祖母が亡くなり四七日の頃に差し掛かっています。
基本的に興味はありませんでしたが、祖母のことをきっかけに
家の宗派について初めて考える機会になりました。
前回の「自由」という記事とも広くは通じると思っていますが、
人として楽しさを慈しみ、苦しみという課題から目をそらさずに
生き抜くことであり、禅でも仏様にすがるとしても自身を放棄する
ことはできません。人も格の低いものであり、悟りを開く(気づく)
まで、人であるとは限らず生まれ代わると考えられています。
逃げたとしても克服するまで同じ課題が来続けるという解釈ですね。
ここに哲学っぽい話を入れると内容が複雑になるので前回記事も
入口までの話にしていますが、どちらにしても私は不可思議なものは
(見えないもの)存在しないと考えています。
現象があったとしても個人の思いが視聴覚的に再現されたもので、
他人は自分と同じものを同じように見ることができませんから・・。
考えを否定しているのではなく、多くの人が共感するものは生きる
目標として必要だと思うので、その意味で私も受け入れています。
長い期間をかけて仏教などの考えが推奨され続けてきたということは
歴史を繋ぐ上で理解しやすい「お手本」だったからだと思うからです。
その手段だけにハマると本来目的を見失います。思いを馳せる事で
心に波風を立てず、個人が生き方を見出すのにはよいと思うのです。
--------------------------
日本の古い仏教は「悟りを開く」方法がざっくり2つに分かれます。
釈迦(目標)に全権を委ね、全てに従いながら悟りを開く方法と
自分の力で修行を重ねて悟りを開く(=涅槃:ニルヴァーナ)
わが家は後者のほうにあたるようです。
(いずれも、最終的な到達地点は同じはずなのですけれど・・)
具体的に書きませんが後者は「禅宗」の中の1つだそうです。
祖母は生前、何百回忌と言う法要を行っていましたので
その宗派に属してから同じくらい長い年月がたっていますし
多分私の生き方の一部にもその思想は存在していると思います。
この宗派を開祖した僧侶は「禅によって悟りを開く」ことと
「日々の生活を丁寧に行う事が修行」という2つの考え方で
広めていきました。本来は経典も必要はなかったようです。
(教え自体がない為)
弟子に言葉で教えることはなく、ただ生活を共にし禅を続けながら
各自が自分自身で気づく(悟る)事を目指している宗派です。
そう思うと、日々の生活を黙々とこなしていた祖母の姿は生活を
通じ無意識の中で修行を行っているようにも感じます。
体調や環境のなどでも日々同じ生活を続けるということは相当の
努力が必要だったと思いますが、愚痴ひとつ言わず休む姿も見る
ことはなく、思い返すと改めて凄いことだったのだなと・・
------------------------
一般的には仏教の場合、亡くなってからの告別式や納骨となる
四十九日(七七日)までの期間はほぼ共通です。
基本は「釈迦」をベースとして各宗派の考え方が広まっているので
あとはそれぞれの解釈の違いになるのだと思います。
わが家の宗派の場合は生まれ変わり(再生)の思想はありません。
輪廻転生の考え方は海外の宗教には多くありますが、この宗派は
生きている間もしくは死後に釈迦の弟子となり、修行を積み重ねて
釈迦の元までたどり着くのだそう。
人生は一度きり、やり直しはできないという気持ちで生きる・・
ということなのでしょうね。
祖母を白装束に草鞋を履いた格好に着替えさせ、通夜の際には
髪を剃る(実際にはしません)剃髪儀式を行い、水を葉で撒き体を清め
刀を授け、「血脈」というお札を渡し釈迦の弟子と認められて
火葬の際一緒に焚上げます。
その後、告別式以降経典を毎日読み続け四十九日をかけて
修行を行い釈迦の元まで行く為の「成仏」仏様になるのが宗派の
考え方だそうです。
私は今回その話を知る前に、祖母と目に見える形で最後のお別れする
という思いで私一人で眠っている祖母の前で寝ずに2日間過ごしました。
叔父や叔母は最後の数日間はほとんど不眠不休だったそうで、少しでも
寝て欲しいという気持ちもあったのですが・・。
現代は線香も渦巻き式になっていて12時間消えずにもつものがあり
蝋燭は24時間もつものでした。通夜の時でさえ眠ることは可能ですが
「線香を四十九日の間は24時間たやさない」ことが本来の送り方だと
言っておられました。
「喪に服す」中でも「忌中」は特に色々な制約があります。
それは単に決め事でなく、49日かけて親族が集まり色々な話を
しながら亡くなった人に寄り添い続け成仏の日まで見送ってあげる
(=残された人の気持ちも納得)ことが本当の目的ではと思います。
今は皆仕事もし、それぞれが所帯を別に持ち生活を抱えています。
昔のように大所帯ではない為、その様な行事は簡素化されています。
祖母の七七日は9月20日なりますが、毎日祖母の生き方を思い出し、
日々できることは毎日祖母へ応援するための経典を読み上げる位なのですが・・
離れていても、せめてその様な思いをもち続けて生活をすることが
感謝をしてもしきれない祖母への自分なりの供養だと思っています。
基本的に興味はありませんでしたが、祖母のことをきっかけに
家の宗派について初めて考える機会になりました。
前回の「自由」という記事とも広くは通じると思っていますが、
人として楽しさを慈しみ、苦しみという課題から目をそらさずに
生き抜くことであり、禅でも仏様にすがるとしても自身を放棄する
ことはできません。人も格の低いものであり、悟りを開く(気づく)
まで、人であるとは限らず生まれ代わると考えられています。
逃げたとしても克服するまで同じ課題が来続けるという解釈ですね。
ここに哲学っぽい話を入れると内容が複雑になるので前回記事も
入口までの話にしていますが、どちらにしても私は不可思議なものは
(見えないもの)存在しないと考えています。
現象があったとしても個人の思いが視聴覚的に再現されたもので、
他人は自分と同じものを同じように見ることができませんから・・。
考えを否定しているのではなく、多くの人が共感するものは生きる
目標として必要だと思うので、その意味で私も受け入れています。
長い期間をかけて仏教などの考えが推奨され続けてきたということは
歴史を繋ぐ上で理解しやすい「お手本」だったからだと思うからです。
その手段だけにハマると本来目的を見失います。思いを馳せる事で
心に波風を立てず、個人が生き方を見出すのにはよいと思うのです。
--------------------------
日本の古い仏教は「悟りを開く」方法がざっくり2つに分かれます。
釈迦(目標)に全権を委ね、全てに従いながら悟りを開く方法と
自分の力で修行を重ねて悟りを開く(=涅槃:ニルヴァーナ)
わが家は後者のほうにあたるようです。
(いずれも、最終的な到達地点は同じはずなのですけれど・・)
具体的に書きませんが後者は「禅宗」の中の1つだそうです。
祖母は生前、何百回忌と言う法要を行っていましたので
その宗派に属してから同じくらい長い年月がたっていますし
多分私の生き方の一部にもその思想は存在していると思います。
この宗派を開祖した僧侶は「禅によって悟りを開く」ことと
「日々の生活を丁寧に行う事が修行」という2つの考え方で
広めていきました。本来は経典も必要はなかったようです。
(教え自体がない為)
弟子に言葉で教えることはなく、ただ生活を共にし禅を続けながら
各自が自分自身で気づく(悟る)事を目指している宗派です。
そう思うと、日々の生活を黙々とこなしていた祖母の姿は生活を
通じ無意識の中で修行を行っているようにも感じます。
体調や環境のなどでも日々同じ生活を続けるということは相当の
努力が必要だったと思いますが、愚痴ひとつ言わず休む姿も見る
ことはなく、思い返すと改めて凄いことだったのだなと・・
------------------------
一般的には仏教の場合、亡くなってからの告別式や納骨となる
四十九日(七七日)までの期間はほぼ共通です。
基本は「釈迦」をベースとして各宗派の考え方が広まっているので
あとはそれぞれの解釈の違いになるのだと思います。
わが家の宗派の場合は生まれ変わり(再生)の思想はありません。
輪廻転生の考え方は海外の宗教には多くありますが、この宗派は
生きている間もしくは死後に釈迦の弟子となり、修行を積み重ねて
釈迦の元までたどり着くのだそう。
人生は一度きり、やり直しはできないという気持ちで生きる・・
ということなのでしょうね。
祖母を白装束に草鞋を履いた格好に着替えさせ、通夜の際には
髪を剃る(実際にはしません)剃髪儀式を行い、水を葉で撒き体を清め
刀を授け、「血脈」というお札を渡し釈迦の弟子と認められて
火葬の際一緒に焚上げます。
その後、告別式以降経典を毎日読み続け四十九日をかけて
修行を行い釈迦の元まで行く為の「成仏」仏様になるのが宗派の
考え方だそうです。
私は今回その話を知る前に、祖母と目に見える形で最後のお別れする
という思いで私一人で眠っている祖母の前で寝ずに2日間過ごしました。
叔父や叔母は最後の数日間はほとんど不眠不休だったそうで、少しでも
寝て欲しいという気持ちもあったのですが・・。
現代は線香も渦巻き式になっていて12時間消えずにもつものがあり
蝋燭は24時間もつものでした。通夜の時でさえ眠ることは可能ですが
「線香を四十九日の間は24時間たやさない」ことが本来の送り方だと
言っておられました。
「喪に服す」中でも「忌中」は特に色々な制約があります。
それは単に決め事でなく、49日かけて親族が集まり色々な話を
しながら亡くなった人に寄り添い続け成仏の日まで見送ってあげる
(=残された人の気持ちも納得)ことが本当の目的ではと思います。
今は皆仕事もし、それぞれが所帯を別に持ち生活を抱えています。
昔のように大所帯ではない為、その様な行事は簡素化されています。
祖母の七七日は9月20日なりますが、毎日祖母の生き方を思い出し、
日々できることは毎日祖母へ応援するための経典を読み上げる位なのですが・・
離れていても、せめてその様な思いをもち続けて生活をすることが
感謝をしてもしきれない祖母への自分なりの供養だと思っています。