地方自治体の女性の集まりに呼ばれ、地球温暖化問題や具体的な省エネについてお話しする機会をいただいた。
終了後、省エネの実践として、ご近所の農家の会員さんが育てたゴウヤの苗が3本ずつ配られた。
家に戻ってから近所のホームセンターに行き、大きめの鉢と園芸用の土や棒などを買い込んだ。
せっかくの機会だからと、トマトやナスも育ててみようと苗を買い、家の鉢植えのブドウの木が、小さな房をいくつかつけていたから、何かで支えてあげなければと枠などを購入し、日頃やっとことのないことへの挑戦の楽しみを心に秘めて、急ごしらえの園芸家を気取って帰ってきた。
植木鉢に土を入れながら感じた土の柔らかさ、これからよく育ってほしいと思いつつ、ほぐしている自分を見て、今までどうしてこんな機会を持たなかったのかと不思議な気がした。
数回前のテクノロジートークに左脳と右脳の話があったが、まさしく現代社会の左脳優先の病気を患っている自分を取り戻した一瞬であった。
その後、自分の手塩にかけたことで、どうしても生長具合が気になってくる。
蔓はちゃんと棒やネットに絡まっているか、のどが渇いていないかと朝に晩に覗きこみ、水をやったりしている。
そこで解ったというか植物を育てている方には当り前のことではあるが、光を浴び雨に打たれて、あっという間に丈はぐんぐん伸び、実が大きくなることである。
そして、ゴウヤにおいては、髭のような最先端が、自分の支えになるものを探し、一旦見つかると、それに絡み付いてくるではないか。
まるで目があって、棒や網に向かって突き進むようにである。
棒から離れている蔓を絡めてやると、一旦は離れても、しばらく経つと、風の力がそうしているのか、いつの間にか絡み付いている。
こんな状況を見ていると、益々生長が楽しみになり、観察が欠かせなくなり、稚拙ではあるがスケッチブックや色紙に絵を描いて、ゴウヤの苗を下さった方に差し上げることとした。
まるで親馬鹿ならぬ生育馬鹿である。
そんな眼で散歩の合間に、ご近所の家々を眺めてみると、つい先日まで通りから建物が見えていたお宅が、いつの間にか緑の壁で遮られているし、あまり手入れをしていない自然任せの家の庭には、ドクダミがあたり一面に生えていたりする。
環境に優しくとか、自然との共生と叫ぶわりには、自然の恵みで育つ植物の生長すら見失っていた自分に深く反省をする機会となった。
科学技術の重要性を唱える上で、改めて自然の営みのサイエンスを知り、それを師として、その仕組みを生かした科学技術の追及の大事さを認識した時であった。
サイエンスライター 高岡章喜
この記事は2009/7/14の電気新聞に掲載されたものです。