テクノロジートークお読者から高岡宛てに、本欄への寄稿がありましたので掲載させて頂きます。
◇ ◇ ◇ ◇
最近画家の中川一政氏の随筆を読みました。
その中に、「大事なのは立体生活」と題し、画家の石井鶴三氏の事を述べた箇所がありました。
石井氏は、「出た出た月がと言う童謡があるだろう。盆のような月と言うけれど、月は盆みたいに薄っぺらじゃない」、「山を描くにしても、東から登って西へ下りて、今度は北から南へと登って、はじめて山が立体だということを実感する」、「体で覚える、それが大事なことなんだ」と。
私は絵を描かないけれど、何とも心ひかれる思いがしておりました。
そんな折、八月十八日、某テレビ局のモーニングショーを何気なく見ていると、福島の小学生たちが内閣府の若いお役人に、原発についての質問をしていました。
「原子力発電など、怖い物をどうして造ったの?」、「放射能の汚染はいつになったら取り除かれるの?」等等。蓮舫議員なみの小論客にお役人たちはたじたじで、
トンチンカンな答えが返ってくるばかりでした。
今、教育現場では、ディベートという手法を使って、それぞれの立場での論戦をし、考えをまとめるために活用されていると聞いています。
それは大変良いこととは思いますが、時として何か虚しい感じがします。
この時小論客さんは終了後のインタビューで、「この方たちには決定権が無いので、このような答えしか出せないのは、仕方のないことです」と答えていました。
話は変わりますが、久里浜行きの総武線快速に乗っていた時のこと。隣を並行して走る各駅停車の若い車掌さんが、こちらに向けて白手袋の手をにこやかに振っているではありませんか。
「え!私に?」そんなわけはありません。
その目線の先は、四~五才の男の子でした。その子の喜びようったらありません。
行きつ戻りつするたびに手は振られました。この若い車掌さんは、相対性と心の素晴らしい教育者ですよね。
子供たちは学校も塾もこなしているのに、なぜか紙の上での学習成果が上がらないようです。
何かに問題があるはずです。総合学習で示されている“生きる力”の部分が、まだまだ欠けているからなのでしょうか。
先生方にお願します。小学生たちには、原子力発電の必要性の是非を、歴史や経済との関係を交えて解るように伝えてやってください。
“なぜ原子力発電所が造られたか”“なぜ必要だったか”“それによってどれほどのことがなされたか”“益があったか”“どんな点が損であったか”“オイルショックのこと”“CO2の問題のこと”“広くは宇宙のことまで”です。
子供たちが平面的な思考に陥ることなく、立体的に物事を見、考え、自らの力で生きていけるように、月の裏も表も考えさせてやってください。
子供たちに豊かな立体生活、立体思考、立体教育を施してあげてください。
そうすれば、それぞれの子にあった自主自立の自信が育ち、人生に夢と希望が持てるはずと思うのですが。
団塊の世代のつぶやきです。
サイエンスライター 高岡章喜
この記事は2011/9/27の電気新聞に掲載されたものです