先日、エネルギーや環境部門を専門とする教授とお話しする機会があった。
先生は方々で講演に呼ばれ、エネルギーセキュリティーの面から原子力の重要性を述べておられ、最近では原子力推進派と区分けされて、困惑しておられた。


 その先生いわく、最近の不景気によるエネルギー需要の減少や、省エネの推進やエコ機器の普及による電力需要の低迷を取り上げ、電力需要は逼迫していないと考えるのが妥当と思う。
また、柏崎刈羽発電所の地震による停止後、電力不足が起きていないことから、日本全体で電力は余っていると思われても仕方がない。
これでは原子力の必要性を強く押せる状況にない、と疑問を投げておられた。


 確かに先生の言われるように、原子力がどのタイミングでどの程度必要かは、電力需要の動向が判断基準になっているようだ。
でも、世界のエネルギー需要は、アジアを中心に確実に増加している中で、それでよいのだろうか。


 エネルギー問題や環境問題を考える時の基本は、この豊かな電気文明を維持するために化石燃料を使い続けることが正しいのか否か、と言うことに尽きると考える。


 何万年とも言われる人類の長い歴史の中で、化石燃料を使い始めてわずか200年でしかない。
そして、一番早くなくなると予想される石油でさえ、確認埋蔵量が約40年、未確認分とあわせても200年分しかなく、これからどうするのかと言うことである。
 

 先進国の中で科学技術に長けた国、エネルギー資源がない国、原子力を安全に使い続けてきた国、それが日本である。
ならば、原子力を最大限活用して、人類の未来への道を世界に指し示す時が来ているのではないだろうか。


 そんなことを考えていた3月末、東北電力の定例記者会見で、電源立地についての説明があった。
それによると、浪江・小高地点は、未修得用地もあり、着工と運転開始を1年延期するとし、東通2号は需給動向が見えないので、同じく1年延期すると発表していた。
大変なご苦労の中での判断と思わせて頂くが、少々残念である。

 
 わが国は、1990年比で2020年までに温室効果ガスを25%削減するとしている。
確かに後10年では建設は間に合わない。
しかし、将来に向けて着実に脱化石燃料を進めるために、電気事業は少しでも早く火力から原子力に転換できるよう、国民理解を図りつつ建設を進め、さらには負荷調整機能の整備や最新の安全技術を積極的に取り入れてこそ、と考える。
日本だけのことを考えるのではなく、過去の出来事にこだわることなく、将来の人類のために、今何が必要であるかを追及し、その障壁となっている課題を解決してこそ、技術先進国としてのなすべき道筋ではないだろうか。



サイエンスライター 高岡章喜
この記事は2010/4/27の電気新聞に掲載されたものです