筆者の所属するあるグループに珍しく根来さんと雑賀さんがそろって居られる。
いずれも戦国時代からの鉄砲衆のご子孫である。
そんなことから今日は火縄銃の話から入ろう。
もの造りで重要な部材の組み合わせに明治以前はネジがあまり使われなかったらしい。
1543年種子島に漂着したポルトガル人が火縄銃をわが国に伝えたときは戦国時代の真っ只中で、その新兵器は戦国大名に衝撃を与えた。
島主の種子島氏は大金を投じて2挺買い入れて家臣に火薬の製法を学ばせ、刀鍛冶匠に鉄砲製作法を研究させた。
銃身の製作などは従来の日本刀製作で蓄積した鍛造技術で何とかできたが、ただ一つ銃身の端部をふさぐ尾栓をネジではめ合わせることは当時の鍛冶達には難しかった。
尾栓は火薬の爆発の圧力に耐えて、しかも銃孔の掃除ができるように着脱自在でなければならず、そのためにはネジを利用するのが最良だか、雄ネジはともかく銃孔内に切る雌ネジの切り方がわからなかったという。
鉄砲伝来の翌年来島した中国人商人の中の一人の鉄匠から学び、年月をかけてネジの切り方を工夫してから多数の鉄砲を製作できるようになった。
製作技術は2挺のうちの1挺を譲られた紀州の根来寺を初めとして、その後江州の国友村や大阪の堺に、さらに各地に広がって行った。
しかしわが国ではこの段階ではネジというものを一つの道具として、鉄砲製作のために何とか工夫してつくりあげて使っていたように思われる。
わが国には部材を組み合わせるにあたってネジの作用や役割をしっかり認識してそれを機械の基本的な要素の一つと位置づけるような技術思想が乏しかったのではないか、といわれる。
その代わりに豊富な木材を使った建築物の木組み等のように「はめ込み」とか「組み合わせ」の技術が発達した。
一方ヨーロッパではネジは機械学の一番基本的な要素の一つで、科学者等によってその作動原理などが解明され、そこから静力学、動力学へと発展し、ニュートン力学などの物理学が成立した。
「はめ込み」技術からは、匠による職人技の限りない向上はあるだろうが、こうした理論的な発展はここからは出てきそうにない。
たしかにわが国では「てこ」の原理を使った油絞り器などは多いが、より効率の高い欧米のようなネジ絞り器はあまり無かったという。
以前にNHKテレビの「ためしてガッテン」で身近に多く使われている「ネジ」の不思議を取り上げていたが、われわれはネジについてわかっていたようで案外わかっていなかったことに改めて気付かされた。
なぜわが国でネジ文化が発達しなかったか、興味あるところだ。
サイエンスライター 世野和平
この記事は2011/1/25の電気新聞に掲載されたものです