西尾維新好きの私は、えー実写版?と半信半疑に見ていた
ドラマですが、やはり根幹がしっかりしている方ですから
原作と少し違う設定でも最後まで楽しく拝見させて頂きました^ ^
タイトルのように、主人公の今日子さんはある日を堺に、眠ると
記憶がリセットされるようになってしまい、起きた瞬間から
天井のメッセージを元に探偵という仕事を通じて沢山の人と
関わりながら「1日」を大切に生きているというお話でした。
実際にこんな人はいるのかもしれません。
私自身も他人事ではないので自分のことを重ねていました。
-----------------------------
今日のテーマは、初めからカテゴリとしておいていましたが
良いきっかけですのでこの話を少し書きたいと思います。
私の場合は丁度5年ほど前に極度のストレスが原因で、徐々に
記憶と言語に関する症状がひどくなり、半年ほど日常生活が
できない状況に一時期陥りました。
経過などはまた追って話すとして、一番酷い状態のときは
耳から入る情報は「5分」しか記憶が留められませんでした。
仕事をしながら次々記憶がなくなっていく自分に恐怖を感じ
今日子さんと同じように(私は付箋に)メモを残すのですが
断片的なメモではその事が何の事かも一切思い出せません。
そこで、パソコンで必要な事を一字一句テキストで残しながら
仕事をこなしていっていました。(シナリオを随時作りながら
それを頼りに仕事をするという繰り返し)元々メールで証拠を
残しながらの仕事が多いのが幸いしていました。
また、記憶がインプットできないので話すこともできず、しかし
視覚的な情報は覚えられるので日常でもメールでのやり取りで
なんとか生活していました(こんな時代で本当によかった!!)
この症状の前兆は半年ほど続きました。最初は記憶を30分程度
過去は覚えていられましたが、徐々に時間が短くなってきました。
そして、ついには5分しか覚えれず、しかも2つの行為を同時に
できなくなったのです(電話をしながらメモができないなど)
それでも、責任ある仕事を抱えていたので万が一の時の為に
引継ぎ資料を残しながらなんとかやり過ごしていました。
また、今日子さんと同じように過去の記憶や習慣化している
ものなどは残っていますから、短時間の記憶対策さえすれば、
最初の頃は日常生活も何とか送る事ができました。
その時の記憶は忘れても、こうしてその当時のことは覚えています。
不思議なことですが、時間軸で脳の記憶の場所は異なる事にも
気づきました。(短時間の記憶うち、必要なものが別場所に移動)
情報が記憶できないけれど、記憶できなかったことは覚えている。
また、耳と目から入ってきた情報の記憶箇所も違うんですよ。
しかし、ある日仕事が終わっていつもどおり会社を出たとたん
家への帰りかたが判らなくなりました。方向も、道もわからず
夜も遅かったのでここにいるわけにもいかず、そのうち思い出す
かもしれないと、色々な道を辿りながらなんとか家へ帰りつく事が
できました(1時間で帰れるはずが4時間もかかりました)
ここで漸く病院へいきドクターストップとなりました。
会社の責任を全て背負ってやっていましたので体が限界を超え
拒絶し情報をインプットしてくれなくなったのかもと今だから
そんな風に思います。
自宅でも日常生活ができなくなり、付箋のメモを頼りに生活を
しました。もちろん買出しも火を使う料理もできず・・
その頃は、目覚めると前夜の記憶が無い事がよくありました。
出した覚えのないメールを発信している。覚えのない商品を
ネット注文していたり、ものの位置が変わっていたり・・(^^;
メールの本文や、注文内容を見ると間違いなく私と判るのですが
その記憶は今も覚えていません。(幸い、おかしなことは
ドラマですが、やはり根幹がしっかりしている方ですから
原作と少し違う設定でも最後まで楽しく拝見させて頂きました^ ^
タイトルのように、主人公の今日子さんはある日を堺に、眠ると
記憶がリセットされるようになってしまい、起きた瞬間から
天井のメッセージを元に探偵という仕事を通じて沢山の人と
関わりながら「1日」を大切に生きているというお話でした。
実際にこんな人はいるのかもしれません。
私自身も他人事ではないので自分のことを重ねていました。
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今日のテーマは、初めからカテゴリとしておいていましたが
良いきっかけですのでこの話を少し書きたいと思います。
私の場合は丁度5年ほど前に極度のストレスが原因で、徐々に
記憶と言語に関する症状がひどくなり、半年ほど日常生活が
できない状況に一時期陥りました。
経過などはまた追って話すとして、一番酷い状態のときは
耳から入る情報は「5分」しか記憶が留められませんでした。
仕事をしながら次々記憶がなくなっていく自分に恐怖を感じ
今日子さんと同じように(私は付箋に)メモを残すのですが
断片的なメモではその事が何の事かも一切思い出せません。
そこで、パソコンで必要な事を一字一句テキストで残しながら
仕事をこなしていっていました。(シナリオを随時作りながら
それを頼りに仕事をするという繰り返し)元々メールで証拠を
残しながらの仕事が多いのが幸いしていました。
また、記憶がインプットできないので話すこともできず、しかし
視覚的な情報は覚えられるので日常でもメールでのやり取りで
なんとか生活していました(こんな時代で本当によかった!!)
この症状の前兆は半年ほど続きました。最初は記憶を30分程度
過去は覚えていられましたが、徐々に時間が短くなってきました。
そして、ついには5分しか覚えれず、しかも2つの行為を同時に
できなくなったのです(電話をしながらメモができないなど)
それでも、責任ある仕事を抱えていたので万が一の時の為に
引継ぎ資料を残しながらなんとかやり過ごしていました。
また、今日子さんと同じように過去の記憶や習慣化している
ものなどは残っていますから、短時間の記憶対策さえすれば、
最初の頃は日常生活も何とか送る事ができました。
その時の記憶は忘れても、こうしてその当時のことは覚えています。
不思議なことですが、時間軸で脳の記憶の場所は異なる事にも
気づきました。(短時間の記憶うち、必要なものが別場所に移動)
情報が記憶できないけれど、記憶できなかったことは覚えている。
また、耳と目から入ってきた情報の記憶箇所も違うんですよ。
しかし、ある日仕事が終わっていつもどおり会社を出たとたん
家への帰りかたが判らなくなりました。方向も、道もわからず
夜も遅かったのでここにいるわけにもいかず、そのうち思い出す
かもしれないと、色々な道を辿りながらなんとか家へ帰りつく事が
できました(1時間で帰れるはずが4時間もかかりました)
ここで漸く病院へいきドクターストップとなりました。
会社の責任を全て背負ってやっていましたので体が限界を超え
拒絶し情報をインプットしてくれなくなったのかもと今だから
そんな風に思います。
自宅でも日常生活ができなくなり、付箋のメモを頼りに生活を
しました。もちろん買出しも火を使う料理もできず・・
その頃は、目覚めると前夜の記憶が無い事がよくありました。
出した覚えのないメールを発信している。覚えのない商品を
ネット注文していたり、ものの位置が変わっていたり・・(^^;
メールの本文や、注文内容を見ると間違いなく私と判るのですが
その記憶は今も覚えていません。(幸い、おかしなことは
送ってはいませんでした)
結局約1年程、目覚めると前夜の記憶がない事があり、その上につい
5分前の記憶がなくなり、本を立読みしている間に鞄の存在を忘れる
ので外出もできない。こんな恐ろしい日々はありませんでした。
ただ、このままではいけないと少しづつリハビリをしながら、また
今のように通常通りの生活に自信が持てるまでは復帰後から実に
3年ほどかかりました。(まだ時折で出ますが、前兆はわかるので)
当時、周りや家族にも当然ですがその状況も話すこともできないので
理解されない事が多くあり、結果思いの行き違いもあり、色々な方へ
随分迷惑をかけたと思います。
そして迷惑をかけるなら症状が落ち着くまで一人でいるほうが良い
しかし、この事があってから人間の体の神秘を知らされることにも
なりましたし、どこか一つが停止することで人間としての機能は
簡単に使えなくなるんだということを身をもって知りました。
また今日子さんのように毎日を大切に生きる事やまだ早いうちに
自分の体の限界を知る事ができたのは、今では凄くありがたいと
思っています。
だからこうしてまだ沢山の記憶があるうちに、体感したことや、
感じたことを書き残していきたいと思っているのです。
私はいつかなくなっても、データは残りますからね^^
元々その思いはありましたが、「明日も生きれるとは限らない」
と今日を生ききる気持ちはいつも持っています^^
結局約1年程、目覚めると前夜の記憶がない事があり、その上につい
5分前の記憶がなくなり、本を立読みしている間に鞄の存在を忘れる
ので外出もできない。こんな恐ろしい日々はありませんでした。
ただ、このままではいけないと少しづつリハビリをしながら、また
今のように通常通りの生活に自信が持てるまでは復帰後から実に
3年ほどかかりました。(まだ時折で出ますが、前兆はわかるので)
当時、周りや家族にも当然ですがその状況も話すこともできないので
理解されない事が多くあり、結果思いの行き違いもあり、色々な方へ
随分迷惑をかけたと思います。
そして迷惑をかけるなら症状が落ち着くまで一人でいるほうが良い
と意を決して1からやり直しをしています。少しづつこうして
当時のことを話ができなかった身近な人へも話せるようにもなり、
前向きに進められるようになりました。
しかし、この事があってから人間の体の神秘を知らされることにも
なりましたし、どこか一つが停止することで人間としての機能は
簡単に使えなくなるんだということを身をもって知りました。
また今日子さんのように毎日を大切に生きる事やまだ早いうちに
自分の体の限界を知る事ができたのは、今では凄くありがたいと
思っています。
だからこうしてまだ沢山の記憶があるうちに、体感したことや、
感じたことを書き残していきたいと思っているのです。
私はいつかなくなっても、データは残りますからね^^
元々その思いはありましたが、「明日も生きれるとは限らない」
と今日を生ききる気持ちはいつも持っています^^