過去最大級の台風30号が直撃し大きな被害を出したフィリピン・レイテ島に各国の救援隊が入り活動を始めました
日本も自衛隊の派遣を決定、既に現地入りした先遣部隊の他に海自の護衛艦「いせ」(ひゅうが型2番艦)、輸送艦「おおすみ」、補給艦「とわだ」が現地に向かうべく準備を進めているそうです
空母に見えますがあくまでヘリ搭載護衛艦 DDH-182 いせ
アメリカもまた原子力空母「ワシントン」を始めとする空母部隊を現地に派遣しています(実際のところフィリピンは中国との間に南沙諸島領有権問題を抱えていますから、311の時の様に大災害の陰で火事場泥棒のように領有の既成事実を作ろうとする中国軍への牽制という意味もありそうです)
何と言う奇縁でしょう
かつて69年前、フィリピン奪還を期したマッカーサ―が率いる米陸軍部隊がレイテ湾から上陸作戦を決行、これを支援する米海軍と殲滅しようとする日本海軍が死力を尽くした大戦闘「レイテ沖海戦」が繰り広げられたこの海で、今度は両者が手を取り合って人命救助をしようとしているのです
何という奇妙な世界
“The World Wonders”
この一文はかつての戦闘時に米軍が発した電文の一部です
1944年10月23~25日にかけて両者は激突しました
時期的にも今と殆ど変わりません
アメリカの戦力は空母35隻・戦艦12隻を始めとする空前絶後の大戦力
翻って我が日本海軍は空母4隻・戦艦9隻、巡洋艦以下の戦力でも大きな差がありました
フィリピンを失うと日本にとって生命線である南方資源地帯との海上交通路が側面から脅かされる為、これは絶対に負けられない戦いだったのです
時代は既に航空主兵で戦艦は時代遅れの兵器と見られていました
日本軍はレイテの北方から空母機動部隊で襲いかかると見せてハルゼー提督率いる主力部隊を北へ釣りだし、フィリピンの西から戦艦部隊をレイテ湾に突入させて上陸部隊を艦砲射撃で薙ぎ払うというギャンブル性の高い作戦でした
実のところこの戦闘の前、夏に行われた「マリアナ海戦」で日本軍は空母の上物である艦載機部隊を失っており、この時はほぼ空っぽで囮にしか使えない状態だったのです
戦艦「伊勢」「日向」も1942年の「ミッドウェイ作戦」で失った4隻の空母の穴埋めに船体後部を飛行甲板に改装しおよそ20機ほどずつの艦載機を運用する筈でしたが、機体の開発が間に合わずこちらも空っぽの状態で囮の空母部隊と行動を共にしていたのでした
航空戦艦 伊勢
この囮作戦は見事に成功し、猛将と呼ばれたハルゼー提督は敵の主力部隊である(と考えた)空母を自らの手で沈めるべく避退と突入のそぶりを見せる敵艦隊を追跡し北方へ釣り出されて行きました
この戦闘の前にハルゼーは囮である(と考える)大和・武蔵を基幹とする戦艦部隊(栗田艦隊)に空襲を掛けて撃退したと信じていたのですが、ハワイの米海軍太平洋艦隊司令部は「もし栗田が諦めずに突入してきたら・・・?」との懸念を抱きます
ハルゼーは日本の空母部隊を追ってレイテ湾をがら空き(一応、旧式の戦艦部隊は残したが前日の戦闘で砲弾を使い果たしていた)にしていたのです
そこでハワイの司令部はハルゼー艦隊に電文を打ちます
“TURKEY TROTS TO WATER WHERE IS RPT WHERE IS TASK FORCE THIRTY FOUR RR THE WORLD WONDERS” (七面鳥は水辺に泳ぐ 第34任務部隊は何処にいるのか 何処にいるのか 全世界は奇妙に思っている)
これを受け取ったハルゼーは激怒したそうです
七面鳥はハンターにとっては目をつむっていても撃てるほど愚かな鳥であり、それが水上を泳いでいる、ハルゼーの艦隊は何処に行ってしまったのか、世界は知りたがっている、という意味に取れてしまったのです
つまり意訳すれば「七面鳥はどこに泳いで行っちまったんだ?世界が笑ってるぜw」という感じですね(実際には前節の七面鳥の部分は取り除かれていたと言いますが)
こんな電文を受け取ったら、私なら頭の血管が切れて卒倒する自信があります
実は、米軍はこの種の暗号電文をやりとりする時には文章の前後に無意味な一文を付けて敵の解析の防害を図る事なっており、この“turkey trots to water”“the world wonders”もこれに過ぎなかったのです
本来なら電文を受信した通信員はルールに則り前後の余分な一節を取り除いて各所に伝達します
しかし前後の組み合わせが妙に合致して意味を持ってしまった事で一連の本文だと認識されてしまった事に加え、この一文がイギリスの詩人テニスンが詠ったクリミア戦争・バラクラヴァの戦いの「軽騎兵旅団の突撃」という有名な詩の一節でもあった事から(敵砲兵陣地に対する勇気ある、しかし無謀な突撃)、ハルゼーは自分の行動を当てこすった物と受け取ったのでした
“When can their glory fade?
O the wild charge they made!
All the world wonder'd.”
1854年10月25日にこの戦闘は行われ、本隊への砲撃を阻止する為ロシア軍砲兵部隊の移動を妨害したかったのですが、連絡将校が適当に命令を伝えたため600名余りの英軍軽騎兵部隊はロシア軍砲兵陣地に突撃をかけることになってしまい壊滅しました
ハワイから電文を発した通信係の某少尉はおそらく当日がバラクラヴァの戦いの記念日だと知っていて、ほんの遊び心からこの一節を使ったのでしょう(この戦争は日本でいうと桶狭間や川中島の合戦並みに英米では有名)
この戦闘は囮の空母部隊を追い掛けるハルゼーの暴走(Bull's Run)によりレイテに空隙が生じたにも関わらず、真の主力部隊たる栗田艦隊は“謎の転進”を図って帰ってしまい、千載一遇のチャンスを自ら捨ててしまい呆気なく終わりました
電文の前後に無意味な一文を挟むのは定められたルールだったのですが、この“turkey trots to water”“the world wonders”という本文と関係あり気になってしまった不用意な文を付け加えた某少尉は気の毒に左遷されてしまったそうです
戦艦「伊勢」(と姉妹艦「日向」)はレイテ戦では死傷者約100名を出すものの損傷はわずかで生還しました(別働隊の準姉妹艦だった扶桑・山城は沈没、乗員が合わせて約2600名中生還者はわずかに2名)
空母4隻・戦艦3隻・巡洋艦7隻他を失い実質的に日本海軍が壊滅した戦闘で生き残り、日本に帰ったその幸運も含めて今回の派遣に「いせ」は選ばれたのでしょうか
共に戦いレイテで沈んだ空母「瑞鶴」の乗員を例え5分間であっても戦場のただ中で停船して救助したのも伊勢でした
米軍攻撃機の猛攻を尽くかわしてみせ、ハルゼーをして何としてもあの2隻を仕留めろと厳命を出させた殊勲の名を受け継いだ護衛艦「いせ」
69年目にしてレイテ湾に翻る旭日旗
「いせ」が放つのは14インチ砲弾ではなく救援物資というのも感慨深いものがあるのです
( ・ω・) 「天佑ヲ確信シ全軍突撃セヨ」