東電福島事故で明らかになったことの一つは、原子力発電が単なる電気の生産手段ではなく、石油危機でクローズアップしたエネルギー安全保障をも超えて、激動する国際社会の中で国と国民の生存に係る「国家安全保障」の一端を担っている、ということだ。
福島事故後、安全に対する不安が突出して脱原発の風潮が高まった。
安全規制行政を原子力推進行政から分離して、国民の側に立って国民の安全・健康を守る体制に変わることは歓迎すべきことである。
しかし、脱原発だからといって今までの原子力推進行政はもはや不要、ということではなかろう。
経済発展を目指す少なからぬ新興国は意欲的な原子力発電計画を持ち、それは福島事故の後も必ずしも衰えを見せていない。
高い技術基盤を持つ日本は必ずやこの事故の反省と教訓を取り入れてより一層安全な原子力技術を磨いていくであろうと期待して、これら諸国は原子力発電を日本に頼りたいようだ。
一方、わが国においても原子力発電に代わるエネルギーの現状を考えれば、今すぐ脱原発は出来ず、今後数十年は原子力に存続せざるを得ない、というのも大方の見方のようだ。
では安全規制行政を分離したあとに残った原子力推進行政はどうするのか。
残念ながら端的に言って原子力推進行政も、原子力の発足以来これを所管しようとする省庁間の縦割りと縄張り争いのために効率の悪さが目立っていた。
しかし上記のように、わが国は国際的な期待に応えると共に、国内においても既存原子力施設の安全性の維持向上、さらには将来に向けて国際的な視野で安全性を飛躍的に増したより高度な平和利用原子技術の開発を国際協力の下に、目指さなければならない。
これに対応する国の原子力推進拠点として推進行政においてもこの際、安全規制体制の改革と同様に、積年の弊害を拭い去って新たな再編・改革を目指すべきだ。
例えば研究開発から実用化まで、軽水炉から高速炉まで、あるいは放射線利用からエネルギー利用まで、など一貫化・一元化した行政体制によって効率的で国民にも国際的にも信頼される原子力技術の行政的な拠点の強化を図ることである。
わが国が非核兵器保有国として半世紀以上にわたって営々と築き上げてきた原子力の平和利用技術の維持とともにより安全で高度なレベルを目指す不断の営みは、エネルギーのみならずほとんどの天然資源を国外に頼らざるを得ない資源小国にとって、平常時はもちろん緊急時における国の実力と国際的な信用などを源とする「国家安全保障」の一端を担っていることを忘れてはなるまい。
サイエンスライター 世野和平
この記事は2011/9/13の電気新聞に掲載されたものです