先日お彼岸だったという事もあり、お墓参りも兼ねて
眠り姫の祖母に会いに行ってきました。

祖母の家は山間にある為、元々夏でもエアコンが
いらない位涼しい場所ですが、今年は雪が少なかった
ものの、やはりまだ春浅いという雰囲気でした。
桜のつぼみもまだ固く、今は梅が満開。椿もまだ
しっかりと咲いていました。

家の周りに自生している、冷たい雪解け水の中に伸びた
セリと葉ワサビを摘んで帰りました。懐かしい季節の
祖母の味を再現しようと持って帰って来ました。


祖母は2~3日前は少し調子がよく、大好きな相撲を
見ながら少し会話もできたそうでしたが、私が訪ねた
日は、前夜高熱が出たせいでまた眠ったままでした。

それでも投薬で熱が下がっており穏やかな顔で眠って
いました。声をかけるとほんの一瞬目が開いただけ
でしたが、手が布団から出て何かを探している様子だった
ため、手を握ると強く握り返して引き寄せられました。
そのままにしていると、安心したようにまた眠って
しまったのでした。

その様子を見ながら、祖母はまだ生きたいという強い
気持ちがあるのだと感じました。

相変わらず食事を口から取ることもできず、最近は自力で
起き上がる事ができない為、日々体力も落ちてきています。
今は点滴も受け付けているけれど、段々と点滴も入らなく
なってくるだろうと叔母が話していました。

この先どうなるか分からないけれど、祖母の生きたいと
いう気持ちを受け止めながら最後まで見ていこうと皆で
誓い合いました。


人は生まれた瞬間から死に向かっています。私自身も途中
自ら命を絶とうと思った事もあります。でもそれは大小
あれど誰でも経験する事だと思います。

また、お腹が空く、人間関係に苦しむ、病気の時に痛いと
思う・・この全ては「生きたい」という無意識の欲求です。
お腹が空くのは分かりやすいですよね^^食べなければ
命は繋がりませんので・・。

人間関係に苦しんだり、病気が辛い、痛いと思うのもまた
同じなのです。それを自覚しそこから抜けたいと思うから
その様に思うのです。
絶望感もまた、生きたい気持ちの一つなのではと最近は
思うようになってきました。

命の長さを自ら選択するのは自由です。人が悲しもうが
迷惑をかけようが、それを実行するのは誰も止められません。
ただ、その痛みや空腹の欲求は自分が生きたいという証です。

もし少しそんな気持ちになっているとしたらそれは逃げの
手法の一つだと思うのです。私自身がそうでしたから。
死を迎えれば苦しむ事も、後悔することもなくなるでしょう。
ですが、それを実感する事ができなくなるのです。

逃げるのは簡単です。後ろ向きに考えるのも簡単です。
楽なほう、惰性で生きる位なら今の私は向き合う方を
選びます。祖母を見ているとそんな風に強く思うのです。

読んでいただいている方も、どうか前向きに、技術的特異点
が来るその日を一緒に見届けていきましょう^^