東日本大震災から半年が経とうとしている。
元気を出して!頑張ろう!と励ましの大合唱の中で、復興への道筋はなかなか遠いのが現実のようだ。
放射性物質による汚染と放射線問題も、問題地域が拡大するばかりだ。
特に放射性セシウムによって汚染した稲藁とそれを食べた牛の問題、京都五山送り火での陸前高田の松材護摩木の二転三転問題、などのニュースが日替わりで続いている。
そうした中で、二つの大きな疑問をニュースや世論に感じざるを得ない。
その一つが、綺麗そうに見える事が良しとされ、二つ目は、知らないということが正論であるように振る舞われることだ。
前者の代表例は、太陽光発電や風力発電などの自然エネルギーへの期待である。
環境にも優しく無限に利用できるように一見思える。
しかし、大量導入による経済面や雇用面、環境面などへの負担は伝えられることが少ない。
後者の代表例は、何といっても放射線についてであろう。
学校教育で忘れ去られて久しく、平和教育の中で、広島長崎での原爆が扱われる程度で、今回の大震災まで、自然界にある放射性物質・放射線など知るよしも無かったと言える。
これらの状況の中で出せる答えは、あんな危険な原子力よりも自然エネルギーの方が安心であり、放射性物質や放射線のことが心配なので、早く完全に取り除いてゼロの状態に戻してください。
となるのは明らかである。
ここ数十年の学校教育にもよるのかもしれない。
しかしそれ以上に、第二次世界大戦の後、国防も、エネルギーや資源も、食料や水も、雇用も、交通安全も、健康福祉も、暮らしの全てを誰かが守り解決してくれて当然という、現実とは遊離した仮想の社会で暮らしてきてしまったことが原因のようだ。
このため、少しの環境の変化にも原因者を探して、解決を求めることが正となってしまっている。
結果として、地球や国や地域の大きな危機よりも、身の回りで何もわずらわしいことが起きないことが最適な暮らしとなってしまった。
そこでサイエンスの世界で暮らしている方々それぞれに問いたい。
「貴方のわかる範囲で良いから、真実を伝える努力をしていますか?」と。
原子力や放射線などで糧を得てきた方には、「貴方は一つでも現状打破に向けて何らかの提案をしていますか?」と。
せめてサイエンスに生きる方々は事なかれを望むことなく、現状に何か問題あれば、その改善に力を注ぎ、先人が築き上げてきた物を、より良いシステムになるよう力を合わせて頑張ってほしい。間違っても後出しジャンケンや、重箱の隅をつつく評論家にはなってほしくない。
専門家と称する方のコメントが巷で大きな混乱を招いていることもあるのだから。
サイエンスライター 高岡章喜
この記事は2011/8/23の電気新聞に掲載されたものです