今週、戦後最悪とも言われる事件が発生してしまいました。
世界では自爆テロなども含み悲惨な事件が多発していますが
日本でよもやこのような事件が起こるとは・・愕然としました。

自分の生き死にに関しての選択は常に自分自身にあります。
生まれたときから死に向かっていますので、命の大切さにちゃんと
向き合いながらその日を迎えるのが通常です。

その途中で、自ら命を絶つ人もいます。その選択は誰も止める
ことはできません。


常々思うのですが、触れてはいけないこととしてなぜか「死」
というテーマは軽く扱われている、もしくはタブー視されている
ように思うのです。

その結果「謎」のまま、誰も深く入り込まない為に自らで命を
絶ったり、自己欲求の果てに他人の命を奪うという行動に行って
しまうのではと思うのです。

食欲も含め何かを欲求するという感情は全て「生きたい」という
気持ちの表れなのです。それと向き合わない限り、妙な葛藤が
起こると考えています。

他人の命を奪うのもまた、自分が生きたいという自己欲求の強い
現れであると。ただ他人の命を軽視する事は私には理解できません。

命の重さ大切さを、今一度考えてみることでなぜこのような事件が
起こるのか、自分は命を軽く考えていないだろうかと言うことに
気づいて欲しいと思います。

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私が祖父母宅で生活をしていた頃は小さな小学校に通っていました。
全校生徒は足しても50名ほど、複式学級と言って2学年が一緒に
2年間をかけて学習をしていきます。そのため3クラスしかありません。

また、通常は養護学級と言うものが存在しますが、この学校は
児童数が少ない為別教室はなく、年齢で障害を持つ子達とも一緒に
勉強をしていました。(学校へ通える軽度ではあったと思うのですが)

1クラスあたり10名前後しか居ない為、先生の目は全てに行き届き
全員が理解するまでほぼ個別指導ができていました。
学校の行事は勿論、日常の当番なども学校全部で行っていたので
遠足から野外授業など、年齢、性別なども分け隔てなく一緒に行います。

そのため、私は子供の頃からあまり障害者が特別だという感覚は
ありませんでした。(障害という名前もどうかと思いますし)
それが当たり前のことでしたし、私が背が低くて少し変わった性格で
あることと同じように、それは単なる「個性」だと思っていて
特別視する人は周りにもいませんでした。

話をするときも意思の疎通までに時間はかかりますが、少しづつ
会話をしていけば通じますし、遊ぶときも勿論一緒に遊びます。
学校でも、できないことは周りの子が皆で手伝っていました。
その子もそんな環境だったからか、素直で笑顔が素敵な子でした。

母親のところへ行く際に私は転校をし、大きな中学校へ行くことに
なりましたが、1学年40人の7クラスありましたし、養護学級は
特別教室がある別館の一番端のところにあったため、そのような
子達と接する機会はそれ以来一切なくなりました。

あまりにも違う環境で、ずっと違和感を感じていたのです。

サポートは普通の人よりも必要だと思うのですが、特別視する
ような環境を作ってしまうということ自体、疑問を抱きます。
同じように性的マイノリティ、私のような性格マイノリティ(笑
の人たちを特別視するという感覚は私にはありません。

やはり命の重さを考える上で向き合うことは大切だと思います。
私達は、生きる為に毎日他の命をもらって生きている、という
現実はしっかりと直視する必要があると思います。

以前の記事で書いたように、祖父母宅での自給自足の暮らしでは
植物を育て動物を狩り、捌くのを見て命をもらう事を目の当たりにし
それを無駄にする事なく食べるという工程を全て見て育ちました。

きれいごとではなくそれが現実なのです。それがあり私達は生きている
のだという自覚を持つことで、他人や自分の命を軽視する事もない、
本当にシンプルな答えにたどり着くのだと。

命の重さはみんな同じ。だから見た目や肩書きはただの飾りで
私には正直、興味のないものなのです。
だから平等ではなく、公平にこれからも人と関わっていきたいと思います。