ドイツ語で戦車です
直訳すれば『装甲』ですが、英語の『タンク』もよく考えれば『水槽』などを意味してるわけで(開発中の秘匿名称だったそうで)、まあその辺の名称は国によりそれぞれです
私の好きな戦車はⅣ号戦車です

しかし↑は関係ありません
実に武骨で質実剛健でメカメカしくてダサ格好良い『ザ・戦車』って感じがするのが良いんですね
これに比べるとアメリカのシャーマン(↓)なんて出来損ないの粘土細工みたいで好きになれず
ソ連のT-34(↑)はシンプル過ぎて面白くないんです(砲塔前部の曲線だけは好きです)
横から見ると幼児が描いた戦車の落書きくらい単純で面白みに欠ける姿をしています
第1次大戦に敗れたドイツは軍事力の保有に大きな制限をかけられました
いわゆるベルサイユ条約で空軍は保有禁止、海軍は潜水艦・排水量1万tを超える大型艦は保有禁止、陸軍は戦車などが保有禁止とされました
ヒトラーのナチスが政権を掌握し再軍備を宣言するまで『一応』この制限を守っていたのですが、実はソ連と秘密裏に協力してこっそり戦車の開発を進めていました
それが元になって初めて作ったのが↑のⅠ号戦車と↓のⅡ号戦車でした
見て分かる通りとても小さいのですが、元々これらは訓練用と戦車生産のノウハウを習得するための機材として開発されたものに過ぎませんでした
ドイツ陸軍はⅠ~Ⅱ号戦車をステップに、実際には↑のⅢ号戦車と先述のⅣ号戦車を主力にしようと考えていたのですがヒトラーとかいうバカチンが軍が装備を整える前に戦争を始めてしまったので、ドイツの戦車兵はⅠ~Ⅱ号すら数が揃わないままポーランド戦(1939年9月~)に臨むことになってしまったのです
Ⅲ号戦車にしても対戦車戦闘用として最初から口径50mmクラスの主砲を搭載するはずでしたが、開発が間に合わなかったので取り敢えず戦車砲としては豆鉄砲クラスの37mm砲を載せたまま生産し、後で換装しようと考えていたのです
ヒトラーは陸軍にもうしばらくの間は戦争はしない、と約束していたので非力な主砲のⅢ号をつなぎとして作ったのですが、騙されたおかげでフランス戦(1940年5月~)を通じて37mm砲で戦わざるを得なくなってしまったのです
Ⅳ号戦車も含めてですが数が全く足りておらず、この間ドイツ軍の戦車戦力の中核を担っていたのがPzkpfw35(t)と38(t)の外様戦車でした
LTvz-35 ドイツ軍編入後の名称がPzkpfw35(t)
LTvz-38 同じくPzkpfw38(t)
1939年4月にドイツはチェコを併合しますがチェコ陸軍が使用していたLTvz-35を接収、この後継機として開発されていたLTvz-38も導入します
37mm砲搭載の軽戦車としてはバランスのとれた兵器だった為ですが、皮肉な事に第2次大戦序盤ではⅠ~Ⅱ号よりは強力でありⅢ~Ⅳ号より数が揃っていた為に実質的にドイツ軍の主力として活躍する事になったのでした
ドイツ軍といえば『電撃戦』と呼ばれるほど強い戦車で序盤戦を圧倒したイメージがありますが、実のところその主力になっていたのはⅠ~Ⅱ・38(t)などの軽戦車たちだったのです
特に悲しいのはⅢ号戦車でした
中戦車なのに軽戦車級の37mm砲を載せて作られ、本来の50mm砲が完成した時には世の中の戦車砲は75㎜級にシフトしていたのです
サイズ的にⅣ号とほぼ同じⅢ号でしたが砲塔を載せるターレットリングが小さく発展性が低かった為に大口径の主砲を載せることができなかったのでした(正確にはより大型の砲塔を載せる余裕がなかったのですが、大戦後期にはむりやり75mm砲を載せてしまいました)
Ⅳ号戦車は元々は火力支援用に考えられていたので75mmの榴弾砲を載せていたのですが、主砲を強化することで本来のⅢ号の任務である対戦車戦闘もこなせるようになり主力戦車となったのでした
↑は初期の短砲身(24口径)の75㎜砲搭載のⅣ号戦車D型、これが中~後期型では43~48口径砲に強化されていきました
日本では銃や大砲の大きさを表す単位として『口径』という用語を使いますが、これが砲身の内径(弾の直径)と長さの両方で使われる為にやや混乱を招きます
ここで言う24~48口径というのは砲身の長さを意味し、砲弾のサイズである75mmの24~48倍(つまり1.8m~3.6m)ある事を意味しています(こういう場合75mm/L24等と表記されます)
ただ砲身を長くすれば威力が増すわけではありませんが、まあそんな物だと思ってくれても間違いではありません
運動エネルギーの計算方法(ジュール)はE=1/2(弾重量×初速の2乗)で表わされます
75㎜砲弾の弾頭重量は約6.8kg、24口径砲の初速は約400m/sで48口径砲では約790m/sになりますから上記の計算で表わすと24口径砲は約54万J、48口径砲は約210万Jと4倍近くまで強化されたことになるわけです(実際はそんな単純なものではありませんが)
初期型のⅣ号戦車が短口径の75mm砲を採用したのは、弾頭内に火薬の詰まった榴弾を主に扱う為に弾速や運動エネルギーは重視されていなかったのです
ちなみにピストルの弾の威力は500~1000Jくらい、私が持ってるオモチャのエアガンAPS-2だと1J未満しかありませんw
Ⅲ号の初期の主砲である37mm砲は弾頭重量が約650g、初速が約700m/sなのでエネルギーは14万7000J程となり、後に装備された50mm砲でも42口径砲で約48万J、60口径砲で約71万Jで48口径75mm砲には遠く及びません
Ⅲ号は機動性など部分で良好な性能を持っていましたが改造しても戦闘力の強化に限界があると考えられ、1943年の段階で生産が中止されてしまいます
Ⅰ~Ⅱ号や38(t)はそれ以前に敵戦車に対して非力すぎて戦車としての生産は止められていましたが、ドイツはこうした兵器を自走砲に転用していきます
Ⅰ号自走重歩兵砲『ビゾン(水牛)』
Ⅱ号自走重歩兵砲
Ⅱ号対戦車自走砲『マルダーⅡ』
PzKpfw38(t)転用 自走重歩兵砲『グリーレ(こおろぎ)』
砲塔や車体の天井を取り払い、簡単な装甲板で覆って砲兵が扱う対戦車砲や重歩兵砲を載せるのですが、強力な砲があるなら戦車として改造すればいいじゃん、と思います
しかしドイツ軍の戦術では戦車は機動力を活かして独自に動くので歩兵の支援なんかしてられません(第2次大戦の緒戦でドイツ軍より強力な戦車を持っていたフランス軍やソ連軍が惨敗した理由のひとつが、戦車を歩兵の支援に貼りつかせて機動力を奪った事が挙げられます)
ドイツ軍曰く「堅ぇ戦車がいたら?スツーカ(攻撃機)呼べばいいじゃんw防御拠点?後ろから来る砲兵に任せるよ。俺たちゃ迂回して敵後方の補給線や拠点間の連絡を絶つのが仕事さ」
しかし歩兵にも火力支援は必要です
戦車がどんどん進んで行ってしまうのに砲兵は↓のような大砲を装甲車やトラック、時には馬で牽引してせっかく設置したと思ったら戦車がさらに先に行ってしまいまた移動、なんて事を延々とやっていたのです
こうした牽引砲は砲撃する時には地面に降ろして砲架を固定、前線と連絡を取って座標を定め試射をしてちゃんと狙った位置に弾着するか修正量は必要かを見定めてからでないとまともな砲撃を行えません
数を揃えて砲撃を始めると非常に強力な反面、それだけに相手も反撃して砲兵部隊を真っ先に叩きたいのでちょっと撃ったら移動を繰り返さなければならず砲兵の苦労は並大抵ではありません
「俺達も自走砲が欲しい」との声に軍は上記の改造自走砲をあてがっていましたが、補給や交換用の部品の供給が心許ないので正式に作る事になりました(実際には戦前から開発は進められている)
これはプラモデルのキットですが15cm重歩兵砲です
これをⅠ号戦車の車体の上に載せたのが6個上の画像にもあるⅠ号自走重歩兵砲、単に載せただけというのが良く分かります
命中を狙うような砲ではないのでこれでも充分役にたったのです
支援兵器なのでこれで良かったと思うのですが、やはりちゃんとした兵器を作りたかったようです
Ⅲ号戦車の車体を流用し旋回式砲塔を排して戦闘室を設け1ランク上の75mm榴弾砲(初期のⅣ号戦車と同じ)を載せたのです
元々Ⅳ号戦車が火力支援の為に作られたのですがこれは戦車部隊の為の支援戦車であり、歩兵のための支援車両としてⅢ号突撃砲が用意されたのでした
火力支援のためのⅣ号戦車が対戦車戦闘をこなし、対戦車戦闘の為に作られたⅢ号戦車が力不足から改造されて火力支援にまわる事になってしまったのです
さらにこの通称『Ⅲ突(さんとつ)』は戦局の激化と共に対戦車戦闘もやるようになり、Ⅳ号同様に主砲が24口径砲→48口径に強化されていきます
こうなると同じような兵器を2種類使う意味があるのかと思ってしまいますが、両者の決定的な違いはⅣ号戦車は戦車兵が扱う、Ⅲ突は砲兵が扱うという事です(最終的には戦車兵も乗って戦車として使われてしまうのですが)
旋回式の砲塔が無いⅢ突は戦車同士の接近戦には向かず、その低いフォルムを活かしてブッシュや遮蔽物の陰に隠れ敵戦車を待ち伏せ攻撃するのが任務です
戦車というのは正面から撃ち合った場合、一番被弾しやすいのが砲塔で次が車体前面でした
つまり砲塔の無いⅢ突は余程近距離から車体を狙わない限り撃破するのが難しい戦車、じゃなくて突撃砲だったのです
実際ドイツ軍の対戦車戦闘車両で最も敵戦車を撃破したのがこのⅢ突だったと言われています
味をしめたドイツ軍とヒトラーはⅣ号戦車やⅤ号戦車パンター、Ⅵ号ティーガーⅡなどでも片っ端から突撃砲(後に駆逐戦車と改称)を作らせ生産の現場を混乱させます
しかし1943年にⅢ突の生産工場が空襲で壊滅してしまい前線から最も需要が高いこの兵器が生産不能になってしまいました
そこでPzkpfw38(t)を作っていたチェコのシュコダ社はⅢ突の生産が出来ないか打診されますが工場の設備を大幅に改装しないと無理と判明、ならばと38(t)の車体を流用したヘッツァーの開発を提案したのでした
非常に小さくコンパクトに纏められ、どことなく可愛げすら漂うこのヘッツァーは現在に至るも多くの戦車ファンに愛される突撃砲です
一見するとキビキビ動きそうな雰囲気を漂わせる『ヘッツァーたん』ですが、元が10tに満たない37mm砲搭載の軽戦車であるのに、数ランク上の48口径75mm砲を載せられその攻撃力に相応しい装甲を加えられた結果、相当に無理のある設計になってしまいました
実際はこんな簡単な工程で改造できるわけじゃありませんw
機動性は重戦車なみに鈍重で、小さく作りすぎたせいで4人の乗員は車内でひしめき合う様に作業を余儀なくされます
どこぞで拾ってきた↑の画像では装填手が伸びゝゝと砲弾を担いでいますが、この開いてるスペースには主砲の本体が詰まるので彼はそんな所に立ってはいられません
腕を腰に当てて仁王立ちしているおっさんが本来の装填手のポジションです
この戦車砲は本来、砲架の右側から次発装填する物なんですが、狭いので左側から苦労して弾を突っ込まなければなりません
そして車内の右側後部、ちょっとエンジン部に喰い込むように赤い消火器みたいな物がある凹んだスペースがありますが、そこが車長の席です
彼の目の前には砲尾があるので、車内で別の席に移ることは困難というくらい狭いのです
乗員のスペースを確保するために主砲を右側に片寄らせて配置したおかげで重量バランスが悪く、また前後のバランスも崩れているので車体は右前に10cm沈み込んでいたそうです
また車高が2m程度しかなく、砲口の位置も低いので1発撃つととんでもない土煙が巻き上がり弾着確認も出来なかったとか(隣りの車両にやって貰うんだそうです)
はっきり言って決して乗りたくない戦車です
Ⅰ~Ⅱ号は問題外、Ⅲ号は攻撃力・防御力が低過ぎて生き残れそうになく、Ⅴ号パンター・Ⅵ号ティーガーは目立つ分敵の集中砲火を浴びたりヤーボ(戦闘爆撃機)を呼ばれたりしてしまいます
Ⅳ号戦車も防御力に問題はありますが数が多い分、群れの中に隠れられると思うのです
それが私がⅣ号戦車が好きな理由なのです
ドズル閣下も「戦いは数だよ!兄貴」と仰っています
( ・ω・) 「まあ1台のティーガーより、4台のⅣ号があった方がマシに戦えると思うので」