気圧が変化する時に体調が変わったり、外気に敏感な私は、
子供の頃の記憶とともにその時の空気の「匂い」が残っている。
祖父母と暮らしていた場所は自然の中にある地区だった。
今は、その環境に子供の頃いることができて幸せだったと思う。
毎日の通学路、季節ごとに移りゆく景色を体感していた。
遠くに見える虹の根元を追いかけて走っても走ってもたどり着かない。
雨の日は木の葉に落ちる雨粒がサーッと音を立てて緑が深い色になる。
蛍の大群が川に沿って上がってくるのは風のない澱んだ日。
そっと捕まえて枕元で籠の光を見ながら寝てしまうが、
目覚めるときには放されていてもういない。
真夏と真冬は星空が特に美しい。流れ星も降り注ぐのを見た。
天の川は本当に川のように空を渡っていた。
花火大会の帰り道、自転車の荷台につかまりながら、
首が痛くなるほど星空を見続けていた。
秋は帰り道空を見渡すと沢山の赤トンボがユラユラ。
実りの秋は収穫の時期。道草をしながら家に着く頃には
沢山の栗をお土産に持ち帰る。
雪の日は真夜中、あたりの音が吸い込まれるようになくなり
シーンという音を立てる。翌朝は一面の銀世界で朝玄関を出たら
まっさらな雪の中に飛び込むのが恒例だった。
降り注ぐ雪は一つ一つ結晶の形が違う。
帰り道、巨大な氷柱を抱えて帰った事もある。
忘れられないのはこんな自然の景色。それと匂い。
秋から冬に変わる瞬間を感じていた。空の雰囲気が変わり、
鼻の奧にツンとする氷のような独特の匂いを感じる。
ここに来てからは仕事もビル空調、通勤は電車。季節が
わからなくなり戸惑った。旬の食べ物がわからないない位
一年中同じもので埋め尽くされている中から、旬のものだけを
選ぶようにしているのは、季節の感覚を維持するささやかな抵抗。
時折この街が息苦しくなり自転車を走らせる。夕焼けの景色や
川沿いの道を走っていると時折匂いを感じ、その頃の
景色が鮮やかに蘇る。年月を重ねて更に色鮮やかに。
人工の景色も美しいが、自然に勝つことはできない。
毎年同じ季節でも、同じものは一つとしてないから。
だから次の季節が巡ってくるのが楽しみになるのかもしれない。
心がささくれた時も、その景色をふと思い出す。
そのまま、幸せな気持ちで眠りにつこう。