最近友達に、「川上未映子」ってなんか色っぽくない?
と言われたので、本棚から引っ張り出してきて読んでみた。

この帯に写ってる人がその人。
川上未映子の色っぽさについて書いてもいいかなと思ったけど、
改めて読んでみたらなかなか良かったので、ちょっと本文抜粋。
主人公の友達が豊胸について話していたことを回想する場面より。
以下引用。
胸おおきくしたいわあ、とある女の子が云って、
わたしじゃなくてそこにはもうひとり別の女の子がおって、
その女の子がそれに対してネガティブな物言いをしたんやった、
え、でもそれってさ、結局男のために大きくしたいってそういうことじゃないの、とかなんとか。
男を楽しませるために自分の体を改造するのは違うよね的なことを
冷っとした口調で云ったのだったかして、
すると胸大きくしたい女の子は、
そういうことじゃなくて胸は自分の胸なんだし、
男は関係なしに胸ってこの自分のこの体についてるわけでこれは自分自身の問題なのよね、
もちろん体に異物を入れることはちゃんと考えなきゃいけないとは思うけれど、
とかなんとか答えて、すると、そうかな、その胸が大きくなればいいなあっていう
あなたの素朴な価値観がそもそも世界にはびこるそれはもうわたしたちが
ものを考えるための前提であるといってもいいくらいの
男性的精神を経由した産物でしかないのよね実際、あなたは気がついてないだけで、
とかなんだかもっともらしいことを云って、胸大きくしたい女の子はそれに対して、
なんだって単純なこのこれここについているわたしの胸を
わたしが大きくしたいっていうこの単純な願望を
なんでそんな見たことも触ったこともない男性精神とかってもんに
わざわざ結びつけようとするわけ?もしその、男性主義だっけ、男根精神だっけかが、
あなたの云うとおりにあるんだとしてもよ、
わたしがそれを経由しているんならあなたのその考えだって
男性精神ってもんを経由してるってことになるんじゃないの、
わたしとあなたで何が違うの、と答えたわけだ、するとその冷っと女子は、
だーかーらー、自分の価値観がいったいどこから発生しているのかとか
そういうことを問題にしつつ疑いを持つっていうか
飽くまでそれを自覚してるのと自覚してないのとは大違いだって云ってんのよ、
とこう云って、その批判に対して胸大きく女子は、
まあ何がそんなに違うのかあたしにさっぱりわかんないけれど、
わたしのこの小さい胸にわたし自身不満があること、
そして大きな胸に憧れのようなものあることは最初から最後まであたしの問題だって
こう云ってんのよ、それだけのことに男性精神云々をくっつけて
話ややこしくしてんのはあなたで、あなたが実はその男性精神そのものなんじゃないの?
少なくともわたしは男とセックスしたりするとき、例えば揉まれるときなんかに
ああこの胸が大きくあって欲しかったこの男の興奮のために、なんてことは思わない、
ってことははっきりわかってるって話よ、ただ自分ひとりでいるときに思うってそれだけよ、
ぺったんでまったいらなこれになぜだか残念を感じてしまうだけのことで。
すると冷っと女子は、だからその残念に思う気持ちこそが、
そもそもすっかり取り込まれてんのよ、その感慨を、その愁嘆を、
そういう自分自身の欲望の出自を疑いもせずに胸が大きくなったらいいなあ!
なんてぼんやりうっかり発言したりするのが不用意極まりないっていうか、
腹立たしいっていうか無知っていうかなんていうかさ、
とさらに冷っ、が増した声で冷り女子は静かに云うと、
は、じゃあさ、あなたがしているその化粧は男性精神に毒された
この世界におかれましてどういう位置づけになんのですか、
その動機はいったい何のためにしてる化粧になるの、化粧に対する疑いは?
と胸女子が云えば、これ?これは自分のためにやってんのよ、
自分のテンション上げるためにやってんの、冷っと女子、それを受けて胸派女子は、
だからあたしの胸だって自分のために大きくしたいってそういう話じゃないの?
あんたのそのばちばちに盛った化粧が自分のためだっていうのが
あんたのさっきの理屈に沿うんなんらね、だいたいおんなじ世界で生きてて
こっちは男根主義的な影響を受けてますここは受けてませんって誰が決定するんだっつの。
と鼻で笑えば、何云ってんのよまったく、化粧と豊胸はそもそもがまったく違うでしょうが、
だいたい女の胸に強制的にあてがわれた歴史的過去における
社会的役割ってもんを考えてみたことあるわけ?
あなたのその胸を大きくしたいってんならまずあなたの胸が包括している
諸問題について考えることから始めなさいって云ってんの、
それに化粧はもともと魔よけで始まったもんなのよ、
人間が魔物を恐れてこれを鎮めるために考えられた知恵なのよ
これは人間としての共同体としての、儀式なのよ。文化なの。
大昔には男だって化粧やってるんだしだいたいあんたは
そもそもわたしの云ってる問題点がまったく理解出来てないわ、話にならない、
と顎で刺すように云えば、は、じゃああんたのその生活諸々だけ
男根の影響を受けずに魔よけの延長でやってるってこういうわけ、
性別の関係しない文化であんたの行動だけは純粋な人間としての知恵ですって
そういうわけかよ、なんじゃそら、大体女がなんだっつの。女なんかただの女だっつの。
女であるあたしははっきりそう云わせてもらうっつの。
まずあんたのそのわたしに対する今の発言をまず家に持ち帰ってちくいち疑えっつの。
それがあんたの信条でしょうが、は、阿呆らし、阿呆らしすぎて阿呆らしやの鐘が
鳴って鳴りまくって鳴りまくりすぎてごんゆうて落ちてきよるわおまえのド頭に、
とか云って、なぜかこのように最後は大阪弁となってしまう
このような別段の取り留めもない面白みもなく古臭い会話の記憶だけが
どういうわけかここにあるのやから、やはりこれはわたしがかつて
実際に見聞きしたことであったのかどうか、さてしかしこれがさっぱり思い出せない。
引用終わり。
長っげ(笑)
川上未映子の書くものは、句読点を多用しながら、
会話も説明もごっちゃにしつつ話をすすめていくという特徴があります。
抜粋した文章は実際には改行なしで、だーっと続いています。
しかもこれに大阪弁が加わっているので、慣れないと読みづらく感じるかも。
慣れるとけっこう読みやすくてテンポも良くて気持ち良いんだけど。
この抜粋した会話のやりとり、しょうもないけど面白いなあ。
タイピングしながらおかしくてまた笑ってしまった。
「胸おおきくしたいわあ、とある女の子」が
「胸大きくしたい女の子」、「胸大きく女子」、「胸女子」になっていく感じとか。
胸女子ってなんだ(笑)
最初はまともっぽい討論が「魔よけうんぬん」の話になって、
最後にはただの口喧嘩になっていく流れも好き。
そしてやっぱり大阪弁ね。
言葉に癖のない地域に住んでいる自分にとってはやっぱり良いなと思ってしまう。
この本、大阪弁ばりばりの人が読んだらどう思うんだろ。
どうでもいいけど、個人的には胸よりお尻のほうが重要だったり。
うん、どうでもいいね。

なんだろ、正直写真からメンヘラな雰囲気も感じるのだけど、
まぁでも実際には会うこともないし、
付き合うか付き合わないかの話ではないので、写真を見ながら友達と、
色気のあるなしについて語り合うぶんにはメンヘラっぽくても別にいいかと思った。
(川上未映子風)
川上未映子 - 乳と卵 (文春文庫)
娘の緑子を連れて大阪から上京してきた姉でホステスの巻子。
巻子は豊胸手術を受けることに取り憑かれている。
緑子は言葉を発することを拒否し、ノートに言葉を書き連ねる。
夏の三日間に展開される哀切なドラマは、身体と言葉の狂おしい交錯としての表現を極める。
日本文学の風景を一夜にして変えてしまった、芥川賞受賞作。