あ。ピグの髪型はリアルです^ ^
先日長かった髪をばっさり切ってアシンメトリーにされました。
地毛は茶色だから、次は烏の濡れ羽色のようにしてみたいなぁ(^^;;
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今日は2本目。たまには少しネガティブなお話を・・

便利な世の中になり、気軽に商品を使いながら私達は
生活をしている。でも世の中はフラットだ。
物量も限りあるものだし、幸せと不幸を足せば0になる。

便利や豊かと感じている分、別の場所で不便が発生している。
例えば私が5人家族分のプリンを1人で5個食べてしまえば
他の人は食べることができない。果たしてそれでもよい
のだろうか?

一つの星で暮らす全ての生き物が自然に逆らわずに生きて
共存することでバランスが保たれてきた。
人も近代の農業革命頃までは、手近なものを加工したり
工夫をしながら暮らしてきた。家畜を大切に育て目の前で
殺して命のありがたみを感じながら大事にいただく。

その後、産業革命以降、人間は様々なものを失ったように
思う。便利になればなるほど沢山のエネルギーがいる。
それは争いの元となり、沢山の命が犠牲になっている。

現代で、失ったものはとても大きい。それは「人としての心」だと思う。

争って領土や資源を奪い合う大きな犠牲だけではなく、
私も毎日使っているスマートフォンなどのバッテリーや
電池を作る工場は、常に危険と隣あわせで生産している。
その人達がいて始めて店先で電池が売られる事をご存じだろうか。

また、スーパーには沢山の食材が置かれ、肉や魚は
切り身になっているが、生きている動物を殺してから
食材にするまでの全行程を見たことはあるだろうか。
恐らく、それを知る機会は少ないと思う。

誰かの命や危険を犠牲にしてまで便利にする必要は
あるのだろうか?自分が犠牲にされる立場になった時
どう感じるのだろうか?


膨大なエネルギーを消費する機器であれば、蓄電された
電池やバッテリーは相当の力を持ってしまう。小型化して
容量を詰め込めば、小型爆弾と同じ威力になってしまうのだ。
そのリスクを知ってもなお便利だから使いたいと思うだろうか。


今、少し進化が停滞しているようにも思えるけれど
一番重要な部分「倫理」の部分をどうするかという部分
で大詰めとなっている。何を基準にするのかだ。

今、命の重みを重要視する研究者達はバランスを保つ為
限りなく資源エネルギーに頼らず、ものを生み出し使うこと、
自然に逆らわずそのままの力を利用出来る方法を考えている。


ただ、「自分さえよければいい」という世の中である限り
それは叶わない。だから価値観そのものを覆す特異点が
来て仕方のない事だと思ってしまうのです。


臭いものに蓋をしたり、コピペで知っているふりをする偽りの人生より
現実を体感して知っておく方が毎日を大切に生きれるし、
人の痛みがわかる人間になると思います。