などを予め目に
焼き付けてから、お題目に沿って考えるなど・・。
どちらかというと頭に「暗記」として叩込むのではなく、視覚的なものと
理由付けや背景なども一緒に取込んで体で覚えていったという記憶がある。
知らないことを新しく知ったり、分かったりすることが楽しくて勉強が嫌い
という思いは全く芽生えてこなかった。
こんな環境なので先生も通勤できず校門の道路向かいにある社宅に住んで
いたが、放課後は先生の家に皆で押しかけ一緒に勉強をする日も多くあった。
先生も娯楽もなく遊び場は全て自然という環境しかないので、子供達に
とことん時間を割いてくれていたのだと思う。
(今思えば、かなり迷惑だったかもしれないけれど・・^^;)
そして家の事情により全く違う地域への中学校へ進学。全部で5クラスあり
1クラスは45人近かった。(既に小学校の全校生徒数!ww)
その人数にもびっくりしたけれど、1年生最初の実力テストがクラスで1桁台の
順位という結果に自分でも、何故真ん中ではないの?と驚いた記憶がある。
そしてその後、大人数の学校での授業は教室の中で教科書をただ読み上げ、
情報をシャワーのように浴びせるだけで時間切れとなる日が続くだけ。
誰かが遅れようが全員が理解していなかろうが、どんどん進んでいく。
早くから東大等を目指したい子達は、学校以外の学習塾や通信教育などで
学び、授業では教えてくれないところの理解度を上げようとしていた。
私は家の事情が複雑だったので、塾に通いたい申し出などは勿論許され
なかったものの、友人宅で勉強を続けてお互いが分からないところを
理解・納得するまで補填しあいながら行っていた。
それでも十分な成績は取れていたし、両極端な教育を経験しているからか
中学校のシャワー授業では不足していると感じ、小学校でのスタイルを
私は崩さず暇があれば図書館にも通いマイペースで勉強を進めていった。
この両方を経験すると、個人よりも教育方法で成績にばらつきが出ることや
明らかに小学校で経験した教育のほうが全体の成績が上がるという事を
この頃、既に自分で気付いていたのかも・・^^;
実際、小学校の同級生は大学で研究者をしていたり
就職氷河期に難関だった企業に入って今も現役バリバリの女子など
必ずしも塾に行かなければ・・という印象はあまり感じていなかった。
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話は冒頭に戻りますが・・
・「経験への開放性」とは
知的好奇心や新しい情報を得ることにどれだけワクワクするか示すもの
のことで、クリエイティブな発想などに成果をもたらす性格。
・「勤勉性」とは
文字通りコツコツと勉強を続けるというもので、性格5つの特性である
「外向性、情緒不安定性、協調性、勤勉性、経験への開放性」の中で
唯一、必ず成功できる因子であるということ示すものだそう。
この結果を見ても情報を沢山浴びせるより、まず勉強そのものを
好きになり、続けられるような環境を小さなうちから整えることが
より良い事が分かる。その上で知識をためていくことの方が
結果としてより学力も上がる事となる。
実際に学歴だけで採用する時代も徐々に終わりつつある。
性格分類を重視していくほうが実際も入社後の成長が伸びる場合が多い。
言われたことをするのは当たり前。言われたことよりもより良い結果を
目指して仕事を進めるほうが本人にとってもやりがいがあるし、
会社にとってもより良い方向へ行くのだと思う。
今、教育のあり方を変えようとしているがまだ追いついていない。
学校に全て任せるのではなく「自主性」を身に着けるなら、十分家族が
教えられると思う。
今唯一悔やんでいるのは、もっと勉強したかったという思い。
学校に行かなくても沢山学べたけれど、もう少し学業をやってみたい。
自分の過去を振り返りながら、そんな事をぼんやり思い出していた。