師走である。
整理しなければならないものが、山ほどある。
年内に片付けたい。
今年こそすっきりして、新年を迎えたい。そのためには、まず机の上から、しかし机の上の本を片付けるには、その本を入れるためのスペースを本棚に作らねばならない。
本棚にスペースを作るためには、不要な本をダンボールに詰めて、押入れに仕舞わなくてはならない。
しかし押入れは雑多なダンボールで一杯である。
押入れにスペースを作るため不要なダンボールを物置に運びださなければならない。
物置は、ガラクタで一杯である。
よーし次の日曜日に物置のガラクタを処分しようと決意して寝てしまう。
次の日曜は、物置のガラクタの多さに驚くとともに、家人のものを勝手に捨てて大騒ぎになるといけないと理由をつけて諦める。
よって、たった一冊の本も片付けられない。
従って、机の上は永遠に混沌としたままである。


 整然とした机の上に憧れる。
テレビドラマに出てくる机の上は皆整然としている。
しかし、そのドラマを作っているスタッフの机の上は大概グチャグチャである。
仕事の出来るサラリーマンの多くは机の上や周りが乱雑である。
知性のシンボルである大学教授の机も書類で埋もれていることが多い。
しかしながら、その混沌は一定量を超えることは少ない。
机が書類で埋もれてしまっても、更に床まで埋もれることは少ない。
まして、机をオーバーフローした書類で部屋が書類で一杯になることも少ない。
ということは、ごちゃごちゃに机を放置している人も、その1m3に満たない空間をオーバーフローさせずにコントロールしていることになる。
一方、整然とした机も1mm3単位で見ればチリ一つない空間というコントロールはできていまい。
きれいな机でも1μm3の空間はゴミや雑菌でぐちゃぐちゃのはずである。
極論すると小さな空間しかコントロールできないから、机が整然としているのであり、机がぐちゃぐちゃなのは、大きな空間をコントロールしている証拠であり、高次元の知性を維持している証左である。
これは、より大きな整然は、より大きな混沌を生むというエントロピーの法則にも合致する(?)。


 よって年内に片付けなければならない山ほどの仕事も、視点を変えれば、取るにたらない、やってもやらなくてもどちらでもよい小さなタスクと認識し、さらに無秩序から秩序は作り難いというエントピーの法則に従い、いつも通り乱雑で中途半端な状態で年末年始を過ごす口実を得たとガッテンした。


 そう思って歳末商戦の街に出れば、寒空の下、走り廻る先生方につられ、知らずうちに小走りになっている年の瀬である。




サイエンスライター 古井 サブロウ
この記事は2008/12/16の電気新聞に掲載されたものです