海軍の休日 真珠の首飾り | Dream Box

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このブログの内容は5割の誤解と4割の勘違い、2割の嘘で成り立っています



今回は南部太平洋



マーシャル諸島の辺り



その中のクエゼリン環礁というところ

いつからクワジャレインという称するようになったのでしょうか



その南端辺りの環礁の内側に何か見えます



沈船です

これはドイツの重巡アドミラルヒッパー級3番艦『プリンツ・オイゲン』の現在の姿です


「わ!びっくりした!
私、ドイツ生まれの重巡、プリンツ・オイゲン。アドミラル・ヒッパー級3番艦です。
ビスマルク姉さんとライン演習作戦に参加しました。
幸運艦・・・そう?  この海でも戦い抜きます!」




















このマーシャル諸島は16世紀にスペイン人が“発見”し領有を宣言しますが、さしたる産物も無いために放置されていたのを19世紀末にドイツが保護領としました

ドイツが第1次大戦に敗れるとここを占領していた日本の委任統治領となります

しかし第2次大戦の最中にアメリカに奪われると、戦後はアメリカの信託統治領となりました

その後アメリカと自由連合盟約を結んで独立しますが、安保に関わる外交権は未だに制限されたままになっているそうです

このクエゼリン諸島も米軍の駐留基地がある為、現在も立ち入り禁止になっています

そんなところに何故ドイツの重巡洋艦が沈んでいるのかというと



これが原因です

1946年7月にアメリカがビキニ環礁で行った2度の原爆実験『クロスロード作戦』の標的艦として、日本の戦艦『長門』軽巡『酒匂』他米艦船多数と共に核分裂の爆風に曝され、なお沈まなかった事からこの地に運ばれる中で力尽きて浅瀬に座礁したまま放置されているのです





当時は転覆状態でも艦尾が露出していたようですが、現在はどうなんでしょう

画像上ではスクリューの辺りに白波が立っている様にも見えます

ですがこの環礁自体が米軍基地らしく、現在でも立ち入り禁止らしいのです


アドミラルヒッパー級重巡はナチスが政権を取った2年後の1934年に計画されました

当時のドイツはベルサイユ条約における軍備制限下にあり、海軍において保有できる大型艦はWW1当時の旧式艦を除くと排水量1万㌧以下という、ワシントン・ロンドン海軍軍縮条約における重巡洋艦クラス(ベルサイユ条約では装甲艦と規定)までに限定されていました

そんな中でベルサイユ条約破棄を見越して、列強国の条約型巡洋艦に対抗できる性能の新型艦として計画されたのがヒッパー級でした

ドイツはベルサイユ条約によりWW1の戦勝国は軍縮条約により軍備に制限を設けられていましたが、WW1による技術発展の恩恵を存分に適用できた戦勝国側と軍備自体を制限されたドイツではWW1による技術革新を試す事が出来ず古い基礎技術のままで新造艦を作らねばならなかったのです

その為、ビスマルク級などは最新鋭の旧型艦などと呼ばれてしまいます

この画像からは判別つき難いのですが、スクリューが3つの3軸推進という1万㌧以上の軍艦では珍しい方式です

この時代だと大抵は4軸推進になっているのですが、アドミラルヒッパー級も後のビスマルク級も3軸推進になっています

舵の利きは良かったそうですが攻撃を受けた時の耐久性に問題があるとされ、この時代には横並びの機関を前後にずらして配置する『シフト配置』という設計が採用され始めていました

これも含めて設計の古い戦艦ビスマルクは、これが原因ともなって沈むことになったとも言えるのでした



萌絵で語っている『ライン演習』とは演習どころか戦時中の完全な軍事行動であり、1941年5月に海軍力では圧倒的に劣る独海軍が地中海の英海軍を吸引する為に戦艦ビスマルクと共にこのプリンツオイゲンを出撃させた作戦を指します

現ポーランド北部のグディニャ港(ドイツ編入当時はゴーテンハーフェン)を出た独艦隊は大ベルト海峡を抜け北海へ出るとアイスランド北方を回り込んでイギリス本土の西方へ出て通商破壊戦を試みます



その際、英巡洋戦艦『フッド』と戦艦『プリンスオブウェールズ』(他駆逐艦4隻)の迎撃を受けます

デンマーク海峡海戦(グリーンランドは旧デンマーク領)として知られるこの海戦でビスマルクは、日本にとっての長門型戦艦の如く英国民に愛された巡洋戦艦フッドを撃沈させる大戦果を挙げています



この時プリンスオブウェールズも損害を与え英艦隊司令官ホランド提督を戦死に追い込んでいますが、同時にビスマルクも深刻な被害を負っていました(PoWは修理の後東洋艦隊へ配属されて太平洋へ、マレー沖海戦で日本海軍航空隊の陸上攻撃機に沈められる事になります)

本来の任務である通商破壊戦を続行するプリンツオイゲンと離れドック入りすべくイギリス南方を迂回してフランス大西洋岸を目指します

しかしフッドの復讐に燃えるイギリス海軍の形振り構わない追撃戦によりビスマルクは嬲り殺しにされて沈みます

機関に問題を抱えながらも無事に帰りついたプリンツオイゲンは今度は巡洋戦艦『シャルンホスト』(と姉妹艦『グナイゼナウ』)の遼艦としてドイツ本土への帰還作戦である「ツェルベルス作戦」に参加します

フランスはブルターニュ半島の西端にあるブレスト港からイギリス海峡(いわゆるドーバー海峡はその一部)を突っ切って北海から北部ドイツの母港に戻ろうという大胆極まりない作戦でした

結果から言うと奇跡的に大成功を収めプリンツオイゲンの幸運ネタの一章を飾るのですが、どちらかと言うとプリンツオイゲン以上にネタが豊富なシャルンホストの伝説の一章と言うべきでしょうか

とはいえ英海軍との圧倒的な水上艦戦力の差は如何ともし難く、この後はソ連軍相手の艦砲射撃に活躍したのみで終戦を迎えます(PオイゲンはPQ17船団襲撃には参加していない)


戦後は米軍に接収されたプリンツオイゲンは『プリンツ・ユージン』と名を変えますが、これは“Prinz Eugen”の英語読みです

元となった人名は17~8世紀の政治家・軍人であり、フランス生まれのイタリア系貴族でオーストリア軍人としてフランスとの戦争で名を上げるという欧州の複雑怪奇な貴族の血縁関係を体現するような人物の名を戴いているのです

そして原爆実験の標的艦として使われるべく太平洋へ回航され、最後はこの海へ

先述のようにこの実験では日本の長門・酒匂の他にも米軍の艦船『戦艦アーカンソー』『戦艦ニューヨーク』『戦艦ネバダ』『戦艦ペンシルベニア』『巡洋艦ペンサコーラ
』『巡洋艦ソルトレイクシティ』『空母インディペンデンス』『空母サラトガ』『駆逐艦アンダーソン』『駆逐艦ラムソン』『潜水艦パイロットフィッシュ』『潜水艦アポゴン』他多数が使われています

旧式艦や老巧艦ばかりとは言え、ずいぶん気前よく潰したものだと思えます

アメリカは戦争後半にその生産力を如何なく発揮し週刊駆逐艦・月刊護衛空母・隔月間正規空母などと後に揶揄される程大量に作り続けました

その結果戦争末期には流石のアメリカ財政もヤバイ事になっていた様で(アメリカが引き金を引いた世界恐慌の影響はルーズベルトのニューディール政策では何の効果も出ず、アメリカ経済が本格的に回復したのはWW2での大盤振る舞い的な財政出動と云う名の浪費が原因だった。つまりあの戦争を本当に望んでいたのh…)、戦争が終結するや否やアメリカは多くの部隊を動員解除し、軍艦も予備役や退役に回しています

駆逐艦などはその後に同盟国等に軍事援助として渡していますが、途上国が大型艦を貰っても仕方ないのでスクラップにするか手っ取り早く沈めてしまいたかったという理由もあったのではないでしょうか

クエゼリン環礁に屍を晒したプリンツオイゲンはその後スクリューの1基が回収されてドイツ本国に返還されました

ドイツ北部のラーボエ海軍記念碑の地に『潜水艦U995』と共に展示されています








以前に紹介した駆逐艦『菊月』や戦艦『長門』の沈没位置は判明しており、このプリンツオイゲンのスクリューの様にその一部を回収して日本に持ち帰って欲しいところです






( ・ω・) 「もっとも日本人の感性としては、その地で眠っている魂はそのままにしたい、という気持ちもあるのですが」