洞爺湖サミットを境にして、「エコ」という言葉が、テレビコマーシャルなどで、良く使われるようになってきている。

マスコミの影響力は大きく、これだけ「エコ」を言われると、市民はいやがおうにも、環境にやさしい行動に意識が変わっていくことであろう。


 エネルギー・経済統計要覧2008(2006年までのデータ)を見てみると、京都議定書の基準年の1990年比で、家庭部門のエネルギー消費は26.4%、二酸化炭素発生量は29.4%それぞれ増加している。

本来削減しなければならないのにと思いつつ、個々の意識がデータに反映される2年後が楽しみである。


 環境にやさしい暮らしとして使われる言葉に「グリーン電力基金」「グリーン電力証書」「カーボンオフセット」などがある。

なんとなく理解はできていても、それがどのような効果を生むのかが良く見えてこない。同じような言葉で「排出量取引」もある。


 先日、太陽光発電を自宅に設置している人が、「自分が参加しているNPO法人は、家庭用の太陽光発電で自家消費した電力分を、グリーン電力として買い上げてくれるので、電力会社への売電分とグリーン証書販売分で、設置費用が早く償却できるようになった」。

さらにこの方は「自分は市のアンケートに応じて環境家計簿を毎月提出しているが、太陽光発電のおかげで、電気のメータの積算値は極めて少なく、二酸化炭素排出の少ない理想的な生活である」と自慢しておられた。


 このお宅の場合、太陽光発電を行っていても、屋根を提供しているだけで、電力会社への売電分のグリーン電力は、電力会社に移管されているし、自家消費分はNPO法人を経由してグリーン電力証書を買った機関のものである。

すなわち、環境家計簿の上では、自家消費分の電力は、電力会社の通常の電気として計算しなければならない。東京電力の電気であれば、kWhあたり0.425kgである。


 最近ではカーボンオフセット付の商品も出回るようになった。

2008年の年賀状にて知名度が上がったが、一年分の走行に相当する排出量をオフセットとして付加した車も売り出されている。


 そこで思うのだが、カーボンオフセット付にしてもグリーン電力証書購入でも、二酸化炭素削減に向けた機器の買い替えでもなく、生活する上での努力でもない。

迷惑料を払えば何をしても良いとの考えにつながらないだろうか。


 地球温暖化が少々の排出量の削減では防げないと解かった現在、豊かな暮らしをするほど削減義務の大きいのは明白である。

努力してもなお実現できなかった分を、他から金銭で買うのはやむをえないが、安易にブームに乗って、はじめから努力なしに、金銭での解決に走らないようにしたい。



サイエンスライター 高岡章喜
この記事は2008/10/14の電気新聞に掲載されたものです。