NASAのスペースシャトルプログラムは昨年の「アトランティス号」の帰還を持って終了した。
こうした人類未踏の宇宙への技術開発がリスク(好ましくない事象の生起確率×影響の大きさ)ゼロとは誰も考えないだろう。
敷衍すれば、技術の進歩とは未知なる領域へ足を踏みいれることで常に大なり小なりリスクを背負うことを意味する。
私たちはリスク社会に生きているのだ。原発の「安全神話」は実に不思議な現象だ。


 さて、身の回りにも様々なリスクがある。
湯を沸かす、車道の横断、車の運転、スカイダイビングのリスク。
こうしたリスクは直感的、経験的に何となく察知できる。
では、血液凝固因子製剤投与による肝炎ウィルス感染、サールス、鳥インフルエンザ、株価の変動、情報システム、ガスタンク爆発、毒薬製造工場事故、ナノテクノロジーのリスクはどうだろう。
経験だけではどんなリスクがあるか理解・察知できないし、リスク規模にしても、個人の手に負えるものではない。
原発事故のリスクもこれに入る。
こんなリスクとどう向き合えばいいのか?


 重要なことはリスクが科学的定義ということだ。
(リスクの定義自体過ちを犯すリスクがある。これはさておき…)
リスクと向き合うことは、将来どんなよからぬことが起こるのかを定義することに他ならない。
且つ、潜在的事故の様なリスク源を持つ者はリスクに晒される者とリスク情報を共有するべきである。
原発の「安全神話」について言えば、これは技術に関する適切なリスク定義が欠落していたのではなかろうか?


 われわれがリスクを回避あるいは低減するには、次いで、適切なリスク情報が提供されることが必要だ。
情報を収集、コンパイルし、状況分析して意志決定をする。
そして行動となる。
リスク情報が適切に提供されなかった場合どうなるか?
これも原発事故に例を見ることができる。
原子力事故直後のSPEEDIによる放射性物質の拡散シミュレーション結果が必要時に適切な情報として提供されなかったことで、さらなるリスクを生み出してしまった。
ここで重要なことはリスク情報を共有する為の仕組みである。
適切な情報が必要な時に混乱なく透明性を持って伝えられることである。
わが国では、今に至るも、混乱を招くあるいは藪蛇になるので情報の提供を控えるという様な風潮が無きにしもあらずである。
そうならない為にもなおさら透明性のあるリスク情報提供を行っておく必要がある。


 わが国は高度な情報機器も生産し、普及もしている。
リスク情報を共有するツールには事欠かない。
必要なことは、制度も含めてリスク情報提供のマネジメントシステムを作ることだ。


サイエンスライター 新井隆介
この記事は2012/2/28の電気新聞に掲載されたものです