このGWはしっかり休ませていただき、更新もお休み
して、祖母宅で親戚と共に過ごしてきました。

深い山間にあり携帯の電波は入らず、ネットもありません。
極めてアナログな生活を送り、初めは不便を感じましたが
定期的にこのような環境にいるのも良いのだと思います。
----------------------------

祖母は今回、熱も治まり目覚めていました。
入院病棟から療養病棟に移り、窓からの眺めも良い場所。

私の顔を見ると愛想笑いをするので「誰かわかる?」と
聞くと「分からない・・」と悲しそうに答えました。
前回はまだ覚えていたのに、眠るたびに新しい記憶から
遡って消えていっているように感じました。
子供の頃の私は時折祖母は探しているそうです。

今年の冬に多臓器不全の熱で入院してからは口から食事が
できなくなり、自力でお手洗いに行くことはもちろん
起き上がることもできず、栄養剤の点滴を1日2本と時折
プリン等を1~2口食べるのみとなりました。

エネルギー的には300~400キロカロリーしか摂取する
ことができない事、動く体力もなくなり眠る日々が続く
ため少しづつ弱っていきます。

主治医からは、通常は点滴だけになると体が段々と点滴も
受け付けなくなっていき、およそ半年位しか持たないケース
が多いという話でした。

叔父は、祖母に1日でも長生きをして欲しいとベッド脇の
冷蔵庫にプリンや牛乳等ぎゅうぎゅうに常備しています。
それを見たとき祖母の為というよりも、叔父が無意識に
自分の為に介護を悔いなくしたいのではと感じました。


お彼岸の頃には高熱を繰り返し、いつ危なくなっても
おかしくないという状況だった為、自宅ももしもの為にと
介護で行き届かなかった場所まで綺麗に掃除されていました。

叔父がほぼ一人で介護を11年ほど行っていますが、仕事をして
帰宅すれば話しかけることもできたのに、祖母が居ない空いた
ベッドがあり普段は静かな為、叔父も少し寂しそうで、最近は
食事も適当になり、お酒に手が伸びる日々だそう・・

長い間、叔父と看護師の叔母は介護の方法でもめていました。
看護師の立場から見ると叔父の介護は色々と気になるようで
叔父からしてみれば、自分が面倒を見ているから口を挟むな
とよく喧嘩をしている場面も見られました。

私も、時折帰ることしかできないため、叔父にとっても
都合の良いときにしか顔を出さないと思っているようでした。

そして、今年に入り祖母の命が長くはないと分かり、私も
帰ってもどうしようもないけれどこまめに顔を見に行く
ようになりました。祖母のいない自宅では、帰るたびに
叔父と叔母と私で話をするようになりました。

私の子供の頃のことや、叔父や叔母、母の話など・・
私も大人になり、知らなかったことを知って自分の中の
整理もできるようになりました。

叔父も、気持ちの整理が少しづつできているようですし
叔母も、叔父だったからこそ優しく祖母へ接する介護を
弱音を吐かずしてくれているのだと言っていました。

祖母を通じて、このような話ができる事にとても感謝を
しなければならないと思います。

私をわからなくなったのは悲しいけれど、そうして忘れて
思い出や心残りを軽くしながら穏やかに最後の日を迎える
事は本人にとって良いことだと今では思います。

私の家系は短命で大体60代で亡くなっています。祖母は
初めて94歳まで生きています。顔色もよく、穏やかな
表情で毎日静かに眠っています。

こうして、静かに命が尽きていくことを最後まで見守れる
という自分たちも、心の準備もさせてもらえているし
とても幸せなことなのではないかと感じています。

---------------------------
少し長くなりましたが、次回も祖母や祖母の家で感じた
事を書きたいと思います。少々お付き合いの程・・^^