慌しく出張から帰ってきました。
どちらかと言うと、休日よりも平日のほうが座席が埋まって
います。平日の朝は皆寝ているので車内は静か^^
私も普段は音楽を聴きながら爆睡していることが多いです。

混雑は夜のほうが特に酷いですね。ホームから人が溢れそうな
位集中しています。娯楽で移動と言うよりは仕事での利用が
多いからかもしれませんね。
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講師に行くとほぼ100%の確立で小学校は制服ではなく
私服の学校が増えました。ランドセルではなくリュック。

姪っ子達も同様で、先日の告別式の際は入学式のときに
買った大きめだった黒のスーツが今は3年生なので、サイズは
OKだったけれど袖も裾もかなり短め・・次は難しそう。
私服通学は結果的にお金もかからず楽で良いそうです。


私の場合はまだ制服の年代で確かブレザーでしたが、
中学校のお姉さんがセーラー服であこがれていました。
(結局転校先もブレザーでしたT_T)

私は元々人と同じというのがどうも嫌いで、何かしら
改造したりwwしていましたし、歌にもあるように全員が
同じに扱われる=支配というイメージが強かったからかも
しれません。

とは言いつつ、制服を嫌がっていた子達は卒業して制服が
無くなったにも関わらず友達の服を真似したり、おそろい
にしたがる子もいました。それがとても不思議でした。


ところで「お金の心配は一切要らないから、明日から一人で
永遠(無期限)に自由にしていいよ」と言われたら何をしますか?
はじめは嬉しいかもしれませんし、もしかしたら何をすれば
よいかと戸惑う人もいるかもしれません。

本来は制約があるから「自由」を感じられるのです。
条件の中であれこれ工夫する事が今の自由という感覚です。
それまでの生活習慣などが大きく影響していると思います。

自由な発想をする習慣のない人は、周りを見てとりあえず最善の
方法を選択することで落ち着くでしょう。
何も無いところから発想ができる人は、まず自分でテーマや条件
を決めていき、それに沿って何かを作り上げていくのです。

どちらにしても、今の概念では本当の意味での自由という環境
ではありません。大きく言えば必ず寿命が来るという制約の中で
生きているわけです。

お休みが楽しいのもキツイ仕事があるからこそ感じれるのかも
しれません。制約・不自由があってこそ自由が生きてくるのです。


技術的特異点が来る頃には、お金という制約は少し残るかもしれませんが
治せない病気はなくなっているでしょう。永遠の命を手にする可能性も
十分にあります。エネルギーも消費する必要のない車や家電や家であれば
地球環境を壊すこともなくなります。
食事も美味しいものを全て完全な状態の養殖技術が完成すれば種を減らす
こともなくなり、且つ地球全体でバランスを保ちづつけることができます。

そうなれば仕事も必要なくなり、最終的にはお金もなくなります。
そんな世の中になったとき、これまでとは全く違う概念での「自由」
な時間がやってきます。本当の意味での永遠の自由が来るのです。


そのとき、何をしたいでしょうか?
一切の制約も心配もなく全てを自由に生きてゆくことができます。
但しそれは、他人の自由も奪うことができないということなのです。


そう考えると今は生きる喜びを実感できる最後の時代なのかもしれません。
花は散り、枯れていくからこそ咲き誇った瞬間が美しいと感じるのです。

少なくとも私の世代はその変革をギリギリ見届けることができるかも
しれません。まだ今の段階ではなんともいえない状態ですけれど・・