「高校生原子力サミット」の発表会を傍聴させていただいた。

この企画は3年目を迎え、今年は全国15の高等学校の生徒が、見学会や講演会に参加するとともに、一泊二日の他校との交流討論会などを経て、最終的に学校単位で壁新聞を作成するものである。


 聞かせていただいたのは、交流討論会の報告であった。

4~5校の高校生で10人程度の9グループが構成され、一日目の夜までと二日目の朝の討論を基に、それぞれのグループごとに問題点を絞りこみ、社会への提言の形で発表が行われた。


 全グループの発表を聞いて共通の感想は、短時間でよくこれだけの偏らない勉強をし、問題点を整理できた、との印象である。

このうち3つのグループは、地球環境問題と原子力とのかかわりについて議論をし、原子力の二酸化炭素排出の少なさ、エネルギー密度の高さ、自然エネルギーの限界などを通じて、原子力の重要さが報告された。

次の3つのグループは、原子力とリサイクルをテーマに、高レベル廃棄物の処分、核変換を含めた新処理技術、第二の再処理施設の必要性などを通じて、リサイクルできる原子力推進の課題と重要さが報告された。

残る3つのグループは放射線をテーマに、放射線の取り扱い、食品照射への利用や医療への利用の良し悪しについて報告された。


 これらの個別の課題に加えて、どのグループも取り上げていた事は、原子力や放射線に対して、間違った理解がなされているという指摘であった。

そうならないために、正しい情報に基づいた正しい理解と認識、それに基づいた判断こそ重要との指摘で、それができなくなってしまっている原因は、ゆがみと誇張したマスコミ報道の問題点と、学校で小さい時から教育に取り上げていないことが原因であるとの指摘であった。


 かつて、ある中学校で総合的な学習を年間通じてお手伝いしたことがある。

この学校では、環境やエネルギーをはじめ、広い範囲から個々の生徒が課題を設定して取り組むことになっていた。

原子力発電と放射線を選んだ生徒たちに、原子力発電所の見学のアレンジをしていた時である。

担当の先生から、「原発に連れて行くなんてトンデモない。あんな危険なところ、だから発電所は無人なのでしょう」。「先生、発電所の中で従業員は働いているし、周りには人は住んでいるし、そこでできた電気で私たちは生活しているのですよ」。という会話をしたのを思い出す。


これは極端な例かも知れないが、どうしたら学校での中立な教育と判断が定着するのであろうか。

あるグループの発表の締めくくりに「私たちは、先代が残した課題を解決し、世界に提供する世代になる」との頼もしい宣言がなされた。 



サイエンスライター 高岡章喜
この記事は2008/9/30の電気新聞に掲載されたものです。