分子生物学者の福岡伸一氏の「できそこないの男たち」を読んだ。衝撃であった。
ヒトの基本形は、女性で、男は女性の体を変形して作られているということを初めて知った。
男の短命も環境適応力の弱さも納得できた。
生物の中には、メスだけで構成され、子孫繁殖も交尾なしで行われる種があるそうである。
但し、厳しい環境適応が求められる時だけオスを作り、卵を作って一時避難し、環境の厳しさが過ぎ去れば、再びメスのみで子孫繁殖するそうである。
このオスは永続せず、メスがピンチヒッターとして、一時的に存在させるはかない命のオスである。
飛躍して、男社会は女の手の平にあるという人間社会を改めて実感した。
やはり、安定した社会は母系社会であり、亭主関白は弱弱しく、カカァ殿下が円満家庭の象徴に思える。
肝っ玉カァさんに「風前の灯」の父さん。
地震、雷、火事、オヤジは勘違いで、弱きもの汝の名前はオヤジなりである。
マスオさん現象は日本の文化となり、お嫁に行くとか、嫁を貰うという言葉は死語化しつつある。
今年度の国家公務員試験で初めて女性の合格者が3割を超えたとのことである。世はまさに女性の時代である。
女性企業家、女流小説家、女性歌手、スポーツも女性の活躍に脚光を浴びる場合が多いようである。
翻って、電力業界はまだまだ男の社会であり、男だらけの感があり、男だけの継承が多々見られる。
インフラを担う電力会社は社会の母体である。
その電力会社に、女性電力社長はもとより、女性電力役員が普通になるのは大分先になりそうである。
遺伝学的にも、社会学的にも重要な女性を、電力業界は、可及的速やかに、かつ大量に、取り込まないと大きな過ちを犯しそうである。
サイフの紐も、電源のオンオフも、家電製品の購入決済権も、全て女性が握っている現実を考えれば、女性不在の電力経営が如何に不安定で脆弱な経営であるか想像に難くない。
女と男を分けるY染色体、男だけにあるY染色体、X染色体の半分しかないY染色体を持つ男として、常に、その出来損ないを意識しつつ、種の主体である女性を敬い、張りぼて的大きさと脆さを恥、種の付属的存在を肝に銘じて単なる運び屋に徹して行かねばと、くたびれた身体の隅々を意識しつつ、交尾後メスに食べられると知ってか知らずか時を惜しんで鳴くスズムシのオスに我が身を写し、その無常さにシミジミとする秋である。
サイエンスライター 古井 サブロウ
この記事は2008/11/18の電気新聞に掲載されたものです