残暑お見舞い申し上げます。
お盆休みも終わり、ようやく平常稼動しております。

メッセージやコメントでお悔やみの言葉をくださった方、またその
想いで残してくださった方、本当にありがとうございました。
その場を読んでくださった方に私ごととは言え、支えとなり
とても心救われました。この場を借りてお礼を申し上げます。

色々なことがあっても、日々は平等に流れています。

よく災害や身近な人の死などを「風化させてはならない」
といいますが、大切なのはその出来事を通じて得た教訓を
残し伝えていくことではないかと感じます。

失った悲しみという感情だけを抱え続けていくことは、
恐らく故人が見ていたとしたら、きっと望んでいないでしょう。
「そうじゃなくて!!」と言っているかもしれません。

明日から忘れるという簡単なものではありませんが、確かに
生きていた証を大切に、前を向いていきたいと思います。

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故人の死を乗り越える為に「荼毘に付す(だびにふす)」機会が
あります。直接の意味は火葬をする事にあたりますが、言葉自体は
インドのパーリ語 jhapeti「燃やす」に由来した仏教の言葉です。

火葬の歴史は案外古く、釈迦が火葬されたということから日本へ
仏教が伝わった頃から行われていたそう。最初は西暦700年の
「道昭」だったと記述が残っています。(縄文時代からという説も)

天皇や役人、武士などは火葬をされていましたし、近年は徐々に
広まりつつありましたが、体に傷をつける事は大きな罪とも
考えられていたことや、復活の思想など土葬は根強くありました。

もう1つの大きな理由は、人を火葬するための沢山の燃料や特殊な
場所が必要で蒔は生活に欠かせない貴重な燃料であり、現実的に
普及は難しかった事もあります。

近代では疫病の広まり防止など衛生上の観点や土地の問題などから
ここ20~30年の間に日本ではほぼ100%火葬が普及しています。
(海外では宗教観からも土葬の割合が多いようです)


皇族は少し逆行しています。長い間火葬でしたが1617年以降〜
昭和天皇までは全て土葬で埋葬されているそうです。最近では
3年前に法改正され、以降は火葬されることになったそうです。

祖父は土葬でした。現在は法律も変わり祖母は火葬でした。

今回、祖父の葬儀を鮮明に思い出したのですが、若い事もあり
家の宗派には全く興味がありませんでした。今回初めて知る(見る)
事で祖父母の葬儀の執り行いから感じるものがありました。
(これはまた詳しく・・)

私自身、宗教と政治の話は絡みたくないですし、人生は自分で
切り開くものですから何も信仰はしていませんが、人が歴史の中で
ご先祖と残された人の落ち着けるところをうまく作るという意味で
必要なものなのかもしれない・・と思いました。

祖父の時は余りに突然だったことや、目の前で土葬を見ていたので
亡くなったという実感が長い間ありませんでした。
いつか普通に起きて帰って来るのではないかと・・

祖母の場合は皆が時間をかけて覚悟をしてきたこともあり
最期のお別れをして、火葬で肉体がなくなった事を目の当たりに
することで気持ちの中でも「別れ」を実感したように感じました。

旅立ってしまい、今はまだ二七日の頃ですので、道半ばですが
今も旅を続けているので四十九日(四七日)まで祈っていきます。

その間皆さんともこうしてなかなか考える機会のないことを
見つめていけたらと思っています。